3月になって、Sさんを悩ませる出来事が起こった。この時期、ヨウヨウはSさんのマンションに入り浸っており、夫婦同然の関係だった。
 ある日突然、「私、もう大学に行きたくない」と、ヨウヨウが言い出したのだ。Sさんは大学の教務課を訪ねて、どういう理由があるのか調べた。そうすると、ヨウヨウはほとんどの科目で出席日数が足らず、1学年で履修しなければいけない単位の半分以下しか取れないことが分かった。
 確かにアパートから大学まで遠く、おまけにアルバイトを抱えていたこともあり、体力的に厳しかったのかもしれない。Sさんは大学で調べたあと、「ヨウヨウは勉強が好きではない」と思い始めていた。つまり、他の中国人と同じように出稼ぎが目的かも知れないと。
 だが、大学を辞めると、ヨウヨウの滞在ビザが更新できない。さらに、大学を続けるためには、新年度の授業料を払わなければいけなかった。もちろん、ヨウヨウにはその金がなかった。Sさんの懐も苦しい状態だったので、立て替えてやることもできなかったのだ。かと言って、ヨウヨウと別れるという考えはなかった。
 ヨウヨウが大学を辞めても日本に滞在できる道は、ただ一つだった。ヨウヨウとSさんが「結婚」することである。ただ、Sさんは別居中とはいえ、まだ妻と婚姻関係にあった。さて、どうするか。
 Sさんと妻が別居してから4年以上経っていた。その間、連絡を取り合っていないので、本来ならすんなりと協議離婚が成立するはずだった。Sさんもそのつもりで、妻へ離婚届を郵送した。数日後、妻から離婚届が返送されてきた。何と、判が捺されていないままの状態だった。つまり、妻は離婚に不服だったのだ。
 Sさんは妻と暮らしていた時期にヨウヨウとの関係ができたのではなかった。そのため、決して「不貞」をしたわけではない。だが、妻からみれば、実の娘と同じ年齢の中国人がSさんと暮らしていることが許せなかったのだ。妻はそれを「不貞」と感じたのである。
(続く)

 Sさんは、ヨウヨウの土産を抱えて長女の家を訪ねた。次女、三女の土産も長女に託した。本当は、次女、三女にも直接手渡したかったのだが、2人の娘は別居中の奥さんと一緒に住んでいた。
 数日後、別居中の奥さんからSさんに電話がかかってきた。
「誰だか分からない中国人からの土産は、受け取れない。そこで、○○(次女)と○○(三女)の土産は処分します」
 この電話を受けたSさんは、ショックを受けた。そして、ヨウヨウの両親が心を込めて買ってくれた土産を処分するという奥さんに怒りを覚えた。
 1週間後の夜、またSさんに奥さんから電話があった。
「おまえ、中国人のねえちゃんといい関係になっているそうだな……」
 奥さんは、べろんべろんに酔っぱらっていた。Sさんは何を話しても無駄だと思って、奥さんの罵声をただじっと聞いているだけだった。夫婦生活を30年近く過ごしてきたのに、「おまえ」と呼ばれたショックもあった。
 正月、Sさんが娘たちにヨウヨウの存在を話したことが、そもそもの原因だった。その場は、娘たちも驚きつつも父親の新しい恋人に多少の喝采をした。だが、よくよく考えると、三女と同じ歳だったことが、娘たちの反発をかった。娘の誰かが、奥さんにヨウヨウの話をしたのだろう。
 いくら50歳を過ぎて「女ではなくなった」奥さんとはいえ、かつて寝室を供にした夫がまだ20代の女の子と関係を持ったことが許せなかったのだ。さらに、Sさんの母親が老人ホームに入所したのも、ヨウヨウに原因があると考えた。つまり、Sさんはヨウヨウと愛を深めるため、母親がじゃまな存在となった。そのことがあるため、母親を「老人ホーム送り」にしたと誤解したのである。
(続く)
