金曜日、朝7時頃ゴリツィアを出発してコルティーナ・ダンペッツォへ向かった。今回は友達に誘われて急遽決まったので、特に予定のない小旅行。
cortina
cortina d'ampezzo
〔コルティーナの町。ゴリツィアから車で2時間半くらい。〕
 コルティーナ・ダンペッツォは一年中明るい日差しが溢れている町。360°をドロミティの美しい山々に囲まれてはいるものの、少し距離があるせいか山の麓にある町に独特な威圧的空気を感じない。早朝から夕方まで山の陰に隠れないから、気温も高め。世界的なスキー基地、アルピニズモの基地として認知されている。1年中、世界中から観光客がやって来るし、お金がある人は別荘を購入する。町には高級ブランドを扱う店が軒を並べ、職を求めて世界中から人が集まって来る。ユーロ高に加えイタリアの観光地に顕著な物価高が影響し、従来のドイツやアメリカからの観光客が減り、ロシアやチェコ、ハンガリーなど「東」からやって来るニューリッチが急増中らしい。
 コルティーナではピザで昼食を済ませ、早速ミズリーナ湖へ。勿論湖面は凍結しているし、その上には雪も積もっているので、湖というよりは雪原みたいだった。スキー場が近くにあったので、リフトで山を上るとこんな感じ。
misurina2
misurina
 この日は雲1つない最高の天気で、町歩き用の格好でも全く寒さは感じなかった。景色を見たり、バールでホットチョコレートを飲みながら少し日焼けをして、またリフトで麓に降りていった。この時ずっと父子のスキーヤーが滑降するのを上から眺めていた。無理矢理、難易度の高いコースへ誘導された子供がぎゃーぎゃーわめいた挙げ句、転び、”Vedi che succede!!!”(ほら見たことか~!)と父親を罵っていたのがおかしかった。これは多分本来は母親の台詞なんだろう。
 この後クリスタッロのスキー場でのんびり日光浴を楽しむ予定だった。ところが、この世界的な観光地で働く人達とか客のあまりの下品さにびっくり。隣の中年グループは1時間下ネタを連発。逆のテーブルの2人組もこっちがイタリア語を分からないと思って、散々しょうもないことを言っていた。しまいには駐車場管理人にセクハラまがいの悪戯をされ、めちゃくちゃ気分を害した。イタリアの観光地に行くとよく感じることだけど、これはよっぽどこの手のからかいに対して日本人〔女性?〕観光客がされるがままになっている、あるいは喜ぶからなんじゃないかと思わずにいられない。
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cristallo2
(クリスタッロの麓で)
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(バールの裏庭にいた犬)
 この後オーストリアのリーエンツに向かい、ビール醸造工場がやっているホテルに宿を取った。オーストリアでいつも思うのは
・〔イタリアと違い…〕人がよく働くしボラれたりしないので快適・安心
・料理はおいしいけど、種類が少なくて飽きる
・バターの味が濃厚でパンが柔らかい
・ビールはイタリアより美味しい
・クイズのテレビ番組がやたらと多い
国境を越えるだけで、この違い。面白いなあ。
lienz.hotel

