まず今日も無事一万歩歩くことができた。

これで4日連続の快挙である。

快挙ではないのだが、それはもう昨日書いたので割愛させていただく。

 

 

別に証拠というわけではないが、4日連続一万歩

 

 

 

未明に目覚めるとメルカリで一点売れていた。

 

 

昨日買っていいですかと聞いた人とは別の人が買主だった。

その段階では支払いが済んでいなかったので

いつもの早朝にはファミリーマートへ行かず

支払い連絡があった日中に歩いてファミリーマートまで行った。

正直、バイクか車か徒歩か少し悩んだ。足に疲れがたまっていたからだ。

結局、ここで妥協したら何に対してだか不明だが「駄目だ」と思ったのと

天気も良かったので徒歩を選択した。

 

早朝と同じ服装で歩いていたら、すこし暑さを感じた。

 

 

 

さて、そろそろ本題に入る。

それにしても田舎の道は退屈だ。

水路や川を覘いても魚がいるわけでもなく

あるのは水田、ハスの田んぼ?

農道、手入れされていないヒノキの人工林

耕作放棄地

まあこれだけなら退屈ですむのだろうが

 

田舎道を歩いているととても不快な気分になる

 

車からのゴミのポイ捨てがものすごく多い。

飲み物の空き缶、空き瓶、空きペットボトル、空き紙パック式飲料の容器、弁当の容器、パンの袋

コンビニのレジ袋、ストロー、紙コップ、スナック菓子の袋、ファーストフード店でテイクアウトされた包装ゴミ

そしてたばこの吸い殻と空き箱、空になったライター

 

これがなくなればポイ捨てゴミの90%は消滅する。

 

 

昔と何も変わっていない。

変わったのはプルトップ式の缶がなくなったのでプルタブがなくなり、

バナナの皮やリンゴの芯を見なくなった事くらいだ。

 

 

日本人のモラルは人の目がある時とない時の二重構造になっている。

ダブルスタンダードの典型だ。

そういえば以前自分が所有する空き地で

ご丁寧にスーパーで肉や魚を入れるために無料でもらえる袋に入れられた

犬の糞が複数放棄してあった。

この犬の飼い主は人前ではよい飼い主を装いつつ

人目がない場所でその本性を発揮していたということだ。

 

 

本音と建て前、

面倒な民族だ。表向きは仲がいい

表ではいい人

 

まあ、表と裏のない国民がいる国なんてあるんですか

そういう反論にはあえて反論しない。

私自身世界40か国の人、それもある程度英語かスペイン語、もしくは日本語が

理解できる人々としか話したことがないし、実際数か月以上滞在していたのはほんの数か国だけ

 

本音と建て前は人間の社会ならどこにでも見られる人間の心理なのかもしれない。

 

 

 

フィリピン、マレーシア、インドネシアの東南アジアにいる時

どうしてこの国の人々はゴミを平気で路上やビーチに捨てるんだろう思っていたが

なんのことはない、日本人も五十歩百歩。

先進国というのはどういう基準で認定されるのか知らないが

経済力が発展しても国民のモラルがこの程度では

いつまた発展途上国へと没落してもおかしくはない。

 

発展途上国といういい方は

英語でもdeveloping countryだが

いったいいつまで途上状態にいなければならないのだろうか

 

科目は忘れたが

ある国の教科書に私たちの国は貧しい

それは私たちの国がまだ発展途上国だからです。

そんなことが書いてあった。

だがそれは嘘なのだ

 

私たちの国は貧しい

それは、国内外の資本家に搾取され続けているからだ

資本家がこの態度を改めない限り

私たちは所詮資本家の奴隷や家畜なのだ。

 

 

 

 

車内からのゴミのポイ捨てがなくならい要因は

処罰されることがないからだ。

 

自分の車の中さえキレイならそれでいいという考えの輩が

自分勝手な理論を振りかざしてこの世でのさばっているというのが現状だろう。

 

 

 

 

もう一つ

田舎道で驚くことは、山というのか篠竹に覆われたようなところに

コンビニで買ったものとは明らかに異質な家庭ごみを投棄してあることだ。

 

いったい、だれがどういう目的でゴミの集積所を利用しないで

こういうゴミ処理をするのだろう。

 

 

そういう意味では川底に見えるブラウン管式のアナログテレビなどは

リサイクル料金を払いたくないからという、理由があるので

とんでもないことではあるが、動機は想像できる。

 

しかし、家庭ごみを山に捨てる

まさか市指定のゴミ袋代を支払いたくないという理由だろうか

それとも近所とのトラブルで集積所が利用できないといった特殊な事情があるのだろうか

 

そういう家庭ごみらしきものが広い範囲で散見されるということは

複数の人間がそういう行動をとっているということなのだろうか

 

 

まったくもって理解に苦しむ

 

ひょっとすると他人が所有する山にゴミを捨てても誰の迷惑にもなっていない

その程度の考えの人間がいるのだろうか

 

 

 

これだけ多くのポイ捨て、不法投棄関連の警告書てきなものが販売されているということは

これが多いということなのだろう。

 

 

デポジット制

簡単に言うと

空き缶や空き瓶を回収所に持っていくとお金が貰える仕組みのことだ

 

相当昔だがこれを導入すればいいという意見も少数ながらあったが

大企業の不利益に繋がる法律ができるはずもなく

 

空き缶、空きビンに一本50円加算すれば多くの消費者は次に買う時までその容器をキープし

次の購入費の一部として使うはずだ。根拠はないが

 

また仮にポイ捨てされたとしても

ゴールデンリトリバーのようにホームレスが競ってそれを回収するはずだ。

 

空き拾いの縄張り争いで死亡

そんな2次災害がちょっと心配だが、ゴミがこの世から

税金を使わずに消えていく、このデポジット制度は有効だ。

 

これができなければ

シンガポール方式

ガム禁止同様、上記ゴミの元販売製造輸入全面的に禁止

のどが乾いたら持参した水筒に量り売りで飲み物を変えるようするか

一週間で土になる超薄型素焼きカップで販売すればいい。

 

ちなみ使い捨て素焼きカップはインドのチャイ売りが使っていた。

今はどうなのだろう、使っていてほしい。