来年には50代突入








今年、私は大きな挫折を味わいました。



それは仕事のことでもあり、人との関わりのことでもあり、そして自分自身の在り方そのものに向き合わざるを得ない出来事でした。

「友だちってなんだろう?」
「仕事は何のためにするんだろう?」
「生きるとは?」

問いはどんどん広がり、深く深く、私の心の底へ沈んでいきました。
挫折の中で初めて、私は“立ち止まる”ことを許されたのかもしれません。

20代、30代、40代――。
ただ前へ進むこと、頑張ることが正解だと思っていた。
でも50代を目前にして、ようやく気づきました。
人生には「立ち止まる時間」も必要だと。

友だちとの関係も、無理に広げなくてもいい。
仕事も、ただ生活のためだけではなく、心が豊かになる形を選びたい。
生きることも、何かを“成し遂げる”だけではなく、“味わう”ことが大切なのだと。

挫折を通して見えてきたのは、「削ぎ落とされたシンプルな自分」。
これまでのように背伸びをしなくても、比べなくても、ただ自分らしく歩んでいけばいい。

2025年は、そんな気づきを胸に、
もっと軽やかに、もっと柔らかく、
来る50代を迎えたいと思っています。


無理せず生きたいと思うようになった

来年50代を迎えるにあたり、心の中で大きな変化を感じています。
それは――「もう頑張らなくてもいい」「無理してまで生きたくない」と思うようになったこと。

これまでの私は、とにかく我慢して、我慢して。
踏ん張って、踏ん張って。
そうやって、なんとかここまで生きてきました。

でも気づけば、それは「誰かのため」「誰かに認められるため」が多かったのかもしれません。
けれど今は違う。

他の誰かにとってではなく、私は私の人生を、悩みながらも自分で選んで今がある。
誰に認められなくても、どう思われても、精一杯生きてきた今がある。

そう思うと、もう充分じゃないかと感じるのです。

もちろん、後悔が全くないと言ったら嘘になります。
過ぎ去った過去を思い出しては「あの時こうすれば…」と考えることもある。
でも、過去にしがみついても、どうにもならない。

人は変えられません。
どれだけ願っても、思うようにはならない。

それぞれに人格があり、人生がある。
そこに無理に割って入ることはできない。

人には人の意識や考え方、在り方がある。

時には、それが自分と一致していないと、わざわざ反発してくる人さえいる。



「違う」と声をあげる人もいる。

でも、それもまたひとつの生き方。



その人にはその人の感じ方があって、それを否定する必要もない。


私は、わざわざ否定する必要ないし

それされると

なんだか、嫌な気持ちになります。私は。


癖や習慣になっていると、人を否定しないかな?とたまに考えてみるのも

大切かも…


無意識でやっている人

自分も含め

振り返り…


いろいろな人がいて

合う合わないがある


環境や背景や性格や

生きてきた環境は

かなり大きく…



私は私で、ただ「そういう考え方もあるのよね」と受け止められるようになってきました。

50代を前にして、ようやく肩の力を抜いて生きる準備ができてきた気がします。



これからの人生は、もっと自分らしく、もっとしなやかに。



無理せず、頑張らず、それでも豊かに生きていけたら――それでいいのだと思います。


無理せず

無理に集まりに参加しなくてもいい

自分の気持ちをまずは第一に


相手が何して欲しいか、喜ぶのか

すぐにわかるから

応えてしまうが


これからは、辞めよう

わざと気づかないふりや

聞こえないふりや


やりたくないなら

やらない自分になってこう


集まりも気が進まないなら

嘘ついて行けない理由言うのもありだし


わざわざ

マウントとる人に会いにいく

必要もないわけで


無理せず生き

自分に1番優しい人になりたいなと

思っています!!


わたし


誰よりわたしを褒め

わたしを愉しませ

素晴らしい体験をさせてあげれるのは


わたししかいないんですから



によ

にゃん

人生自由に

愉しむにゃん


愉しむために

お金も使うにゃん

贅沢やギャンブル三昧は

違うにゃん