レコードで階段遊び♪
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
9日は一緒に歌って踊って楽しみましょう!
サポートメンバーでキーボードで参加します。
詳細は ココをクリック!
12日は、マッサージ&おでんでんねん!
詳細は 私のHPから!
23日、奈良でライブします。
これまた詳細は ココから!
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ここ数日、とっても嬉しい事がありましてね、
まぁ、これは、近々、
私のHPのホクホク日記でまた書くつもりでおりますので、
また読んでやってくださーい!
しかし、ありがたい話ではございますが、
今月はやることがいっぱいあって、
ちょっと追いつかない状態でございます。
嬉しいお話とはいえ、
間にライブが入ると、
どうしても練習に時間がとられざるをえず、
編曲のご依頼をいただいているお客様に、
いささか待っていただくことになってしまうのがとっても辛いですが、
なにぶん、私身ひとつで動いておりますので、
個人としても謝ってはおりますが、
この場をお借りして、
あらためて陳謝いたします。
今しばらくお待ちくださいね。
さてさて、今日は、私が幼い頃に影響を受けた、
音楽達のお話の続きをしますね。
我が家には、当時ちょっとしたブームになっていたようですが、
木の箱、つまりは家具のような作りのステレオが一大ありました。
父親のお兄様の紹介で、
当時高かったステレオが、
大変お安く手に入れられたそうな??
子供は触ってはいけませんと、
親から言われながらも、
当時、非常に好奇心の固まりのような私は、
いっぱいいじくってはレコードの針を折ったり、
両親のたばこの吸い殻を、
ステレオのあちこちにはさんだり突っ込んだりして、
ターンテーブルをこわしたり、
でも、これはかすかに記憶があるのですが、
その木の箱のステレオには、、
レコードをしまっておける引き出しがついていて、
そこにあるレコードのいろんな写真、
当時は今よりもちょっと見えていたので、
その写真、つまりはジャケットですねぇ!
そしてその中にある、ドーナツ盤、
つまりはシングルレコードのレーベルのいろんな色がとっても嬉しくて、
それを次から次へと引き出しては、
床に並べて階段じゃぁとかいって遊んだりと、
小学生になった私が母親に、
「どうしてあの時しかってくれへんかったん?いいレコードがあれでいっぱい傷
ついたりジャケットがなくなったりしたのに?」
そしたら、あんなにいたんだレコードにならんかったのに?
と何度も親に連呼したことも覚えていますが、
逆に言うなら、あの時、
それを親が止めていたなら、
おそらく、今機材をいじいじして業務をしている私はまずなかったでしょうね。
つまりは、そこからいろんな音楽も含めて、
機材というものに興味を持つきっっかけになったように思えるからです。
で、前置きが長くなってますが、
そんなにレコードが好きならと、
なんとまぁ、
今の子供達ならなんてことない話なのかもしれませんが、
当時はおもちゃでもけっこうな値段がしたはず、
てんとう虫の形をした、
ポータブルな電蓄を、
私の誕生日に買ってくれたのです。
まぁ、しかってもしかっても言うことを聞かないので、
これでひとまず手を打ったのかも??(笑)
当時、確か4才くらいだけど、
家に父親の友人達がたくさん集まっていて、
その人達と一緒にデパートへ行って、
その与えてもらった小さなプレーヤー!
当時はモノラルで、拡声器みたいな音だったけど、
てんとう虫の形がとっても気に入って、
ずーっと嬉しくてだっこしていたことを、
これまた不思議な事に、
しーーかり覚えているんですよ。
そのプレヤーから、はじめてその、階段にして遊んでしまった、
ひどくいたんだレコードを、
ステレオは触ってはいけないけど、
このてんとう虫のプレーヤでなら自由にしていいという母親の約束を守って、
次々にその階段にして遊んでしまったレコード達を、
何度も何度も聞いていくのでした。
マッチ売りの少女という話しがありますが、
まさにあれですわ、あれ!
寒い夜にマッチを売って生計をたてようとする少女が、
思うように売れず、家もなく、凍える体を暖めるがごとく、
その売れ残ったマッチをすったら、
いろんな優しかった人達や思い出が浮かび上がってくる、
寂しい妄想少女の、
あまりにも悲しいお話だったと記憶してますが、
例えは違えど、
レコードをかけると、音は悪かったろうけど、
そのスピーカから、まるでその人達が上に浮かび上がってくるような、
その人達が、私だけに演奏して歌ってくれてるような?
パリパリとものすごい傷の音をたてながら、
聞こえてくるそのレコードの音からも、
実に鮮やかに浮かび上がる我が妄想!!
