アドラー心理学では悩みの全ては人間関係といっているほどだ、そんな人間関係について考えたい。人間関係を築く上で生じる煩わしさは数え切れない、劣等感や同調圧力、個人的な悩みも多くあるだろう、そういった細分化された人間関係についての情報はSNSでは話題性が高く議論の対象になる、しかしそういった人間関係の煩わしさを目にするほど人間関係は複雑に見え、より窮屈に感じさせ人間関係を築くことを難しくさせる、しかし人間関係は頭を悩ませるほど複雑なのだろうか、そこで私はマジョリティ理論を唱えたい。人間関係を機械的に捉えるのだ、人間関係はマジョリティ(多数派)とマイノリティ(少数派)にわけられる。ここでいうマジョリティというのは、真っ当な人間関係を築けている側のことだ、対してマイノリティは真っ当な人間関係を築けていない側のことだ。そして人間関係を築くにはマジョリティ側にさえ入れればいいのだ、そしてこれは誰でも可能である、なぜなら人間社会がそう出来ているからである、そう出来ているとはどういうことか。私たちは元来共存するように出来ている、それは協力しなければ生存出来ないからだ、そんな生物がお互いの関係に大きなハードルを作るだろうか。作るはずないのだ、もし交流することに大きなハードルがあれば簡単に交流出来なくなる、簡単に交流出来なければ生存に関わる、そしてもう1つの理由は誰しも弱点を抱えていることだ、自分も弱点を抱えているからこそ相手の弱点も受け入れる、つまり社会的地位が弱者であることと人間関係を築くことには何の関係もないのだ、それはマジョリティ側がそういう姿勢だからである、真っ当な人間関係とは相手の弱点を受け入れ共存することだ、そしてここでいう弱点とは比較的どうにもならないことである、学歴や年収、顔、身長などだ、そういった変えられないことを私たちは年齢を重ねるごとに許容する、同時に相手のそういったことも許容するようになる、しかし変えられることはどうだろうか、例えば清潔感、性格、道徳心  こういった一般的に教養や努力によって変えられることをマジョリティ側、つまり真っ当な人間関係を築く側は気にすることになる、こういった人間として基本的なことには気を遣わないといけない、一般的な常識である、しかし一般的な常識こそが真っ当な人間関係を築くことでもあるのだ、誰でも変えられることにこそ人間関係を築く上で最も重要だということだ、平たく言えば親切で優しい人の方が日本においては圧倒的マジョリティなのだ   マイノリティ側はこれとは真逆のことだ、 イジメや暴力、不良、犯罪行為は今の社会では圧倒的少数派だ だから今イジメにあってる人やそういった環境にいる人はただ運が悪かったと軽く捉えて欲しい、世界を見れば圧倒的に真っ当な人間が多い ただマイノリティ側にいてしまったのだ  そしてそういった人間はマジョリティ側にいく努力をただすればいい