荻上チキさんインタビュー第二回「規制が及ぼす弊害」 | マンガ論争勃発のサイト

荻上チキさんインタビュー第二回「規制が及ぼす弊害」

携帯に集約される個人情報

--「規制によって起こる弊害」ということを考えているのは少数派になるんですか?

荻上さん:「ネット規制すれば一発解決。自助努力ではなく<カンタン>に<サービス>側でなんとかしろ、といったムードはあり、それにたいする反論を押し込めるムードも高いですよね。それはもちろんしょうがない。そういうことを考えるのは基本的に少数である状態の方がむしろ健全ですから(笑)。ただ、<学校裏サイト>のケースのように、そこでの<コミュニケーション>が<教育>にいいか悪いか、といった議論で進むことの弊害については、もう少し知られていい。社会システムの全てを<教育>で包む発想は危険ですから。コミュニケーションは偶発的なものを必ず含み、当然ディスコミュニケーションも含みます。ディスコミュニケーションや偶発性を生むということは、潜在的には常に誰もが、犯罪を誘発する有害コンテンツの発信者になりうるという発想になるんですよね実際、<学校裏サイト>に関する議論というのも、監視の方向に強化されています。例えば<学校裏サイト>を自動的に巡回して、設定していた<問題のあるキーワード>が引っかかったものは、自動的に管理者に報告するプログラムとか。今は極めて不完全なものですが、このコミュニケーション管理という方向性は今後、さらに強化されていくでしょうね。特ににケータイというデバイスを通じて」

--小学生でも携帯持ってますからね。

荻上さん:「ケータイは、明らかに個人情報を認識するための管理ツールとしても発展してきていますね。ここ数年だけでもSuicaとかPasumoとかが携帯で使えるようになったし、クレジットカードも使えるようになった。あるいは位置情報連動、あるいは名刺情報交換など個人の情報ってものを携帯一個で管理するように動いていると。<ケータイに望む機能>についてのアンケートの移り変わりなどを見ていくと、ケータイ一個ですべてをすませようというニーズが高まっていることが分かる。免許証も健康保険証も財布も鍵も社員証も携帯に入れて、携帯一個持ってれば会社の中に入れる便利とかね。電源の問題とか出てくるんですけど、ソーラー充電とか、自動充電システムみたいなものを導入してくれという声もある。これらがどの程度実現されるかはともかく、ケータイによってウェブ空間でのコミュニケーションをよりシームレスにとれるような環境を、僕たちが希求しているってことです」

--私も携帯にSuica入れてますが(笑)。

荻上さん:「NGN時代になると携帯とパソコンの区別がなくなるとか、Microsoft Surfaceが面白いとか、色々な発想が今は提示されています。具体的なサービスのどれが社会的に定着するかはまだ分からないでしょうが、今後、個人情報をどんどんどんどんケータイなどの情報機器に預けて行くことで、ネットを通じて行われるコミュニケーションというものをスムーズ行おうという方向にはなってきている。その一方で、明らかに<棲み分け>のニーズも高まっている」

--世界とアクセスするんじゃなくて、特定のコミュニティとつながる。

荻上さん:「一言でいうとゾーニングですね。ゾーニングってその結構幅広い言葉ですけど、マーケティングの領域ではゾーニングっていうのは、どの棚にどの商品を並べるかによって売れ行きがガラリと変わる、その陳列の仕方とか見せ方とか色味とか、そういった設計をしましょうという発想がありますよねあるいはウェブデザインの場合、どの領域にヘッダーを置いて、どの領域にメニューを置いて、どの領域にパーマリンクを置けばユーザーがより多くの滞在時間をそこで費やしてくれるか、どれだけ多くのユーザーが商品を買ってくれるかというようなアーキテクトに関する発想として元々あったわけですよね。

万人がインターネットをやるようになった今、これまで行ってきたゾーニングが部分的に失効しつつあるので、新しいゾーニングをやりましょうという議論があちこちで前景化している。その活動自体は重要なことだし、必要。ただ、今後どのようなゾーニングの仕方が正当性を持つのか、コンセンサスを得られるのかという議論はここ数年で起こったばかりなので、論理的な枠組みを作らなくてはならない」


拙速な論議は議論の場すら駆逐する

--基準がまだできていないということですね。

荻上さん:「具体的には、国民国家とそれを操舵する憲法、といったモデルがまだ明確にないんですよね。インターネットをやっている人達は<市民>なのか? 未だ行われていない未来のコミュニケーションに対しても規制を受けるのは<市民>なのか? 人っていうのは部分的には成熟しているけれど、大体においては未成熟であるということが露呈するようになり、プロファイリング型のID管理が徹底されるような主体は<市民>なのか? 現在では情報設計の議論がそのまま社会設計の議論に組み替えられてしまっていますが、それに概念的に捉えるときに、いくつかの発明が求められるように思うんです。