 雨が降っていた朝、サン・フロリアーノにあるパラスコスのカンティーナへ向かった。薬学を学びにトリエステに来たギリシア人留学生だったご主人がゴリツィアでホテルを営む家の娘だったスロヴェニア人マイノリティの奥さんと知り合い、この地に残ることを決めたらしい。ちなみに奥さんはマイノリティ学校の前校長で、そこに勤める友達のこともよく知っているようだった。彼らの息子はトリエステ大学経済学部を出たばかり。ギリシャ語、スロヴェニア語、イタリア語、英語、(ドイツ語)を操れるというサン・フロリアーノではちょっと珍しい青年だった。
 99年からここで生産を始めたというかなり新しいカンティーナだけれど、二酸化硫黄を洗浄以外では一切使わないとか、色んなこだわりを持っているらしい。イタリアの近隣地域よりは海外市場に向かうオスラヴィアの生産者とは違い、この地に強い根を張っている奥さんの実家ナヌットゥ家の支えもあってか、生産量の半分くらいはゴリツィア周辺でさばけるのだそうだ。サン・フロリアーノやスロヴェニア側のコッリオ(ブルダ)に畑を買い急速に生産量や生産種を増やしているときき、カンティーナの案内や試飲の後に畑の案内をしてもらうことにした。おじさんがアグリ・ツーリズモをやるつもりで買ったという小さな家の側にある新しい畑に着く頃には、雨が上がり、ゴリツィアの景色がキレイに見えた。
  この後オスラヴィアの麓にあるダリオ・プリンチッチさんのカンティーナを昼食ついでに訪問。彼はオスミツァみたいな雰囲気の飲み屋を11時から1時と、夜も数時間だけやっていて、電話で食事の予約もできる。私たちが着いたときにはF.V.G.州の地元紙ピッコロのグルメ記事ライター2人が来ていたお陰で、予約なしで昼食を一緒に取ることが出来た。4、5種類の瓶詰めワインを試飲し、プリンチッチさんが作ったという揚げウサギや のヒレ肉のステーキなどを食べながら、〔ここには書けないけど〕色んな話を聞くことが出来た。オスラヴィアの生産者の近況とか人間関係、過去の話がやっぱり一番面白い。
 プリンチッチさんのところで別の生産者カステッラーダ(ベンサ)の息子ステファノにたまたま会って、急遽そっちにも向かうことになった。これがすごかった。前に会ったときにも本当に話好きな親子(とうか父)なんだなあ、と思ったけど、今回3時半に着いてそのまま5時半くらいまで「庭で」世間話になってしまった。それもワインとは全然関係ないことばかり…。5時半にはグラウナーの愛弟子ダミアンのカンティーナを訪問する約束をしていたのに、この時間になってベンサのところの試飲が始まるという有様。終わったのは7時半で、結局ダミアンは別の機会に、ということになった。
 私は体力的にしんどくなってここで失礼したけど、ソムリエ氏はさらにサン・ダニエレに近い小さな村落Melsのリストランテまで出かけて行った。「いつもは仕事で忙しいし、日本に帰ったらこうやってイタリアまでレストラン巡りに来る機会はなかなかないから」とは言うものの、これは体力勝負以外の何物でもない。先の見えない不安を抱えながら自分に投資をし続けて勉強を続ける辺り、研究の世界と似ているようにも思えた。
 それにしてもサン・フロリアーノやオスラヴィアの生産者はみんな本当に親切だった。ただそれもこれも彼ら深い友情を築くことに成功したインポーターさん達の影響力のお陰。みんな若くて個人で頑張っている人達なのに、地元の生産者の信頼を得て、競争的な日本のワイン市場で勝ち残っている。本当にいい仕事をしているんだなあ、とつくづく感心した。
さんが来た。イタリアのあちこちでワインやら料理やらを修業中のソムリエさんで、この地方の白ワインを試飲したり、リストランテやトラットリア巡りをするのが目的らしい。経済的に厳しい修業時代に、あらゆるレストランを回り、試飲、試食を繰り返しても、将来何の保証もない。そういう境遇には大きなシンパティアを感じる。
 初日の夜にはカザルサというパゾリーニの故郷にある900ノヴェ・チェントというレストランに行ってきた。というのも地元の名だたるレストランはみんな予約で一杯か閉まっていたから。実はこの日はサン・ヴァレンティーノだったということをカザルサでようやく思い出した。サン・ヴァレンティーノはイタリアでもかなりどうでもいい類の新しい商業的なイヴェントらしく、無視する人は完全に無視する。
 食事は魚介類をメインにしたサン・ヴァレンティーノ・メニューで、軽くおいしく食べられた。チョコレートづくしのドルチがなかなか美味しかった~。
http://www.ristorante900.it/
〔ゴリツィアGorizia〕

修道院経営で男性客のみ。インターネットの接続とか洗濯機とかもあるらしい。場所は少し不便。
http://www.convittosanluigigorizia.it/SLuigi/index.htm

修道院経営で女性客のみ。場所は不便。
Via Vittorio Veneto n. 185_34170 GORIZIA
Direzione Pensionato Studentesco
Tel: 0481/531651 - Fax: 0481/531659

