知らない人は読んでね。
私には小さい頃から一緒に暮らしていたおばあちゃんがいて、
両親ともに働いていたため、
平日はおばあちゃんに見てもらっていたんです。
で、
お勉強でも、運動でも、
友達付き合いでも、
私のことはおばあちゃんの方が知っていて、
ある日私がかけっこで1番をとった時に、
「やっぱり私の孫だ!」
「お父さんも足が早かったからその遺伝!」
「自慢の孫たい!」
と言ってくれたんですね。
でも、
当時めちゃくちゃ感受性が強くて、
無意識に人の言葉の裏の裏の本音まで読んでしまう私は、
と〜〜〜っても悲しかったんです。
「そうじゃないだろ!!!
そこ(自慢)じゃないだろ!!」って。
おばあちゃんはご近所付き合いが多くて、
勉強でいい点数とった時も、
ご近所さんによく言っていました。
で、小学生ながら違和感満載。
「なぜ?」
「噛み合わない」
「何かがおかしい」
だって私が欲しいのは、
「私の!!(自慢の孫です)(うちのです)」という、優越感、自慢!じゃなくて、
まほは、かけっこで1番になった。
その「まほ」との交流だったんです。
「かけっこで1番になったんだね」
「足速くなったね」
「頑張ったね」
とか。
テストで満点だったのも、
「テストで満点の孫!!」ではなく、
「お勉強頑張ったんだね」
「お勉強好きなんだね」
「嬉しかった?」
という、
「私」との交流が欲しい!!!
と思っていたんです。
(大いなる甘えなんだけどね・・・)
なぜ、お前の手柄にする!?
私との交流はどうした!!
私が見えていないのか!?
と思っていた。
(何度もいうけどこれは甘えだけどね、大いなる。笑)
その感覚は、
私という存在を通り越して、
後ろにある肩書きのみとの交流のように感じていたの。
(だから私は見えていないの?って思った)
同時におばあちゃんの中でのギャップも見えてしまう。
「あ〜ご近所さんの中で上にいたいんだな」とか
「人付き合いで苦労したんだな」とか。
だから言えなくて、ムカついてムカついて、
自分の中にも、同じように取り込んだんです。
「ふざけんな。
私も同じことしてやる!!」って。
彼氏も友達も、
みんな私の自慢!!優越感!!
「私こんな友達いる!!」
「私の彼氏こんなことできる!!」
「私の家はこんな家柄!!」
って。
でも、
それを自分の中で育てていくほど、虚しくなって苦しくなって、
人付き合いが苦しくなってくるんです。
消費する人付き合い、奪い合う人付き合いばっかになっていった!
でも、そんなの当たり前なんです。
人って本当は交流がしたい。
相手を私のもの!とか
自慢!とか優越感!とか、本当はどうでもいい。
「交流」
「その人」との交流。
どう感じたんだろう?どう思ったんだろう?どう考えているんだろう?
そこで相手を知る喜び。受け入れる喜び。
私が関われる喜び。
それが、そもそも人間関係の人付き合いで得られる栄養であり、エネルギーの交流だから。
消費しすぎて、
辛くて心がしぼんだ後気づいた。
あ〜私はこうまでしてもおばあちゃんのこと理解したかったんだろうな〜って。
だって大好きだもんな〜。
でも、もうしない。
分かってあげたくて取りこまない。
いろいろ教えてくれてありがとう、おばあちゃん
そして、「交流」したかったのは、
あくまでも私のこだわりと、大いなる甘え。笑
(それは押し付けるものじゃなかった・・・)
だけど、
やっぱり「交流」の方がいいよ、と思う。
だって人付き合いは疲れる。なんてウソだと思うくらいだよ。
本当の交流って、
頭を使うんじゃなくて、感じようとする
それが心地いい。
相手の肯定と同時に、自分への肯定も起こる
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