毒親の離婚、自身の離婚、3人の子供の子育て・・・

毒親の離婚、自身の離婚、3人の子供の子育て・・・

毒親、毒妹より先に死んだ時、遺された子ども達が振り回されることのないように、私の人生の振り返りを兼ねて記録を残しておきたい。気まぐれ更新しながら、私の気持ちの整理も兼ねて振り返りたいと思います。

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長々ダラダラ書いてしまったけれど、今回母と妹のことで私が初めてはっきり言葉に出来たことがある。


言葉に出来たって、口にした訳じゃないけど。。。


母と離婚している父も含めて、3人は【私の気持ち、感情は一切関係ない、無視】なんだと。


自分たちの都合や理想、思い込みで「お姉ちゃんはこうあるべき」「お姉ちゃんはこうなはず」と決めてかかるのだ、むかしから。そして実際の私がそうでないとなれば「わがまま」「強情」「薄情」「めんどくさい」云々


大学入試、最後の発表も不合格だった時(最終的にはその後受けた所だけ受かったが)、何か用事で外出した隙に部屋の片付けをし、当時付き合っていた元旦那を家に呼び出していた。「落ち込んでいるからそばにいてやって」だったらしい。家に帰ったら元旦那が来ていた。


いやいや誰にも会いたくなかったし‪( ;ᯅ; )‬

なんなら一番会いたくなかったし。


彼を招くなら「キレイな部屋にしておくべき」と必要な物さえ勝手に動かしたりしてふたりが思う【彼を呼ぶ時の部屋の状態】にして勝手に呼び出していた。


私が困ったり悩んだりすることに対しても「こうあるべき」「あんたがそんなんじゃ恥ずかしい」、なんでもかんでもそうだった。

でも私にお金をかけることも「無駄」だし、私が誰かに認められるのも「面白くない」し、かといって何かしら不格好と感じると「恥ずかしい」「臭いものには蓋」。なんなら連れ立って歩くのは恥ずかしいから「あんたは来るな」


もう、思い出して綴ることも馬鹿らしくなってきた笑


愛情の裏返しと情けをかける気持ちもなくはない。

ただ、もうそんなことして自分を犠牲に生きるのは止めたのだ。叔母が亡くなってからは特に。

遺された叔父を犠牲にしてまで、私はあの人たちとはきっぱり線を引くと決めたのだ。


いつか私がいなくなった時に子ども達が「大好きなお母さん」である私を否定されても「そうじゃない」と言いきれる証拠を遺すためのブログがこれなんだ!

(大好きだと思ってくれる、なんなら「お母さんが大変な思いをして育ててくれたから、世の中のお母さんや子ども達を助ける仕事がしたい」と励んでくれている子ども達が尊いし、何がなんでも守り抜いて私は死にたい)