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つんこのブログ(肺がん&脳転移 闘病日記)

脳出血のため左半身麻痺、重度障害者の妻。2014年10月、小細胞肺がんが脳転移した状態で見つかりました。
2017年2月に亡くなるまでの2年余り、山あり谷ありの日々。悲しいことだけではなく、楽しいこともいっぱい!
私が記録したメモや記憶をブログに綴っていきます。

いよいよ2泊3日の湯布院への旅の始まりだ。

妻のがんがわかってから初めての家族旅行。

予約が遅かったので、宿探しに苦労したことは先日のブログに書いたが、僕を含め、みんなで楽しみにしてきた。

朝7時に車を出して伊丹空港へ向かう。

幸いほとんど渋滞もなく、8時すぎには出発ロビーに着く。乗るのは9時20分発の大分行きのJAL。障害者は先に搭乗させてくれるので、早めに機内へ入る。こういう仕組みはとてもありがたい。

久しぶりの飛行機で、ちょっと緊張したが、滑走路をポンと蹴るように離陸した。

大分までは1時間。あっという間に着陸した。

空港のレンタカー窓口で名乗ると、スタッフに案内され、レンタカーの営業所まで車に乗せてもらう。

借りた車は日産キューブ。3人と荷物だけなので十分なサイズだ。

大分空港から湯布院へドライブ。景色も良く、とても気持ちがいい。

まずは妻が行きたがっているピザの店、櫟の丘へ。

平日の昼時だが、駐車場はほぼ満車。店へ入ると「テラス席なら空いてますが」

少し肌寒いがテラス席へ。この店はちょっとした高台にある。湯布院の町並みを眼下にして、とても良い眺望だ。




ピザとパスタとサラダをオーダー。ペロリと平らげて景色を見ながら休憩。

食後は金鱗湖へ。湖を一周歩き、カフェ ラ・リューシュへ。イチゴの入ったおいしいロールケーキを食べる。




その後はステンドグラス美術館に寄って、早めにホテルにチェックイン。

部屋は2階だ。予約時から心配していた2階への階段は16段。妻はうまく昇れるだろうか。

左下から妻の腰を支え、ゆっくり一段ずつ、何とか2階まで昇れた。

妻に「頑張ったね」と娘。

「だから大丈夫って言ったでしょう」と妻。

部屋は4ベッドあり、ソファーセットも。それと大きめの浴室。なかなか快適そうな部屋だ。

少しくつろいでから夕食。食事は別棟のレストランで。そこまでうまくたどりつけるか?

まずは階段を1階まで下りる。階段は昇るより下る方が難しい。重心が前に傾くと転落する危険があるからだ。

妻を支えながら慎重に一段ずつ下りてゆく。何とか大丈夫だ。

別棟レストランまでは、少しの段差とスロープで難なく通過でき、これでレストランへの往復も心配ない。

このホテルでの食事は全てフレンチだ。

妻は左手が使えない。ナイフが持てないのだ。

だから洋食はあまり好まないのだか、食べやすいように僕が切ってあげるから、という条件でこのホテルにした。

でも実際に切ってあげたのはメインのステーキだけで、あとはフォークだけで食べれる懐石風フレンチだった。

料理は見た目も良く、味もとてもおいしい。また客は多いと言えないくらい空いているので、サービスも良く満足できた。

妻もほぼ完食し、デザートもおいしいと言いながら食べた。




舌もお腹も喜んでいる。本当においしかった。

部屋へ戻り、少ししてから別棟の貸切風呂へ行く。露天風呂で楽しみにしていたが、なんと、脱衣場も半露天でとても寒い。

妻は寒いと訴えたが、僕は服を脱がせ湯船へ入る。あらかじめ湯温を確かめておけば良かったのだが、お湯もぬるくて寒過ぎる。

妻はとても不機嫌になり、僕は怒られてしまった。急いで服を着せて部屋へ戻り、部屋のお風呂で暖まり、ようやく機嫌が直る。

風呂上がりはビールとお菓子でくつろぎ、一日の疲れが出てきた。

湯布院への家族旅行は二度目。

前回は、昨年8月に訪れた。

でもその時は、妻のがんが判明する前だった。

以前から左半身のマヒや中枢性疼痛で悩んでいた。QOLには影響していたが、命を左右するものではなかった。

それが今や、ステージ4のがん患者。

半年間で大きすぎる変化。

この旅行が最後の旅行になりませんように。

僕は妻の寝顔を見ながら、神様にお願いした。