今日やだったこと



って書こうと思ったけど


誰かのせいにしてしまいそうなので

寝ます






見内じゃない、

けど、身内の振る舞いをする


あなたは

気を遣って

生きてきたふりをするけど

その反動が

気を遣いたくないひとたちに

二重にも三重にも


私は

あなたが

きぃつかいなど

おもったことない


おつかれさま







ああいう居なくなり方より、いいかな

と言っていましたが

比較して救われるのは、ひととして浅ましいな

と思って

自分の中で否定する、見下す


わたしも浅ましいか


家族って

なんなんだろう


ほころんでる?って思ったときの、気づいたときの

深みがすごい





こういう状態に寄り添うのは
生き残る者の方の自己満足であったり
そうしないといけない世間体であったりするんじゃないかと
無駄だな、と思っていたけど

こういう時間を共有しておくことが
今後も「家族」をつくりあげる構成の一部なのかもしれない

など思った




あなたが病気だと聞いて


1番に心配なったのは

あなた自身ではなくて

うちの父で


嗚呼

どうやってあの家で1人で生きていくのだろう、とか

1人になってもっとこじらせるんじゃないだろうか、とか

あの子がもし結婚するときは1人で顔合わせに行くのだろうか、連れ添ってやろうか、とか


薄情というのでしょうか



私は私の考えなので

私自身、薄情とは思えません

自然な思考




祈ることは

病気細胞を減らしますかね


受け入れる準備だけ