7月16日は送り火でした。


何処の里の慣わしか、迎え火送り火をまたぐ方、いらっしゃいますか?
私の実家は火の勢いがおさまったころに一人ずつ跨ぎます。ほうらくと言う素焼きの皿のような器でおがら、一般的には麻布にする外皮を剥いだ後の茎を燃やします。うちのスタッフの福島会津出身は、白樺の皮を燃やすといっていますから、まあ、ところ変われば品変わるということでしょうか。


さて、古来より麻は日本では清浄な布であり大切な経典を麻布に記したり、麻には不浄な物を遠ざける力があると信じられてきました。いまでも宮中の行事、神社の神事では麻のお召し物で執り行われることもあり、その麻の茎を燃やす火にも特別な力があるというわけです。その延長上で迎え火送り火の上をまたぐと災厄を避けるという行為が自然発生的にあちこちで行われたのでしょう。・・・多分。そして迎え火の火は墓地にお参りして提灯に火を移し、その火で焚くのが正式らしいです。母方の祖母は気丈すぎるほど気丈な女性で、90歳近くまで東京の下町でしゃんと一人暮らししておりました。ある年のお盆の夕方、歩いて15分ほどのお寺さんに元気よく出かけました。黄昏時、提灯片手の帰宅途中、あろうことか風にあおられ提灯が燃えだしたそうです。後日、近所のおじさんが 『道の向こうからボウボウ燃えてる提灯を持って歩いてくる婆ちゃんみたときはたまげたよ』と話してくれました。死んだおじいちゃん、帰りたくなかったんじゃないの~?と親戚ではもっぱら。ってか危ないからそういうときは手を放しなさいよ!おばあちゃん!いまは祖母も彼岸の人となりました。


ついでに申しますと 実家では火を跨ぐときにお願い事も唱えるようになり、送り火で花火をするようになり、こうして慣習と言うものは家々で独自の発達を遂げて行くのですね。日本のそれぞれの土地だけで市民権を得ている食べ物とか食べ方を取り上げた県民ショーとかいうテレビ番組がありますが、さもありなん。テレビを見て笑っている自分こそ不思議な習慣の持ち主かもしれません。


いよいよ旧のお盆、というか本来のお盆の時期ですね。                            彼岸のターミナルも混雑することでしょう・・・それはないかな。



東京ぼん太(古~い)のことではありません。
浅草のほおずき市が昨日今日と行われております。


この日にお参りすると四万六千日参詣したことになるというありがたくも無茶ぶりな行事です。だって1日で約126年分相当ですよ。一生でこの日に1回お参りすればお釣りが来ます。毎年行っている人はいかに輪廻転生しても行かなくてOKってこと。観光地のお寺としては大胆です。この2日間だけ頂ける(お守りは価格がついていても買うのではなく頂くです。だったらお志にしたほうがと思うのは私だけ?)『雷除け』守り。友人のライターが【プチプレ】の本を出した時にサラリーマンの彼氏【上司のカミナリが落ちませんように!】って渡すのはどう?と推薦しておきました。年に2日限定の希少価値もございますしね。あ、ついでにご近所の飛不動さんのお守りは海外出張の多い方に人気だそう。話がどんどんそれていきました。

お題は、ほおずきとお盆
鬼灯と書いてほおずき。漢方の世界では酸漿と書くそうですが。盆棚をしつらえながら「ほおずきは、お精霊さんがお帰りになる道を照らす灯りなんだよ」と教わりました。鬼火とごっちゃになって少し怖い気がしました。冥途からいらっしゃるときは胡瓜の馬に乗って早く、お帰りになるときは茄子の牛でゆっくりと。お盆の時は彼岸と此岸の境がゆるやかになるようで亡き人たちが身近に感じられます。といっても熱心な仏教徒というわけではまったくなく、むしろ土着の風習に近い感覚ですね。不思議だったのはお盆のお墓参りをして、さあご先祖様家に帰りましょう・・・するってぇといつも拝んでいる家の仏壇には誰がいるんだ?牛に乗って帰っちゃったらお仏壇は空っぽ?だいたいいつもご先祖さまが後ろにいて守ってますよっておばあちゃんは言うけどそうしたらお墓は留守になるの?交代制か?まあ、分身の術が使えるのだろうなと自分を納得させました。せっかく棚経にいらっしゃるのだからお坊さんに聞けばいいものを子供って妙なものです。ほおずきは夏を越えて段々に枯れていくと袋の葉脈だけが残ります。レースのようになったその中に赤い実が透けて見えるようになると金灯籠」英名でチャイニーズランタン。ランタンというせいかなんだか灯が恋しい冬めいた空気を感じます・・・。実のところ秋頃には枯れかけたホオズキの鉢植えが浅草中の軒下にゴロゴロしていますけどね


