Instagramつかえないから
Facebook再開させようと思ってはじめてみたよ。
4年間が開いてしまった
再開させなきゃよかったなと思うくらい
思い出してしまう
4年前、父の元に結婚の挨拶に行った
父は反対だった
歳の差だったから
私はわかってもらいたくて
数日後電話をしたら
最初は穏やかだったのだけど
次第におかしくなってきて
「ぶっ殺してやる!住所教えろ。今から行くから、そのクソジジイを殺してやるよ、おいてめえナメてんのかくそガキが」
と言われて怖くなって
そこからもう関わるのはやめようと思って
自分の居場所がバレないようにFacebook離脱してたわけなんです。
でももう、無事に解決したの。
無事に、、なのかな。
父は昨年8月に亡くなったの
首吊って自殺をしたの
あの日私が電話を切ってから
一度も会うこともなく。
あの日の父は躁鬱病の薬が合ってなかったんじゃないかと
言われたけど
私はあの日で3回目だった
父親に対して絶望したのは。
1回目は中学の頃
父親が酒に酔って、姉に絡んで首を絞めたの。
それを止めてくれたのは母。
でも大変なことになって
深夜に父を病院まで迎えに行ったとき
弱々しそうな父と歩いて帰った時。
父は普通だった。
悲しそうにしていた。
2回目はは23歳の時
ファミレスで話してたら大声で怒鳴られて
「東京に住んでるだと?恥ずかしいんだよ!偉そうにしやがっててめえ!!」と言われて
駐車場に置いてかれて
青空の下過呼吸になりながら
歩いて帰ったこともあった
母親はそばに居てくれたけど。
父親のことを思い出すと
煮え切らない。
ときどき
正直ホッとしてしまった自分がいる
死んで良い人などいないのかもしれないけも
父は自分でそれを選んだ
私は、ホッとしたよりも先にただただ腹がたった
第一発見者は弟だった
なんでそんなもん見せたんだよって
ふざけんなよって。
それに
私を散々罵って否定して
侮辱してきたのに
自ら命葬るような人に
私は何を言われてきたの、傷ついてきたの?
無駄だったってことですか。
自分は立派だったから
私が未熟なのだと教えてくれたんじゃなかったのか。
私はずっと父がコンプレックスだったのかもしれない。
死んだら、終わりなんだよ。
存在の否定なんだよ
裏切りなんだよ
私はそう思うんだ。
でも父には感謝してる。
決して簡単な作業じゃなかったけど
そう思えたのは
私はこの4年間、穏やかに過ごせたこと。
初めて自分が未熟でも良いのだと
思えた
否定されない環境で
幸せな日々で。
有り難かった。守って来れたこの命を
大切に生きようと思えた。
それは
私が紛れもなく、こんな大変な両親の元
苦労してきたからこそ
今の大切さを知ることができた。
尊いと思えている
そして嬉しい。生きられてることが。
私じゃなかったら
夫も娘とも出会えなかったから。
だから産んでくれて、稼いできてくれて
辛かったかもしれないけど
パパでいてくれて、
ありがとうって思う。
とまあ割とシビアな諸事情だったわけです。
人は悲しみを乗り越えたり
そんな必要はないんだよ。
現実と向き合うことなんだよ。
そして、どう生きることが
己にとって幸せなのか真剣に考えることが
「現実と向き合えている」
ということなのだと思う
この機会はきっと
向き合え、覚悟しろっていう父からの
サインなのかもしれないな。
死んだからもう何も文句言えない
私は幸せに生きるよ。
私が決めた形で。
堂々と生きてゆくよ。
そう伝えたいし
また生まれ変わるなら
苦しくなく、報われて欲しい。
幸せだと思って生きて欲しい。
きっと皆そうおもうよ。