 2003年の正月を迎えたSさんの家では、長女夫妻と孫、次女、三女が新年の宴をしていた。もちろん、別居中の奥さん姿はなかった。Sさんは家族一同が揃うこの日のために、ある仕掛けをしていた。居間の目立つ場所に「ヨウヨウの写真」を飾っておいたのだ。Sさんなりに、子供、孫にヨウヨウとのことを察してもらいたかったのだろう。
 Sさんは何でも先走りする性格なので、まれに結果良しになるが、だいたいは裏目に出た。この日は、どうだったのだろうか。気持ち良く新年の美酒に酔っていたSさんだが、三女がヨウヨウの写真に気付いた。
「パパ、この人誰なの?」
「ああ、その写真か?」
 Sさんは白々しく、写真の方に顔を向けた。そして、ヨウヨウとの出会いからこれまでのいきさつを子供たちに話して聞かせた。そして、最後に「彼女を愛している」と告白したのである。
 娘たちはさすがに驚きの表情を浮かべた。そして、一瞬、座が沈黙した。だが、正月ということもあり、みんな酒が入って、多少ハイになっていた。
「パパ、よかったじゃない」
 次女が沈黙を破った。だが、その顔は笑っていなかった。こうしてS家の正月は無事に終了した。
 1月末、ヨウヨウは春節を上海で迎えるために、中国に一時帰国した。1週間後、再来日したヨウヨウは、抱えきれないほどの土産を持ち帰った。
「こんなにたくさんの土産、誰にあげるの?」
 Sさんが怪訝な表情をした。
「老公(ラオコン=旦那さん)の娘さんたちのプレゼントだよ。お母さんが全部買ってくれた」
 Sさんの家に帰って、土産の包みを広げた。バッグ、ショール、アクセサリーなど、Sさんの3人の娘のために、ヨウヨウの家の収入の1カ月分ほどのお金をかけて買ってくれたのだった。
 これを聞いて、Sさんは感動した。
「ヨウヨウ、ありがとう。きっと娘たちも気に入ってくれると思うよ。今度の休みに、娘の所に持っていくよ」
 だが、事態は思わぬ方向へ展開したのである。
(続く)
 Sさんとヨウヨウは、順調なお付き合いが続いているようだ。Sさんは、私鉄沿線にあるヨウヨウのアパートへ頻繁に出入りするようになった。何事も隠しておけない性分のSさんなので、ヨウヨウとのことは知人のほとんどに知れ渡っていた。ただ、実際にヨウヨウと会った人間は、私だけのようだ。
 ある晩、Sさんと酒を飲んだ時のことだった。
「彼女、今、渋谷のマッサージ店でバイトしている」
「マッサージ? あのいかがわしい……」
「最初、俺もそう思ったので、バイトに反対したんだ。だけど、彼女がそんないかがわしい所じゃないと言うから……」
 だが、Sさんは、今度も客の振りをして偵察に出掛けたのだ。そして、台湾人のママさんに、いかがわしいことをさせないよう念押しまでしてきたという。いやはや、恐るべき執念である。
 Sさんはヨウヨウの入学祝いにiBookをプレゼントした。ヨウヨウはそれまでパソコンをいじったことがないらしく、まさに手取り足取りで教えた。
「さすがに若いから憶えが早くてね。キーボードなんて、俺より速く打てるんだよ」
 Sさんは実に嬉しそうだった。だが、急にSさんの顔が曇った。一緒に暮らしている母親の認知症が進んでいるという。冷蔵庫の中に卵や牛乳がいくつも入っていることがしばしばあり、認知症だと気付いたそうだ。さらに火の不始末で鍋を焦がす、外出すると家を忘れて警察官の世話になるなど、もうSさん一人では介護できない状態になっていた。
「この前、ヨウヨウを家に連れて行ったら、『あら、○○ちゃん、大きくなったわね』と、俺の娘と勘違いしているんだよ」
「それは、かなり進んでいるね」
「昼間仕事場にいても、お袋と家のことが気になって、おちおち仕事もできない。だから、ケアマネと相談して施設に入所させることにした」
 こうして、Sさんはマンションで一人暮らしとなった。2人の娘はたまに来て泊まっていくことはないので、ヨウヨウが足しげくSさんのマンションに出入りするようになった。