お城に行く途中のB&B、場所がいい
http://www.alcastellogorizia.it/

〔サン・フロリアーノS.Floriano〕
どちらもローカルな料理がおいしく食べられるトラットリア付。

Korsic
Loc. Sovenza, 7
Tel. 0481_884248

Vogric
Loc. Uclanzi, 23
Tel. 0481_884095

州の観光推進オフィス〔ゴリツィア〕
giubileo.11@adriacom.it
fax 0481_386227
 ゴリツィアの貸部屋では結構こういうのが多い。それぞれの友達や恋人が常時出入りするから、女性専用とか客は泊めないとか、そんなルールは結局有耶無耶になってしまうのだ。元から親しい友達と住むなら何の問題も起こらないのだろうけど、赤の他人がルームメートになる場合上手くやらないとこじれる可能性がある。
 当たり前だけど、きちんととコミュニケーションを取ることが一番大切だと思う。調子を訊ねたり、自分の方から相手が共同生活に不満がないか聞いたり、食べ物を分けてあげるのもいい。それから闖入者である彼氏が低姿勢を保ち、ルームメートに対しても陽気に親しく接すること。恋人がいくら暇な学生でも、シャワーを毎日2回とか使わせると後で光熱費が2倍請求される可能性がある。資力があれば頻繁な差し入れで相殺する手もありか?
 今、サルダ〔サルデーニャ出身〕のパオラと住んでいて、彼女のボーイフレンドが入り浸り状態。本当に毎日いる。春休み中で、昼も夜も家でゆっくり料理・食事するし、我が家にはリヴィングがないため、テレビ、勉強も台所。とにかく1日中、夜中まで台所に居られるので大分うんざり。 勿論、お風呂や台所の使い方も汚くて、掃除させても焼け石に水。夜中3時4時まで2人で活動するので、頻繁に目が覚めてしまうのが一番辛い。さらに現在彼女の3人のゲスト(サルデーニャの人らしい)が滞在中。明るくて楽しいけど一緒には住めない、っていうタイプ。
 火曜日の午後から、日差しの強い春のような陽気が続いている。庭のミモザの花もきれいに開き、レムーダ公園ではもうプリムラ(サクラソウ)とかクロッカスが咲いていた。2月半ばだというのに、どこを歩いても去年の3月末のような雰囲気だった。
mimosa
(ミモザ)
primula
(プリムレ)
クロッカス
クロッカス
(クロッカス)
remuda.sentiero
(レムーダ公園の小川)
 散歩ついでにどこかのトラットリアで昼ご飯でも食べようかとレムーダの馬場からサン・マウロ地区の辺りまでふらふらさまよっていたとき、偶然友達に遭遇。
sabotin
oslavia
(サン・マウロ地区からみるサボティン山とオスラヴィアの白い納骨堂)
 お腹の空いた私をおいしいトラットリアまで連れて行ってあげよう、と言ったものの、どこも閉まっていた。商人の町ゴリツィアではお店が休みになる月曜はレストラン、トラットリアは開いていて、火曜日定休のところが多いのだ。ついでに水曜日も閉めるところがあるから、要注意。
 ちなみに今回寄ってみたのはコッリオのアグリツーリズモも含めて合計10件くらい。全部閉まっていた。仕方がないのでパニーノもやっているバールで降ろしてもらった。昼下がりからカードで遊ぶおじさん達がいつもたむろっている店だ。そこからイゾンツォ川沿いに道なき道を歩いてゴリツィアのチェントロまで戻った。道中なかなか美しい景色も見られた。
ponte
(イゾンツォ川に架かる橋)
 2月12日、月曜日は雨だった。帰国を前にやることが沢山あるのに、雨が降ったりすると計画が停滞してしまう。チェロの前に友達とお茶を飲んで、ついでに車で楽器を運んでもらった。学校に来る前に事務(というか窓口にいる友達)と電話して「後1ヶ月くらいで日本に帰る」と漏らしたら、マエストロにまで伝わっていた。発表会を出発前にやろう、と言ってくれたけど、みんなの都合もあるからどうなるか分からない。今日は好きな曲の話になって「ブラームスのソナタ2番は難しいですか?」と聞いたら「うん」と言われた。「でもいつかやろうよ」と言ってくれた。
 行きがけに「帰りはどうしようかな」と心配していたら、「学校に置いていけば?明日なら取りに来てあげられるけど」と言っていた友達が、なんとレッスンの後迎えに来てくれた。親切に家まで運んでくれたのはいいんだけど、雨の夜にライトがついたままの車から大きな荷物を運び込んでいる姿を下に住む夫婦に見られたらしく、翌朝大家さんから「何が起こったの?」という電話がかかってきた。曰く、「警察か救急車が来たって言うじゃない」??。
 1年以上住んでいたって、ゴリツィアの外から来た人間のことなんて信用できないのだろう。同じく下に住む老未亡人は共同の入り口の扉の鍵をもっと早く閉めろ、とうるさい。とっても嫉妬深くて、猜疑心が強い人達なのだ。秋には彼らの落ちた柿の実で自転車が始終汚れていたし、落葉の掃除までしてあげた。大音声でロックの生演奏付パーティをやっていたって文句を言ったこともないのに。ま、いいけど。
 メデアッツァでは年間を通して農家がオスミツァを順番に開業するから、いつ行ってもOKなのだということに今更気がついた。
 金曜日はスロヴェニアはノヴァ・ゴリツァのバールで友達と一杯飲んで、土曜は別の人とメデアッツァのオスミツァへ行ってきた。どちらもスロヴェニア人の店なんだけど、国境を越える大きく変わることが1つある。〔たとえスロヴェニア系の集落であっても〕イタリア側では厳格に禁煙が守られているのだ。
 今ゴリツィアで問題になっているのは赤信号の罰金制度。町中の信号という信号にカメラが設置され、厳格に罰金が取り立てられるに至り「黄色は突っ込め」という町の人の認識に変化の兆しが出てきたようだ。禁煙、赤信号、シートベルト、とある種の問題〔多くは罰金が科せられる場合〕には非常にきっちりと取り組むゴリツィアーニを見ていると、非効率な公共機関の運営も彼らの意識次第でいつかなんとかなるんじゃないか、なんて淡い希望をもってしまいそうになる。
 日曜日は久々の快晴だった。2月の日曜日はあちこちでカーニヴァルをやっていて、この日は地元ゴリツィアやムッジャでも。午前中はいつもより賑やかなゴリツィアの町を後に、Devetakiデヴェタキ、Doberdo,ドベルド、Rubbiaルッビア等、ゴリツィア近郊のカルソをうろうろしてきた。ドベルドの集落ではカルソの窪地ドリーナでブドウ栽培や畑をやっている農家を結構見かける。ドリーナは土の養分が貧しいカルソの地では比較的肥沃といわれているかららしい。ルッビアの城も大分改修が進みなかなか格好良くなってきた。今年の観光シーズン〔復活祭の後〕から営業を始められるのかもしれない。
 午後もトリエステの方は晴れているようだったので、Muggiaムッジャ、Ankaranアンカラン、Koperコーペルの辺りまで遊びに行ってきた。キャンプ村もあるスロヴェニアの海のリゾート、アンカランにはイタリア中のサッカー選手が治療に訪れる有名な整形外科の病院がある。そんなに有名な病院がイタリア側ではなく、スロヴェニア側にあるというのが面白い。ひょっとすると設立はWWIIの前、イタリア領の時代だったのかもしれない。
 本当にいい天気で海辺はとても気持ちよかったんだけど、コーペルに着く頃には体が冷えてしまった。海辺のバールでウィスキー入りのホットチョコレートを頼んだら、これが運ばれてくるまでなんと30分。しかもウィスキーにチョコが混じったような(全然ホットじゃない)のが出てきてびっくり。一口でも食道から胃に移動するのが分かるくらい強くて、さすがに交換してもらった。それにしてもスロヴェニアに入ると途端に商売っ気がなくなるのが面白い。ポルトロージュはまた少し別なんだけど。