そんなふうに思えて、
もう嬉しくて楽しくてたまらなかった、
やはり当時から変な子供だったんです(笑)
その楽曲のひとつに、
私の記憶から、
生涯離れることのない強烈な歌がありました。
両親の青春時代、
昭和40年代初期の、
GSと言われた頃の楽曲の数々ですが、
なぜか私は、この曲におもいーっきり反応してしまい、
何度も何度もそのてんとう虫のプレーヤで聞いた曲、
本当はこの曲のB面がこれまた強烈だったんだけど、
さすがにユーチューブで見つからなかったので、
でも、これが出てくるだけでもスゴイです。
当時のジャケットが移ってます。
あぁ、これこれ、これを自ら破ったりしたんだ、
なんかすごく懐かしくなっちゃいましたが、
これは、フォーククルセーダーズの、
帰ってきたヨッパライという歌があったんですが、
お若い方のために、
またいずれご紹介しましょう!
その影響を受けてか、
はたまたその前だったのか??
ちょっとさだかでなくて申し訳ございませんが、
今ならデジタルで一瞬で、
私の家でもある程度可能な時代になりましたが、
当時は大変な作業だったと思います。
というのは、この歌、
ちょっとした技術が導入されているんです。
当時はリール式のオープンテープでの録音なので、
その回転数を半分のスピードにして、
そこにゆーっくりとそのおそーくなった音に合わせてコーラスを入れて、
もとにもどしたらさぁどうなるの??
そんなアレンジがほどこされたこの曲!
当時、この曲は競作で、
いろんなアーティストが歌っていたようです。
我が家には、ヒット曲のレコードもそこそこあったけど、
どっちかというと、2番手、3番手といわれるような、
有名な人でも、ちょっとヒットからは少しはずれたような歌達がたくさんあった
んです。
でも、それこそが、
私自身が、世の中に出てこない名曲達がたくさんあるということを、
知るきっかけにもなったんだと思います。
しかしまぁ今聞くと、
かなり強烈です。
覚悟してお聞きください(笑)
ちなみに、最後のアレンジ、
私はよく編曲で、
無意識に使っていることが、
これを改めて聞き直して発見いたしました。
やはり、子供の頃の影響って、
良くも悪くも一生涯ですわぁ(笑)
では、お聞きください。
ケメコのうた/ザ・ジャイアンツ
ちなみに、私が中学生になってから知ることになった、
この曲で爆発的にヒットを飛ばしたグループはこちらです。
同じ曲でも、こーんなにアレンジが違うんですねぇ!
歌詞も一部違います。
でも、私の中ではやはり、
ジャイアンツの方が永遠のヒットなんですけどね、
ではではこちらをどうぞ!
ケメコのうた/ダーツ
この他にも、邦楽を中心に、
両親が当時聞いていたシングルレコードが、
いっぱい家にありました。
みんな私の階段遊びのえじきになったレコード達ですが「笑」
せまいアパート暮らしで、決して裕福ではなかったけど、
たくさんのレコードがあった家に生まれた私は、
そういう運命になっていたのか?
あえてその両親を選んで生まれたのか?
まぁそのあたりは、自分で自ら追求はしませんが、
今の私の業務においては、
これこそが運命の?
音楽との本当の意味での出会いだったのかもしれません。
また、この家にあったレコードシリーズは、
是非とも皆様にも聞いていただきたいので、
いろいろ当時の曲達を、
私独自のエピソードとともに、
ご紹介していきたいと思います。
このメルマガをご購読のお若い皆様も、
どうか、こういう曲達が過去にあって、
今のJPOPやヒップホップなどに発展しているということ、
ほとんど全てといっても過言ではないけど、
海外、特にアメリカを中心とした音楽の影響が、
我が国にもたくさん入ってきて、
捜索をくり返しながら、
独自の音楽達が生まれていることなんかを、
ちょろろーっと知っていただくきっかけになったら嬉しいでーす。
最近は、ネットでも身近に聞けるようになったラジオのメディアでさえも、
ほとんどこういう大切な事を言わなくなってしまってますからね。
ではでは、今日はこのあたりで失礼いたします。
久々長文になりましたが、
またお会いいたしましょうね!!!
ごきげんよう。。。
また、皆様のコメントなどもお待ちしておりまーす。
今回の曲も含めて、
なんかリアルタイムでのエピソードなんかもあったら教えてくださいね。
お若い方の間奏も聞いてみたいなぁ!!
コメント、リクエストは、返信フォームからおねがいしまーす。。。
(携帯用送信フォームはこちら)
ありがとうございました。
9日は一緒に歌って踊って楽しみましょう!