 こうして、Sさんの2002年は、ヨウヨウとの出会いで始まり、母親との別れで締めくくられていった。 
(続く)
 正月休みが終わり、私は日常生活に戻っていた。また、Sさんのことも、神田での出来事も忘れていた。Sさんは神田神保町に事務所を構えており、時折仕事を一緒にすることがあった。私は高田馬場に事務所があるので、神保町までは30分もかからない距離だった。また、仕事以外でも一緒に酒をしばしば飲みに行くことがあった。3月ごろだったと思うが、Sさんと酒を飲んだ時、思わぬ話を聞かされたのであった。

「実は……チャン・リーとできちゃったんだ。俺もバカなことをしたと反省しているんだけど……」
 Sより36歳も若い、しかも下の娘と同い年の女の子と深い仲になったことに、私は多少驚いた。ただ、女好き、で現在別居中のSさんなら、あってもおかしくないことだった。
「可愛いんだよねえ、愛しいんだよねえ……」
 夜、逢瀬を楽しんだ後、お互いの家に帰らなければいけない。駅のホームでSさんは1番線、チャン・リーは3番線で電車を待つ。Sさんは無意識のうちに1番線のホームを駆け降り、3番線のホームに駆け上がる。と、すでに3番線から電車が発車して、Sさんは切なげに電車を見送るだけだった。こんなことが何度もあったという。
 単なるスケベ心でチャン・リーと付き合っているのではなかった。Sさんは「恋」をしていたのだ。
 チャン・リーは埼玉県にある私立大学への入学が決まった。アパートは池袋に近い私鉄沿線だという。アルバイトは神田の店を皮切りに、2、3軒店を変えた。最初は客の酒を提供するだけの約束だったが、のちにビラ配り、キャッチなどをやらさたことがイヤだったようだ。バイト先が変わるたびに、Sさんは客のふりをしてその店に行った。怪しげな接待をする店かどうかをチェックするためだった。恋人というより娘を心配する父親のようでもあった。
「それでSさん、これからどうするの?」
「俺にも分からないだよ」
 私は、まだチャン・リーとは会ったことがなかった。Sさんがそれほど惚れ込んだ中国人の顔を見たいという気持ちが湧いてきた。
 神田でSさんを一人残して帰った数日後、電話があった。
「いやあ、参ったよ。Eちゃんが知らないうちに帰ってから、中国人の女の子に誘われて、カラオケスナックに行ったんだが、3000円ポッキリのはずが、1曲歌うごとにチェックされてねえ、結局5000円以上になっちゃったよ」
「見た感じではずいぶん若い子だったけど……」
「そうなんだ。俺の一番下の娘と同じ22歳だとか言っていたよ。名前は、チャン・リーといってね、上海から2カ月前に来日したらしいんだよ。今、大学受験の勉強中で、その合間にスナックでバイトしていると言ってた」
 なにやらSさんはすごく楽しげに、その「チャン・リー」との出会いを話した。Sさんは以前から中国好きで、2、3回中国旅行していた。しかも多少の中国語を話すことができる。飲み屋に中国人アルバイトがいると、いつも中国語で軽口をたたく。そして、「彼女は福建から来ているらしい」などと、私に通訳をしてくれるのだ。

 この時、Sさんは長年連れ添った奥さんと別居中だった。千葉県の一戸建てに住んでいたSさんには、娘が3人いた。詳しいことは分からないが、奥さんが数年前に勤め始めて夫婦間がぎくしゃくしていたらしい。ある時、夫婦げんかをして、奥さんは家を出ていき、アパートに落ち着いた。
 一戸建てに母親と2人暮らしになったSさんは、そのうち家を売却して3LDKの中古マンションを購入した。一戸建てを持て余していたと同時に、借金が数百万円あったことが、その理由らしい。3人の娘のうち1人は結婚しており、2人はすでに社会人になっていた。その娘たちは父親に付くか、母親に付くか宙ぶらりんになって双方の家を行き来していた。
