私は仕事が立て込んだりすると「大繁盛」と言ったりします。
あるとき大繁盛を使いすぎて(笑)
自分ではさばききれないことがあって、
恐くなって使わなかったら今度は閑古鳥(爆)
だから頻度を考えて使うようにしています。
心に思うことがあっても
そのままに口には出さない癖が付きました。
口から出た言葉は自分を縛り上げる「縄」になります。
だから、柔らかなリボンのような言葉で自分を飾ります。
そうすると、現実もそのように変化します。
言葉には魂があります。確実に。
それは口から出て、耳から脳へ・・つまり自分へ戻り
また口から出てくる循環なのです。
最近自分でも反省している言葉があります。
「面倒く○い」という言葉です。
もちろん本気でそういう言葉は使っていないのですが
ダンナとのやり取りで冗談ぽく使ってしまうことがあって、イカンな・・と思っていました。
その途端、昨日の朝刊で
森のイスキアの佐藤初女さんのことが書かれていて
初女さんは「面倒くさい」という言葉が良くないと言ってらしたと。
「ほらきたっ!」と、思いました(笑)
手をかけること、を大切に考えなさいということですよね^^
なので、今日は小樽へ。
ちょっと心配な病状の友人と元気な友人と、時間を分けて二人にあってきます(*^-^)
あるとき大繁盛を使いすぎて(笑)
自分ではさばききれないことがあって、
恐くなって使わなかったら今度は閑古鳥(爆)
だから頻度を考えて使うようにしています。
心に思うことがあっても
そのままに口には出さない癖が付きました。
口から出た言葉は自分を縛り上げる「縄」になります。
だから、柔らかなリボンのような言葉で自分を飾ります。
そうすると、現実もそのように変化します。
言葉には魂があります。確実に。
それは口から出て、耳から脳へ・・つまり自分へ戻り
また口から出てくる循環なのです。
最近自分でも反省している言葉があります。
「面倒く○い」という言葉です。
もちろん本気でそういう言葉は使っていないのですが
ダンナとのやり取りで冗談ぽく使ってしまうことがあって、イカンな・・と思っていました。
その途端、昨日の朝刊で
森のイスキアの佐藤初女さんのことが書かれていて
初女さんは「面倒くさい」という言葉が良くないと言ってらしたと。
「ほらきたっ!」と、思いました(笑)
手をかけること、を大切に考えなさいということですよね^^
なので、今日は小樽へ。
ちょっと心配な病状の友人と元気な友人と、時間を分けて二人にあってきます(*^-^)