サポートメンバーでキーボードで参加します。
詳細は ココをクリック!
12日は、マッサージ&おでんでんねん!
詳細は 私のHPから!
23日、奈良でライブします。
これまた詳細は ココから!
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ここ数日、とっても嬉しい事がありましてね、
まぁ、これは、近々、
私のHPのホクホク日記でまた書くつもりでおりますので、
また読んでやってくださーい!
しかし、ありがたい話ではございますが、
今月はやることがいっぱいあって、
ちょっと追いつかない状態でございます。
嬉しいお話とはいえ、
間にライブが入ると、
どうしても練習に時間がとられざるをえず、
編曲のご依頼をいただいているお客様に、
いささか待っていただくことになってしまうのがとっても辛いですが、
なにぶん、私身ひとつで動いておりますので、
個人としても謝ってはおりますが、
この場をお借りして、
あらためて陳謝いたします。
今しばらくお待ちくださいね。
さてさて、今日は、私が幼い頃に影響を受けた、
音楽達のお話の続きをしますね。
我が家には、当時ちょっとしたブームになっていたようですが、
木の箱、つまりは家具のような作りのステレオが一大ありました。
父親のお兄様の紹介で、
当時高かったステレオが、
大変お安く手に入れられたそうな??
子供は触ってはいけませんと、
親から言われながらも、
当時、非常に好奇心の固まりのような私は、
いっぱいいじくってはレコードの針を折ったり、
両親のたばこの吸い殻を、
ステレオのあちこちにはさんだり突っ込んだりして、
ターンテーブルをこわしたり、
でも、これはかすかに記憶があるのですが、
その木の箱のステレオには、、
レコードをしまっておける引き出しがついていて、
そこにあるレコードのいろんな写真、
当時は今よりもちょっと見えていたので、
その写真、つまりはジャケットですねぇ!
そしてその中にある、ドーナツ盤、
つまりはシングルレコードのレーベルのいろんな色がとっても嬉しくて、
それを次から次へと引き出しては、
床に並べて階段じゃぁとかいって遊んだりと、
小学生になった私が母親に、
「どうしてあの時しかってくれへんかったん?いいレコードがあれでいっぱい傷
ついたりジャケットがなくなったりしたのに?」
そしたら、あんなにいたんだレコードにならんかったのに?
と何度も親に連呼したことも覚えていますが、
逆に言うなら、あの時、
それを親が止めていたなら、
おそらく、今機材をいじいじして業務をしている私はまずなかったでしょうね。
つまりは、そこからいろんな音楽も含めて、
機材というものに興味を持つきっっかけになったように思えるからです。
で、前置きが長くなってますが、
そんなにレコードが好きならと、
なんとまぁ、
今の子供達ならなんてことない話なのかもしれませんが、
当時はおもちゃでもけっこうな値段がしたはず、
てんとう虫の形をした、
ポータブルな電蓄を、
私の誕生日に買ってくれたのです。
まぁ、しかってもしかっても言うことを聞かないので、
これでひとまず手を打ったのかも??(笑)
当時、確か4才くらいだけど、
家に父親の友人達がたくさん集まっていて、
その人達と一緒にデパートへ行って、
その与えてもらった小さなプレーヤー!
当時はモノラルで、拡声器みたいな音だったけど、
てんとう虫の形がとっても気に入って、
ずーっと嬉しくてだっこしていたことを、
これまた不思議な事に、
しーーかり覚えているんですよ。
そのプレヤーから、はじめてその、階段にして遊んでしまった、
ひどくいたんだレコードを、
ステレオは触ってはいけないけど、
このてんとう虫のプレーヤでなら自由にしていいという母親の約束を守って、
次々にその階段にして遊んでしまったレコード達を、
何度も何度も聞いていくのでした。
マッチ売りの少女という話しがありますが、
まさにあれですわ、あれ!
寒い夜にマッチを売って生計をたてようとする少女が、
思うように売れず、家もなく、凍える体を暖めるがごとく、
その売れ残ったマッチをすったら、
いろんな優しかった人達や思い出が浮かび上がってくる、
寂しい妄想少女の、
あまりにも悲しいお話だったと記憶してますが、
例えは違えど、
レコードをかけると、音は悪かったろうけど、
そのスピーカから、まるでその人達が上に浮かび上がってくるような、
その人達が、私だけに演奏して歌ってくれてるような?
パリパリとものすごい傷の音をたてながら、
聞こえてくるそのレコードの音からも、
実に鮮やかに浮かび上がる我が妄想!!
