知らない人は読んでね。

▶︎清水まほの自己紹介

 

 

 

 

 

 

「え?」という美の磨き方をする人がいます。

 

 

 

 

 

 

してる行為は同じでも、

「個性消したかったの?」

「どこを目指しているの?」

という。

 

 

 

 

 

それで話していくと、美の前提が違うんです。

 

「綺麗でなければ愛されない」

「綺麗になれば愛されるんじゃないか?」

「これでもう大丈夫(傷つかないですむ)」

 

 

 

美がまだまだだから、

私はダメなんだ。

 

という前提。

 

 

 

 

 

 

私の友人にもいましたが、

 

仕事で上司に何度も怒られてへこんで、

 

「もし私がめっちゃ綺麗だったら怒らないよね」

 

「もっと綺麗になろう」

 

とよく言っていました。

 

 

 

 

 

昔の話だけど、

今でもすごく胸が苦しくなる。

 

 

 

 

 

過去記事

『美のメンテナンスをすると、人生が向上する。』

 

 

 

 

 

正しい美の磨き方とはドキドキ

 

 

 

そもそも、

私の思う外見の定義とは、

 

 

「私」という個体を認識するためのもの。

 

 

 

 

 

 

あくまでも、大切なのは私という中の存在。

 

 

 

 

 

 

外見あっての私ではなく、

 

外見は、私という中の存在が外側で分かるようになる<印>。

 

 

 

 

 

 

だからそれをできるだけ磨きたい、と思う。

 

それはただの愛なんです。

 

 

 

 

 

 

誰かや何かという外側と、引き換えにするものではなく、

 

ただ自分という存在の容れ物を綺麗にしようと思う心がけのようなもの。

 

 

 

 

 

 

それこそが正しい美の磨き方だと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

特に、パートナーシップが良好な方ほど美しさを感じるのは、

 

こういう磨き方を積み重ねているからだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

パートナーシップが良好な人というのは、

 

<いい関係になろう>と努力をしている人。

 

つまり、彼という存在、私という存在と分けている。

 

 

すなわち、ちゃんと内側に意識がある人。

 

 

 

 

 

 

 

 

外見とはあくまでも、認識されるものに過ぎない。

 

だけども、<自分自身>を認識するもの。

 

だから、できるだけ美しくありたいよね。

 

 

 

 

 

 

外見は、愛で磨こうドキドキ

 

 

 

 

 

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