レアルマドリードを本気にさせた
鹿島アントラーズが素晴らしいプレーをみせた
クラブワールドカップ決勝戦、すごくおもしろかった
バルサが好きな私は
昨年の今頃はバルサがクラブワールドカップに出場して
とても楽しい時を過ごしました
http://ameblo.jp/manar-jp/entry-12108525781.html
今年はレアル・マドリードが出場だから
と思っていたら・・・
98年W杯フランス大会を観ていて大好きになった選手がいました。
クロアチア代表のスボニミール・ボバンという選手
クロアチア代表ではキャプテンで、
ミランでは10番をつけてプレーしていたファンタジスタ
いつか彼のプレーを現地で観たい
と思っていたら、突然の引退
その後クロアチアに帰って大学へ行っていると聞いて
クロアチアへ行こう
クロアチア語も学ぼう
ボバンに会うことを夢をみてクロアチア語講座をみつけ行ってみたら
2002年日韓ワールドカップの時にクロアチア代表の通訳をした人が先生でした
先生はセルビア人でした。
クロアチア語とセルビア語はほぼ同じですが
クロアチア代表の通訳をしていた時にセルビア人だとわかると
クロアチア人の態度が変わってしまったそうです
ユーゴ内戦が終わっても、まだまだ内戦の傷跡は深いと感じました。

ユーゴの紛争は、第二次世界大戦後に欧州で起きた最大の戦争で
ユーゴスラビアは小国に解体し、その過程で民族虐殺などが多発。
多くの難民が他のヨーロッパ諸国に流れ込みました。
当事国だけでなく、紛争を止められなかったヨーロッパ諸国の人々の心にも傷を残したそうです。
90年5月、ボバンがプレーしていたディナモ・ザグレブ(クロアチア)というチームと
レッドスター・ベオグラード(セルビア)との試合で暴動が起こりました。
セルビアの警官が観戦していたディナモファンの子供に
暴力を振るっていたのを見たボバンが警官に飛び蹴りをしました。
そのことで9カ月の出場停止処分になってしまったボバンは
90年W杯イタリア大会ユーゴ代表を外されてしましました。
サッカー選手として誰もが代表に選ばれ、出場したいはずなのに
ボバンは、そのことについて
私はサッカー選手である前に、クロアチア人である と。
色んな事を知ってますますボバンに会いたくなり
2003年、念願かなってクロアチアに行きました
ボバンはレストランを経営していて、よくお店に来るよと店員さんもいってて
レストランに通いましたが1度も会えず
クロアチアの旅の最終日は日曜で、ほとんんどのお店がお休み
ボバンのレストランもお休み
もうボバンには会えないな。。と思いながら歩いていて
開いているカフェをみつけたので入ってみたら
なんだか見たことがあるおじいさんがコーヒーを飲んでいて
よーく見たら私が応援していた98年W杯クロアチア代表監督でした
クロアチア代表を応援したこと、ボバンに会いに来たことを話したらとても喜んで
ボバンがプレーしていたディナモ・ザグレブのスタジアム内を案内してくれて
関係者しか入れない部屋も入れてくれて
そこにはボバンの大きな写真が飾られていて
やっぱり彼はクロアチア人の英雄なんだなあと感激
ボバンにも会わせてあげるよ
と言ってくれたんだけど
私はその日、友達が住むパリへ行くことになっていたので、泣く泣くパリへ
憧れのボバンまで、もう少しだったのに
パリについて、友達にこの話をしたら
クロアチアに日本より近いパリにいるんだから、まだ諦めるなと励まされ(笑)
パリでの観光を楽しんでいたら、
友達が引っ越しをすることになって、新しい家が決まったというので
見に行って見たら、家の隣にサッカーショップがあって。
入ってみたら店内にはなぜかクロアチア代表のサイン入りユニフォームが飾られていて
しかもお店の人が話している言葉はクロアチア語で
ここはパリだよね
なんでクロアチア語
と思って
クロアチア人ですか
とクロアチア語で聞いてみたら
なんでクロアチア語を話せるの
と、日本語で聞かれました
ていうか、なんで日本語話せるの
その人はクロアチア人と日本人のハーフで
お父さんが経営しているサッカーショップでした
その人が、日韓W杯で日本でクロアチア代表の通訳をしたんだよと。
私のクロアチア語の先生と一緒に通訳をしてて、友達でした
昨日までクロアチアにいたこと、ボバンに会いに行ったけど会えなかったことを話したら
今度クロアチアに行くとき、ボバンに会わせてあげるからね
と。
またもや「ボバンに会わせてあげるよ」という同じセリフを聞き
神様が絶対に諦めるなと言ってるのか
その時以来、クロアチアにもパリにも行けていないけど
この一連の不思議な旅での出来事をふと思い出して
最近、友達にこの旅の話をして、
叶うまで願い続ける
と言ったら数日後
クラブワールドカップのためにFIFAの役員になったボバンが今日来日するという情報が
ボバンに会いにいき20年越しの願いが叶いました

