また禅の話だけど、

 

「勝ち負けやどちらが上だで争うのは器が小さい。

 

地球という自然に生かされているという大きな視点を持って、

 

その自然に寄り添って生きる生き方をしたらいい。」

 

 

 

というような話があって。

 

 

 

私はこの文章を読んだ時、

 

「生理」のことを思い出した。

 

 

 

 

私は月経の周期でゆるんだり、活動的になったり、

 

顕著に感じるんです。

 

 

 

 

時には何にもやる気が起きなかったり、イライラしたり。

 

もう頭パンパンになる!ていうくらい暴走したかと思えば、

 

 

 

 

生理がきた途端、

 

全てがゆるんで、考えが解放され、

 

素の自分自身が出てくる。

 

 

 

この自分の感覚を分かっていたから、

 

イライラしてたら、

 

「これは生理のせいだから!」とか

 

落ち込むと、

 

「生理だからだ。。。」とか

 

 

 

 

やっていたんだけど、

 

ある時生理が止まった時があって、

 

 

 

 

「また生理がきたら、素の自分に戻れるし!」ではなく、

 

自分自身で、自分を受け止めてあげるという経験をしたんです。

 

 

 

 

その時に、

 

生理だから、イライラする。

 

生理だから、落ち込むんだ。

 

生理がきたら、元に戻る。

 

 

ではなく、

 

 

 

イライラ、落ち込みは、

 

単なる自分自身のパターン。ってだけで。

 

 

 

 

私は、

 

大いなる生理の中に生かされているんだ。

 

 

 

 

イライラ、落ち込み、

 

骨盤の動きにより、頭蓋骨が動く。

 

それにより、身体に残った感情に出会う。

 

(未消化の感情は身体に残るんです。)

 

 

 

そこで向き合えばよかっただけ。

 

 

 

 

生理のせいではなくて、

 

生理があったから、

 

 

 

 

イライラして、落ち込んで、

 

そんな自分を生理という大いなる流れに委ねてこれたんだ。

 

 

 

 

身体とともに生きるって、

 

ただ身体に良いことをするというよりかは、

 

 

 

 

その意識の姿勢が伴う、

 

奥深いものなんですね。

 

 

 

 

 

清水まほプロフィール

 

「身体からあなたの理想の世界へ行く」

 

3ヶ月コンサルやっています。