1年前の今頃は死別に関連する本を読み漁っていた。自分の心を保つために、次から次へと読む本を切らす事なく、読みまくっていた。


その中に気になった実例ケースが紹介されていたことを昨日ふと思い出した。

ご主人を亡くして数年経つ夫人のケースで、そのご夫人は自分の心の不調は飾っているご主人の写真が原因だと気づいたから写真をしまう。という内容だったような。(たぶん😵💧)


私は悲しみのど真ん中で途方にくれ、写真もやっと飾ろうかと思い始めていた頃。

つい最近まで楽しく会話をし、これからも当たり前にこの日々が続くと信じて疑わず、この残酷すぎる現実の方があってはいけないこと、あり得ないことだった私には、写真をしまうという気持ちが理解できず、同時に自分も数年経つとそう思うようになるのか?と思うと怖く、強烈な違和感として印象に残った。


だけど最近は本当にほんの少しだけ理解できるようになった。

まだまだ辛いけど、もうどんなに望んでも求めても私は彼と共に生きる人生を歩むことはできない。

彼の写真を見ていると、こんなはずじゃなかったという思いにどうしても占領される。


自分の心で生き続ける。そんな言葉もよく聞くけど、そんな心境になれない。実際に話すことはできない。手を握ることもできない。心で生きてるなんて都合のよいきれい事。


そう思っていたけど、それもなんとなく分かるようになった。


色々と受け入れたり理解したりできるようになったけど、それとは裏腹に泣きながらこれを書いてる自分はまだまだ未熟者かな😢


写真はまだしまえないな。。無理せずゆっくり進もう