先週、たまちゃんが遊びに来ていた時のこと。

「実はね、本当はこの世には私しかいないのよね。

目の前にいるたまちゃんも、今私の中では私が作ったたまちゃんで、

たまちゃんにとっては私もそうなのよ」



「いい?でもね。

一般的には(私の中の世界の一般的なので情けないけど)傲慢な考え方に聞こえるかもしれないの、

だから本当はそのことを話す必要もないし、このことを理解するのは自分だけでいいのよ。

それと並行して、あるいは交差して、違う世界もあるんだと思うから」

「でもそろそろそのことをアナウンスするときが来ているんだと思うの。だから口に出してみたんだ」




たまちゃんは目玉がぐるぐるで(笑)

何とかわかろうとしてくれているのがわかる(笑)




そして私が試みた説明を、ここには少しわかりやすく書いてみました。




クレイアニメのように、くにゃくにゃ動く粘土で「私」が作られているとするよね?

その粘土の私は、粘土の土台の上に立っているわけ、

そして、その土台は、私の目に見える範囲に広がっているの。

(本当はもっと遠く宇宙までだけれどもね)

その土台からはいろんな人が「生えて」いるわけ。

人だけじゃなく私に見えている分のモノも植物も生えてる。

それらすべては私の責任で生えているのよね。




どうしてか?って?

私の中のものが、少し離れた場所でそうやって生えているから。

目から見れば離れているけど、足元の粘土は少し先でそれを生み出しているから。



つまりは誰が何を言おうと、それは私の中のモノなのよ。

にょきにょきと私が生み出したものが私の周りに配置されているということだから。





そしてそれはたまちゃんにとってもそうなの。

今たまちゃんの目の前の私は、たまちゃんがにょきにょきと生やしたわたしなんだよ^^

それを3次元で考えると同時には存在しないんだけれど

5次元6次元で考えていくと、同時に存在することはちっともおかしいことではないわけよ。





でもね。今そのことを考える必要はないの。

だって、じゃぁ何をするのか?と言えば

自分を見て自分の中をケアして自分を育てることしか、できることはないから。



私に関係するすべては私から、生まれているの。

誰のせいでも、社会のせいでも結局は無いの。




「考えてみる・・・・・」と、目玉ぐるぐるのまま帰った、たまちゃん。





そう、私たちはすべてを「創造」しているんだと。

今朝、私の前に登場してくれたおじさんがいるから、おじさんの話を聞いてみてね^^

すごくわかりやすく話してくれているから^^