そんなふうに思えて、
もう嬉しくて楽しくてたまらなかった、
やはり当時から変な子供だったんです(笑)
その楽曲のひとつに、
私の記憶から、
生涯離れることのない強烈な歌がありました。
両親の青春時代、
昭和40年代初期の、
GSと言われた頃の楽曲の数々ですが、
なぜか私は、この曲におもいーっきり反応してしまい、
何度も何度もそのてんとう虫のプレーヤで聞いた曲、
本当はこの曲のB面がこれまた強烈だったんだけど、
さすがにユーチューブで見つからなかったので、
でも、これが出てくるだけでもスゴイです。
当時のジャケットが移ってます。
あぁ、これこれ、これを自ら破ったりしたんだ、
なんかすごく懐かしくなっちゃいましたが、
これは、フォーククルセーダーズの、
帰ってきたヨッパライという歌があったんですが、
お若い方のために、
またいずれご紹介しましょう!
その影響を受けてか、
はたまたその前だったのか??
ちょっとさだかでなくて申し訳ございませんが、
今ならデジタルで一瞬で、
私の家でもある程度可能な時代になりましたが、
当時は大変な作業だったと思います。
というのは、この歌、
ちょっとした技術が導入されているんです。
当時はリール式のオープンテープでの録音なので、
その回転数を半分のスピードにして、
そこにゆーっくりとそのおそーくなった音に合わせてコーラスを入れて、
もとにもどしたらさぁどうなるの??
そんなアレンジがほどこされたこの曲!
当時、この曲は競作で、
いろんなアーティストが歌っていたようです。
我が家には、ヒット曲のレコードもそこそこあったけど、
どっちかというと、2番手、3番手といわれるような、
有名な人でも、ちょっとヒットからは少しはずれたような歌達がたくさんあった
んです。
でも、それこそが、
私自身が、世の中に出てこない名曲達がたくさんあるということを、
知るきっかけにもなったんだと思います。
しかしまぁ今聞くと、
かなり強烈です。
覚悟してお聞きください(笑)
ちなみに、最後のアレンジ、
私はよく編曲で、
無意識に使っていることが、
これを改めて聞き直して発見いたしました。
やはり、子供の頃の影響って、
良くも悪くも一生涯ですわぁ(笑)
では、お聞きください。
ケメコのうた/ザ・ジャイアンツ
ちなみに、私が中学生になってから知ることになった、
この曲で爆発的にヒットを飛ばしたグループはこちらです。
同じ曲でも、こーんなにアレンジが違うんですねぇ!
歌詞も一部違います。
でも、私の中ではやはり、
ジャイアンツの方が永遠のヒットなんですけどね、
ではではこちらをどうぞ!
ケメコのうた/ダーツ
この他にも、邦楽を中心に、
両親が当時聞いていたシングルレコードが、
いっぱい家にありました。
みんな私の階段遊びのえじきになったレコード達ですが「笑」
せまいアパート暮らしで、決して裕福ではなかったけど、
たくさんのレコードがあった家に生まれた私は、
そういう運命になっていたのか?
あえてその両親を選んで生まれたのか?
まぁそのあたりは、自分で自ら追求はしませんが、
今の私の業務においては、
これこそが運命の?
音楽との本当の意味での出会いだったのかもしれません。
また、この家にあったレコードシリーズは、
是非とも皆様にも聞いていただきたいので、
いろいろ当時の曲達を、
私独自のエピソードとともに、
ご紹介していきたいと思います。
このメルマガをご購読のお若い皆様も、
どうか、こういう曲達が過去にあって、
今のJPOPやヒップホップなどに発展しているということ、
ほとんど全てといっても過言ではないけど、
海外、特にアメリカを中心とした音楽の影響が、
我が国にもたくさん入ってきて、
捜索をくり返しながら、
独自の音楽達が生まれていることなんかを、
ちょろろーっと知っていただくきっかけになったら嬉しいでーす。
最近は、ネットでも身近に聞けるようになったラジオのメディアでさえも、
ほとんどこういう大切な事を言わなくなってしまってますからね。
ではでは、今日はこのあたりで失礼いたします。
久々長文になりましたが、
またお会いいたしましょうね!!!
ごきげんよう。。。
また、皆様のコメントなどもお待ちしておりまーす。
今回の曲も含めて、
なんかリアルタイムでのエピソードなんかもあったら教えてくださいね。
お若い方の間奏も聞いてみたいなぁ!!
コメント、リクエストは、返信フォームからおねがいしまーす。。。
(携帯用送信フォームはこちら)
ありがとうございました。