日本の現代ミステリ作家で、長いこと高確率で読んでいるのは東野圭吾、貫井徳郎、湊かなえ、そして歌野晶午あたりである(宮部みゆきもそうだったんだけど、どんどん長大化するようになって一つの事件で全3巻とか全5巻とかツラくなったよね。『模倣犯』を最後に読んでない)。
その中で今回は歌野晶午のことです。
1987年の綾辻行人から始まったいわゆる「新本格」が気に入ってあれこれ読んでいたが、自分の中で今でも続いているのが歌野晶午なのである。
デビュー作の『長い家の殺人』はあまり印象に残っていないのだが、最初に「面白れぇ」と思ったのは『ガラス張りの誘拐』だったな。さらに『ROMMY』や『安達ヶ原の鬼密室』や『ブードゥー・チャイルド』などを読んでいくに従って、この作家はとにかく読者の意識を最後に引っくり返す(だます)ことに命を懸けているのだなと理解したわけだ。
傑作としか言いようのない『葉桜の季節に君を想うということ』はもちろんその代表格である。
それと歌野の特徴に、本筋に関係ないとしか思えない章が重要な意味を持っている、ということがある。『ジェシカが駆け抜けた七年間について』なんかが特徴的かと思う。この作品はすごく好き。
『密室殺人ゲーム』のシリーズも大好きだが、「王手飛車取り」と「2.0」は良いが3作目の「マニアックス」はちょっと半端だったかな?
ここまで書いてきても、要するに作品タイトルを挙げることしかできていなくて、内容には触れていない。なぜかというと、何が面白いかを語ったとたんにそれが「ネタバレ」とイコールになってしまうからである。そういう小説なのだ、歌野作品は。
先日は『ずっとあなたが好きでした』を読んだ。恋愛ネタの短編集だ。前半は、イマイチだなあと思いながら読んでいた。しかしそこはやっぱり歌野晶午なのであった。
それぞれ独立した短編が収録された短編集なのに、予想もしなかった衝撃がちゃんと来るのであった。これからも歌野作品を読み続けることが確約されそうだ。
さて、ここからが本題である。この傑作『ずっとあなたが好きでした』の文庫本(文春文庫)の解説が例の「あれ」だった。このブログで何度も批判してきた「ネタバレ解説」だ。大矢博子という人物によるもので、解説自体が「必ず本編をすべて読み終わってから読んでほしい解説」というタイトル。ネタバレならびに伏線の、神をも恐れぬ詳しい解説がなされている。
確かに結末に触れずに歌野作品を語るのは困難なはずだが、だからといってこんな解説が許されていいはずがない。
何度も批判したが、結末に触れないでは作品を語ることができない低能力な人間は文庫本の解説を書くな!
と文句を言ってるだけでは埒が明かないので、各出版社への提言もしておく。本の巻末にパスワードを掲載しておいて、そこにアクセスして初めて解説文を読めるようにすればいい。それなら、どれだけネタバレしようが結末をバラそうがOKだろう。