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あなたの生命の輝きを見出し、この地球に生まれてきた目的・願いの実現を応援する

いのちの大切さを分かち合うことを目的に、すべての人(母と子)が命をかけてチャレンジした「誕生」を軸に、
「出産」「いのちの軌跡」「胎内記憶」「魂の神秘」などをテーマとしたバースカフェイベントのガイドをしています。

[LOCAL 세계  이승민 특파원]

2020년 1월4일 


  [LOCAL世界イ·スンミン特派員] 

2020年1月4日に出されていた

韓国語の記事を

日本語に

翻訳させていただきました。

(1部編集しております❣️)


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▲生死(いきたひ)の映画監督
長谷川裕子

一生一死は真理です。 


社会団体、公共団体、宗教団体など

各種団体から映画上映の要請が

相次いでいる。 


生死をテーマに

ドキュメンタリー映画を製作し

日本列島に感動の波で波紋が広がりながら巡回公演する映画監督がいる。

 

話題の映画監督

長谷川裕子さんへのインタビューを

お届けします。




 - 自己紹介


秋田県出身、故郷で高校を卒業し

進学のため東京に移住し

大学生時代からアナウンサー、作曲家、作詞家、歌手(HIROKO)として活動をしていました。 

薬学博士だった長谷川秀夫氏と出会って1988年結婚、2男2女の子供にも恵まれ幸せな家庭を築いて暮らしていたのですが、夫が癌にかかり闘病生活が始まりました。 

当然回復すると信じ切って病床資料のために映像撮影をすることにしたのですが、予期しないまさかの臨終の瞬間を迎えることになってしまいました。 最期を迎える時、家族と一緒に送別式を行いました。 

2009年のことでした。当時、夫の年齢は47歳でした。 

夫は家族に暖かく見守られ、たくさんの愛を受け取りあの世へと旅立って行ったのです。


▲2019年2月27日、韓国で初の映画上映で長谷川監督自ら講演をした



-映画監督になった動機は? 


まさかこんなにも早く別れの時を迎えるなんて思いもよりませんでしたが、夫は幼い子供たちの前で目を閉じました。 悲しくて憂鬱な日々の連続でした。 生と死について悩み苦しみましたが、死は決して恐ろしくて怖いものではなく「一生一死」という真理を徐々に受け入れられるようになりました。 

夫を送ってから3年後、心境の変化が起こりました。それをきっかけに映画制作を決意。 

脚本·ナレーション·編集·作曲·演奏·歌など、ほとんどすべてを自ら担当し、2015年4月に映画を完成させることができました。 夫の闘病生活、臨終の瞬間、死などをドキュメンタリーで製作し、映画「生死(いきたひ)」が誕生したのです。 映画を鑑賞した観客の皆様の噂、口コミで「映画を見たい」という声が途絶えることなく、これまでに日本はもちろん米国、韓国でも上映、各種社会団体からの要請で570回以上(2023年5月現在)招待を受けて上映をしてきました。 



-人間の生命に対する見解は? 


誰一人として間違いなく私達は先祖から生命を受け継ぎ、生命のバトンを受け取って今を走っています。 祖父と祖母が結婚しなかったら、父が生まれておらず、父と母が結婚していなかったら、今の私は存在しません。 先祖達は私を通じて、私は先祖達を通じて永遠に生きているのです。 先祖と私は特別なご縁の中で一つの生命を永続させています。 私一人を見れば一生一死ですが、生命の観点から見れば先祖と私は一つですから、子孫がいる限り死なずに永生するのです。




▲長谷川監督が自宅前で、夫の長谷川秀夫博士が研究していた高麗人参を見せてくれた


-どう生きることが

豊かに生きることなのか? 


生命のバトンを受け継いだ私達は最善を尽くして生きるべきだと思います。 私の生命が貴く尊重されるべきものであるなら、他人の生命も同じように貴く尊重するべきです。 隣人と家庭のために最善を尽くして暮らし、最期の日を迎えるべきだと考えています。 先祖から受け継いだこの生命を尊いものとして大切にし、しっかりと整えながら生き、次世代に美しく譲ってあげることが、生きていく者の最も重要な責任では無いでしょうか。 



-最期を迎えるご主人に対して

子供たちはどんな言葉をかけたのか?

 

夫がこの世での最期を迎える時、私たち家族は夫を囲って送別式を行いました。 私と4人の幼い子供たちが夫の周りに座り、手を握りながら口々に言いました。 

「お父さん、僕たちは大丈夫だよ。」「家の事は心配しないで安心して行ってね。」

「今まで本当にありがとう。」

「これまでお疲れ様でした。」

「お父さんの息子で娘で良かったよ。」

子供たちの話を幸せそうな顔で聞いていた主人も「これまでありがたかった。もし嫌なことがあったとするなら許してくれ。」「みんながここにいてくれて、この瞬間が幸せだ。」と微笑んで子供たちに答えてくれました。 お父さんと過ごす最期の夜を、同じ布団の中に潜りみんな一緒に寝ました。 最期の夜を過ごした後、6人家族だった私の家族は5人家族になってしまいました。




▲長谷川監督のインタビューが終わって記念撮影




-ご主人が裕子さんに残した

言葉がありますか? 


死を受け入れた夫の顔は、意外と穏やかでした。 安心しきった顔で私に言ってくれました。 「人生が厳かなものでしたが、今この瞬間、さらに厳かです。 あなたの心を傷つけてしまった日々を後悔しています。 あなたの前で謝ります。 死を受け入れます。 この世で私とご縁があって一緒に泣いたり笑ったりしてくださった皆さんに感謝します。 私は癌と共に生きて、今、癌と共に死を迎えます。 これまで癌を恨んで憎んでいました。 癌に対して申し訳なかった。 子供たちにも申し訳ない。」

と夫は最後の言葉を残して逝きました。 



-臨終を迎えるご家族に

どんなメッセージを伝えたいですか?

 

何の心配もせずにあの世に行けるようにしてさしあげてほしいと思います。 生きている時に良くしてあげなければ、死んでから良くしてあげたいと思っても何の意味もありません。 人間は病気があっても、病気が治ったとしても、いずれは死にます。 死んだらこの世にすべてを置いて去って行かなければなりません。 去る人にこの世に未練を持たせたまま逝かせてはいけません。 楽に逝けるようにしてあげるべきです。 旅立つ方に優れた医療で死なせないようにすること以上に、安心して楽にさせてあげて、幸せな気持ちで送ってさしあげることが何よりも重要だと思います。 




▲ソウルで上映会を終え、次女と共に記念撮影


-「映画·生死(いきたひ)」で

伝えたいメッセージは? 


昔は家で生まれて、家で死にました。 しかし、いつの頃からか、病院で生まれ病院で死を迎えるのが当たり前になってしまいました。 映画「生死(いきたひ)」は誕生と死を家で家族と共に迎えることができるならば、どれほど人生が美しくロマンチックかをお見せしています。 最善を尽くして生きているすべての人々を応援する、誰もが死ぬ、心配しても死ぬし、心配しなくても死にます。 死ぬ日まで心配しないで精一杯生きよう、 死んでからも傷を持っていくことなく、 すべてを許していきましょう。 死を迎える瞬間 ”死にたくない” ”悔しい” ”もっと生きたい” ”悔しい”などといった姿を家族に見せないでください。 死は恐ろしいものではありません。 死も人間に与えていただいた祝福であると考えます。 死を受け入れて、感謝してください。 死ぬ瞬間「今が最高に幸せな時間だ。」と家族に話せるならば、素敵な人生だったと言えるのではないでしょうか。




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