 Sさんは奥さんが出ていったこともあって、多少生活が荒れていた。風俗店に行って性欲を満たすこともあり、酒で泥酔状態になることもあった。いわば、自由奔放な生活を送っていた。
 
 正月休みが終わり、私は日常生活に戻っていた。また、Sさんのことも、神田での出来事も忘れていた。Sさんは神田神保町に事務所を構えており、時折仕事を一緒にすることがあった。私は高田馬場に事務所があるので、神保町までは30分もかからない距離だった。また、仕事以外でも一緒に酒をしばしば飲みに行くことがあった。3月ごろだったと思うが、Sさんと酒を飲んだ時、思わぬ話を聞かされたのであった。
(続く)
 男は年をとると、新たな「愛」を求めるか、老後の「安心」を求めるのかの二者択一を迫られる。多くの男は後者を選ぶが、60歳を過ぎてから「愛」を選んだある男がいた。
 男はフリーのグラフィックデザイナー「Sさん」である。  話は7年前の正月まで遡る。2002年1月5日、私とSさん、さらにイラストレータのTさんの3人は、両国にあるクライアントに新年の挨拶に出掛けた。そのあと「浅草で昼酒でも飲もうか」ということになり、駒形どぜうの暖簾をくぐった。さすが有名店だけあって、何組かの客待ちの列ができていた。30分ほど待って1階の入込の座敷に上がることができた。この店に来たからには、入込で飲むのが一番である。

 Sさんは昭和21年生まれで、この時56歳になっていた。新潟生まれのSさんは東京の大学を卒業したあと広告代理店に就職して、30歳前に独立して事務所を構えた。私はSさんより5歳年下である。私がSさんと出会ったのは、26歳の時だった。私はある雑誌の編集をしていて、その雑誌のレイアウトをSさんにお願いしていたのだ。
 お互い酒好きだったので、出会って早々に意気投合して飲み屋に連れ立って行くようになった。出没エリアは四谷三丁目界隈だった。酒好きなので、お互い飲み始めたら止まらない、そしてSさんの事務所に泊まるのである。今考えるとよく飲み代があったなあ、と感心するくらい飲んだ。週のうち5日連続で飲みが止まらなく、泊まったことがあった。

 駒形どぜうでかなり酒を飲んで、いざ帰ろうということで地下鉄に乗った。埼玉に家があるTさんは上野で降りた。私とSさんは「ちょっと飲み足らないなあ」という目配せをして、そのまま車両に乗ったままだった。そして、神田に着いた。正月だが、神田だったら飲み屋が開いているだろうと睨んだのだ。
 予想通り、店選びには困らないほどだった。私たちはとりあえずチェーン居酒屋に入った。どれくらい飲んだのだろう。2人ともかなり酔っぱらっていたことは確かだ。居酒屋を出た時間も憶えていない。だが、私より5歳年上のSさんは、積極的だった。「もう1軒行こう」と鼻息も荒く、神田の繁華街を彷徨った。
 多分、西口商店街だったと思うが、ある路地で「3000円ポッキリよ」という女の呼び込みの声が聞こえてきた。言葉のアクセントから、日本人ではなかった。Sさんは女に関してはかなり興味がある男なので、その声の主に近寄って、交渉を始めた。私は何かヤバイ雰囲気を感じ、さらに相当酩酊してこともあって、「Sさん、俺は帰るからね」と手を振って、神田駅に向かった。
 歩いている時に後ろを振り返ると、Sさんが女の子に手を引かれて店に入る姿が見えた。
(続く)
 別のブログ(http://badshihosyoshi.seesaa.net/)では、ある司法書士との闘いを綴っております。アメーバでは、硬い話ではなく、ちょっと変わった恋をした男の話を中心に、日々見聞した出来事を書こうと思っております。