 これまでの社会では、法の完全実行っていうのが、メディア的限界があったためにできなかった。だから、ある程度の緩い制度設計ができた。ところが、ウェブ社会になると、近代になって<手付かずの自然>という概念が設計されるようになったように、その緩さ・グレーゾーンそのものも、僕たちは設計するという発想になってるわけですよね。その恣意性を恣意性という風に機能させないような形で位置付けるにはどの理論を参照にすればいいのかというところで、現在混乱が起こっている。これまでであれば、例えば憲法学者とかであれば、『絶対王政と議会民主制の関係性から法律が誕生してね…』みたいな議論を一通り習って、それから制度設計の側に廻るというような場が機能していたものが、今、情報設計の場においては何から学べばいいのかっていうような合意形成がまだ作れていない。ある種の社会モデルの準拠枠が未完成なんですよね」

--近代の枠組みというのがルソー以来、100年200年かかった。それを2~3年でやれっていうんだからまずムリ。

荻上さん:「もちろん、当たり前ですが、<情報社会>になったからといっていきなりルールが全部壊れるってわけじゃないんですよ。<近代>になる時だってそうだったように」

--情報化社会になったからって早廻しできるわけじゃないと。

荻上さん:「それを、今あわてて変な規制法を作ってしまうとどうなるのかは気になりますね。<人権>という概念が発明され、その範囲に誰を入れるかが常に論争的であった歴史を振り返るに、ウェブ社会でどのような欲望を認めるべきかという議論が、今後、長い時間をかけて反復されるのかもしれません。最初は強力な弾圧を受け、時間をかけて克服していくのかもしれないし、逆にどんどん徹底されるのかもしれない」

--後から克服していく方が大変ですし。

荻上さん:「現在、フィルタリングを18歳未満には原則やることにしましょうという方向で法律が議論されていますね。原則化であって個人にとっての義務でなかったとしても、慣習的に「18歳」とか「メディアの教育性」といった発想がコンセンサスになっていくヤバさももちろんあるんです。年齢の線引きの恣意的性は括弧にくくったとしても、メディアの影響や教育といった問題は、常に周りの政策パッケージや社会システムと複合的に考えなくてはいけないはずです。たまたま今は、親世代のケータイリテラシーが著しく低いため、メディア教育というのが機能していないので、子供たちに情報技術とかリサーチ・リテラシーとかを教える場が存在していない。でも今後、僕くらいの世代が教師になっていくとすごくナチュラルに検索の方法くらいは誰だって教えられるようになっていく。インターネットも系譜も歴史もそれなりに書かれるようになるし。それなりに子供達にとって安全な場所というのも用意されるはずなんです。自生的なゾーニングってことですね。しかし、今の状態だけ見てフィルタリングってことを義務化してしまうと、今後そういうゾーニングの場を設定するような議論そのものを駆逐してしまう可能性がある」

情報統制の欲望

荻上さん:「他の議論においても、その確認が重要なのは言うまでもありません。共謀罪、フィルタリング、児童ポルノ。表面的には関係ないように見えるテーマでも、これまで触れてきたような意味において、情報社会において、一定の繋がりをもった重要なテーマです。政治的にはジェンダーフリー騒動とも連続していますね。マンガ規制とプレイヤーが一緒ですし(笑)。ただ表面上では、分断統治的なアプローチになっていて、オタクの人達も、例えば実写はともかく、アニメは良いだろうってみたいな反応の仕方もしてるわけですよね」

--分断して各個撃破というのは定石ですね。

荻上さん:「当事者の利害性を強調するというのは健全なので別にいいんです。ただ、一連の<不安業界>の言説が、全てのコミュニケーションを監視することを肯定するためのロジックとして用いられる中、今までの不当逮捕という価値観とちょっと分けて考えた方がいいだろうなあと思ってて。もちろん、捜査のプロセスが情報技術が登場することによって、ショートカットされてしまう問題というのはあります」

--インターネットで直接繋がってますから、叩くのも簡単。

荻上さん:「一方で、そもそも情報社会において、法が担うべき役割がどこなのかというコンセンサスをもう一度つくらないといけないわけです。一つは、ネットの登場により権力としての位相が変わるという議論がありえますし、インターネットは全世界に繋がるんで、日本だけで規制してもしようがないだろうっていう問題にどうしてもなっちゃう。そのガイドライン設定はどうすんだということと、ある種の審級みたいなものも求められているんだろうと」

【続く】

<取材:永山薫/昼間たかし 構成:永山薫>