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観音裏、読んで字のごとし観音様の裏、言問通りを渡りかつては一世を風靡した花柳界を含むもの・・・
まあ 静かなエリアです。
私どもはその北の果て、新門の頭に『ここは浅草のシベリアだな』と言われた奥座敷。
まあ、シベリアからしか見られないクレムリンの真実があるんだよ~ん。
スカイツリーだって間近だと上まで見えないでしょ。
 
昔、【表日本・裏日本】という表現がやり玉にあがり
【太平洋側・日本海側】となったのは
すっかり定着しました。
ここ観音裏でもそれを彷彿とする現象、最近は奥浅草と言いましょう!!
という運動が活発です。
【浅草の奥座敷】ということらしいですが
大抵観光地でも【奥座敷】って表現のところは
すごく奥まっていて・・
未踏の地というか【落人の隠れ里】的な匂いですな。
山菜と鹿や猪鍋に秘湯。個人的には好きです。
 
世の【ゆるキャラ】ブームに乗って【おくあさちゃん】という女の子キャラクターも登場しています。
ネーミング的にどうよ!?と思うのは私だけ?【おくあさちゃん】
そしたらヒール役で【なかみせちゃん】も登場させたい。いや、ちがうな。
白鳥麗子的存在にして、おくあさちゃんは『巨人の星』のアキコ姉さん。(例えに年齢ってでますね。)
 
実際、おくあさちゃんは確か8歳だかそこらのお祭り好きのお嬢。
職人の娘っていうプロフィール。
でも個人的には浅香光代センセに酷似している・・・と思う。
とすると高須クリニックの院長にも似ているという方程式になります。
 
観音裏は浅草の花柳界、私の小さなときは観光用ではなく乗り物として
人力車も走っていて料亭も華やかなりし時代・・・の最後の頃。
 
祖母はよく【玄人】【素人】と言う表現を使いました。
派手な人でしたが決して玄人の域に入ってはいけない、素人が玄人の真似をするのはみっともない。
また玄人さんが奥様みたいな格好をしても分かる人には分かる。
長じて宮尾登美子さんや平岩弓枝さんの一連の作品を読んで「ああ、こういうことか」と合点いたしました。
 
着物の趣味から髪の結いあげる大きさ、お太鼓の大きさ、位置、衿の抜き、衿の合わせ。
大人相手に話すその傍で無邪気にママゴト遊びをしながら私の耳はダンボでした。
 
今で言う基礎化粧品にはお金も時間も惜しまず肌を磨き粉おしろいに頼らないのが彼女の矜持だったのでしょう。
80歳過ぎても肌自慢
誰かれ構わず何かと言うと袖をめくり肌をさわらせるのは困りものでしたが。
 
 素人さんへのほめ言葉によく【小奇麗】【垢ぬけた】という言葉を使いました。
最近は耳にしませんね。
こういった言葉。
 
着物だって着たいように着ればいい、小難しい事を言うから着物が衰退していくのだとよく耳にします。
小難しかろうが譲れないこともある。そしてきちんと知ったうえで着るならそれは自由です。
 
着物を着る、ということを通しても自分の置かれた立場、求められていることを確認していくことが出来るからです。
 
それが出来る女性は絶対に公共の乗り物の中で化粧はできません。
通勤電車でパンをかじることもしません。
 
でもいまやありふれた光景ですものねえ。
お化粧している最中に例えば上司や先輩に声を掛けられたらどういう反応するのか興味ありますよね。