素敵な笑顔のボバンと
今年はバルサが来日しないし
って思ってたけど
とってもうれしいクラブワールドカップの思い出となりました
クロアチアにまで行っても会えなかったのに
あっさり日本にいて叶ってしまう不思議(笑)
叶うまで願う
と宣言してから数日で叶ってしまって
決意するパワーって強力だと思いました
願えば叶う
鹿島アントラーズが素晴らしいプレーをみせた
クラブワールドカップ決勝戦、すごくおもしろかった

バルサが好きな私は
昨年の今頃はバルサがクラブワールドカップに出場して
とても楽しい時を過ごしました

http://ameblo.jp/manar-jp/entry-12108525781.html
今年はレアル・マドリードが出場だから

98年W杯フランス大会を観ていて大好きになった選手がいました。
クロアチア代表のスボニミール・ボバンという選手

クロアチア代表ではキャプテンで、
ミランでは10番をつけてプレーしていたファンタジスタ

いつか彼のプレーを現地で観たい


その後クロアチアに帰って大学へ行っていると聞いて
クロアチアへ行こう


ボバンに会うことを夢をみてクロアチア語講座をみつけ行ってみたら
2002年日韓ワールドカップの時にクロアチア代表の通訳をした人が先生でした

先生はセルビア人でした。
クロアチア語とセルビア語はほぼ同じですが
クロアチア代表の通訳をしていた時にセルビア人だとわかると
クロアチア人の態度が変わってしまったそうです

ユーゴ内戦が終わっても、まだまだ内戦の傷跡は深いと感じました。

出典:http://lingvistika.blog.jp/archives/1051096594.html
ユーゴの紛争は、第二次世界大戦後に欧州で起きた最大の戦争で
ユーゴスラビアは小国に解体し、その過程で民族虐殺などが多発。
多くの難民が他のヨーロッパ諸国に流れ込みました。
当事国だけでなく、紛争を止められなかったヨーロッパ諸国の人々の心にも傷を残したそうです。
90年5月、ボバンがプレーしていたディナモ・ザグレブ(クロアチア)というチームと
レッドスター・ベオグラード(セルビア)との試合で暴動が起こりました。
セルビアの警官が観戦していたディナモファンの子供に
暴力を振るっていたのを見たボバンが警官に飛び蹴りをしました。
そのことで9カ月の出場停止処分になってしまったボバンは
90年W杯イタリア大会ユーゴ代表を外されてしましました。
サッカー選手として誰もが代表に選ばれ、出場したいはずなのに
ボバンは、そのことについて
私はサッカー選手である前に、クロアチア人である と。
色んな事を知ってますますボバンに会いたくなり
2003年、念願かなってクロアチアに行きました

ボバンはレストランを経営していて、よくお店に来るよと店員さんもいってて
レストランに通いましたが1度も会えず

クロアチアの旅の最終日は日曜で、ほとんんどのお店がお休み
ボバンのレストランもお休み

もうボバンには会えないな。。と思いながら歩いていて
開いているカフェをみつけたので入ってみたら
なんだか見たことがあるおじいさんがコーヒーを飲んでいて

よーく見たら私が応援していた98年W杯クロアチア代表監督でした

クロアチア代表を応援したこと、ボバンに会いに来たことを話したらとても喜んで
ボバンがプレーしていたディナモ・ザグレブのスタジアム内を案内してくれて
関係者しか入れない部屋も入れてくれて
そこにはボバンの大きな写真が飾られていて

やっぱり彼はクロアチア人の英雄なんだなあと感激

ボバンにも会わせてあげるよ

私はその日、友達が住むパリへ行くことになっていたので、泣く泣くパリへ

憧れのボバンまで、もう少しだったのに

パリについて、友達にこの話をしたら
クロアチアに日本より近いパリにいるんだから、まだ諦めるなと励まされ(笑)
パリでの観光を楽しんでいたら、
友達が引っ越しをすることになって、新しい家が決まったというので
見に行って見たら、家の隣にサッカーショップがあって。
入ってみたら店内にはなぜかクロアチア代表のサイン入りユニフォームが飾られていて

しかもお店の人が話している言葉はクロアチア語で

ここはパリだよね


クロアチア人ですか

なんでクロアチア語を話せるの


ていうか、なんで日本語話せるの

その人はクロアチア人と日本人のハーフで
お父さんが経営しているサッカーショップでした

その人が、日韓W杯で日本でクロアチア代表の通訳をしたんだよと。
私のクロアチア語の先生と一緒に通訳をしてて、友達でした

昨日までクロアチアにいたこと、ボバンに会いに行ったけど会えなかったことを話したら
今度クロアチアに行くとき、ボバンに会わせてあげるからね

またもや「ボバンに会わせてあげるよ」という同じセリフを聞き
神様が絶対に諦めるなと言ってるのか

その時以来、クロアチアにもパリにも行けていないけど
この一連の不思議な旅での出来事をふと思い出して
最近、友達にこの旅の話をして、
叶うまで願い続ける

クラブワールドカップのためにFIFAの役員になったボバンが今日来日するという情報が

ボバンに会いにいき20年越しの願いが叶いました


素敵な笑顔のボバンと

今年はバルサが来日しないし

とってもうれしいクラブワールドカップの思い出となりました

クロアチアにまで行っても会えなかったのに
あっさり日本にいて叶ってしまう不思議(笑)
叶うまで願う

決意するパワーって強力だと思いました

願えば叶う