koper
〔コーペルの海。イタリアより押さえた使用料を設定しているお陰で世界中の船が停泊するようになった。〕
 やっとBertolucciのThe Dreamersを見た。「え?こんなのテレビでやるの?」という映画を見られるのは、イタリアにいてよかったなあと思える瞬間。私は初期のBertolucci作品が結構好きなんだけど、最近のはイマイチ。ただこの作品に限っては、キャストとか舞台設定がなかなか面白そうで、「ひょっとしたら?」と期待していたのだ。でも結局あんまり面白くなかった。勿論見るべきところがなかった訳ではない。双子のお兄さんTheo役のLouis Garrelの美貌とか、アメリカ人Matthew役のMichael Pittがフルフロンタルで頑張っていたり、幾つか印象的なシーンもあった。でも肝心な60年代末パリの社会動乱にしまりがない。これは双子とアメリカ人の間の緊張感の高まりの象徴なんだから、もう少し緊迫させられなかったのかなと思う。ついでに言うと、3人の関係以前に双子とその両親の関係もあまり上手く描けてなくて、最後まで違和感が残った。ねじれるにしてもねじれ切れず、「キレイで軽いヨーロッパ映画」。でともあれ、随所に挿入されている古い映画のシーンを見ているだけでも気分がよくなったから後悔はないけど、DVDを買わないでよかった。