こんにちは。

鍼灸マッサージ師をしています、山本 ななです。

 

私には、ずっと隠していたことがあります。

正しくは、隠していたわけではなく、思い出すとフラッシュバックが起こるから嫌だったのです。

 

しかし、自分の心の蓋を開けられない限りは、人の心の蓋も開けられないというアドバイスをいただき、再度自分と向きあうこととしました。

そして、その記録として、ここに記したいと思います。

 

まず、この話は私の子供のころの話です。

もう30年以上前。

子供の自分の目線で物事を見ていますから、大人になった今、その物事を見たら実際は違っていたかもしれません。

あくまで子供目線で感じたことを書いていきます。

そして、結構長文になっていますので、気合を入れて読んでください!笑

 

 

  家族について

 

まずは家族について。

 

  • 父→小学校の教頭から校長へ。返事をしなかったり、箸の置き方を間違えると急にキレるなどの何処に地雷が埋まっているか不明なタイプ。いわゆる昭和の父。
  • 母→小学校の先生。昔なので、今の先生よりも仕事がハード。そんな中、夫の実家(曾祖母、曾祖父、祖母、祖父:全員偏屈)と二世帯住宅に住まわされるという苦行を強いられる。仕事をしながら、子供を3人育てる。まじめだが、ちょっと天然。
  • 兄→私より7歳年上。偏屈な父の家族たちから、初孫ということで、もの凄いプレッシャーをかけられる。小学校のテストの点数が80~90点くらいだと、祖父にキレられ、3時間正座で怒鳴られるなど。そのため、モンスターと化す。
  • 姉→私より3歳年上。頭が良く、運動神経も抜群、そして容量も良い。私と同様に被害者でもあったが、抜け出すのが上手くもあったため、そこまでの被害は受けていなかったと言っていました。

父の実家は、かなりの学歴重視な家柄でした。

それにより、被害者でもある兄は段々と壊れていき、モンスターとなりました。

そして、そのモンスターのストレスの発散先として私が選ばれました。

 

 

  子供時代

 私が覚えているのは、保育園年長さんのころから。

兄は中学校1年生で、モンスターにちょうど変わっていく頃でした。

両親が共働きだったため、祖母が保育園に迎えに来て、帰ってからオヤツを食べていると兄が「おい、遊ぶぞ」と自分の部屋に監禁するのです。その時には暴力などの虐待が始まっていましたが、祖母には「仲の良い兄妹」にしか見えてなかったのでしょう。

 

それから、私が小学校に上がり、兄も中2になり「虐待」がエスカレートしていきました。

兄は段々と不登校になり、家の中では居合刀を2本腰にさし着物を着て、まるで侍のような恰好をしていました。

 

私が夕方に学校から帰ると、兄は私を捕まえて自分のおもちゃにするんです。

例えば、チェスをやらされたり、ビッグバンについて、世界の宗教学について、カンフー映画についてなど、(私には)興味がない話を、ひたすら何時間(2~3時間なのかな?)も私に語り続けました。

別に、これ自体は虐待でもなく、ただ私が友達たちと遊びたかった時間を奪われただけのことでした。

 

私が本当に怖かったのは、暴力です。

チェスで負ければ殴られましたし、わけのわからない事を聞かれて、わからない返事をしたら、殴られました。

また、色々な実験台にもされるられのです。

プロレス技をかけられたり、合気道の技をかけられたり、カンフーの相手をさせられたり。

大人から見たら、じゃれているようにも見えるかもしれませんが、当時の私から見たら、7歳上の大男です。

全てが痛い。必死に逃げたり、反撃をしますよね。で、たまに反撃が当たるんです。

そうすると、馬乗りになり、本気で顔やお腹を殴るんです。

私はあまりの痛さと怖さに大きな声で泣くんです。「痛い!助けて!」って。

そうすると、兄はどうすると思いますか?

首を絞めて泣かないようにするんです。

顏に唾を吐きかけられてり、口の中に唾液を流し込まれたこともあります。

 

 

  虐待のエスカレート

 更に、行動は段々とエスカレートしていきます。

新しいガスガンを買ったから、試し撃ちをさせろと言い出し、壁際に立たせて後ろを向かせて、頭の上に手を組ませるんです。そして、妹を撃つ。この時は、姉もいました。ちなみに、ガスガンはエアーガンより痛いです。

更に、友達の家に遊びに行きたいから、拒むとノコギリを首に突き付けられたり、居合刀で切られそうになったり、ナイフを投げつけられたこともあります。はんだごてを押し付けられたことも、右肩を外されて無理やり関節を入れられたことも。

指が鳴らないからといって、思いっきり反対方向に折られたことも。

私は、毎日毎日殺される恐怖心の中で生きていました。

 

さらに、友達の家や祖父母の所に逃げていても、迎えにくるんです。

その時の私に、拒否権はありませんでした(後で怖い目に合うから)。

そして、母にも言えませんでした。「言ったら殺す」と脅されていたのです。

だから、母が帰ると毎日台所に立っている母の背中にしがみつき何も言わずに泣きました。

だいたい年に360日くらいは毎日泣いていたので、母には「泣き虫」と思われていました。

それが見つかると、また殴られるようになってしまったので、泣かないように鏡の前で笑う練習を繰り返したことを覚えています。

 

そんな逃げ場のない私は、家の中で逃げることを考えました。

ひっそりと押し入れの布団の間に挟まって3時間くらい息を殺して過ごしたり、自分の掛布団にダミーを置いて、他の所に隠れたり。忍者になろうかなと本気で考えた時期もありました(黒歴史)。

それでも、見つかると殴られる。キレた兄が迫ってきたときには、トイレに駆け込み鍵をしてドアを叩きながら怒鳴り散らす兄が怖くて泣きました。

トイレに隠れてご飯を食べていたことも多々あります。

そして、レイプまではいかなくとも、性的ないたずらをされたこともあります。(兄はロリコン)

それでも、痛いのより全然マシだったので、私には楽なことでした。

 

その時代、私は毎日毎日「神様、助けてください。神様、助けてください。」と祈っていましたが、神様は助けてくれることもなく6年以上年月が過ぎていたので、私は一切神を信じることはやめました。

 

そんな子供(人間)がうまく学校に馴染めるわけもなく、家にも学校にも居場所がない人間ができあがったのです。

 

  地獄の終わり

 そんな地獄も終わりを告げました。兄が遠い大学に入ったのです。

時々、帰って来たときに虐められましたが、私も中学生になり、痛みを与えらえても、あまり反応しなくなったのも楽しくなかったのでしょう。

それ以来、手を出されなくなりました。

しかし、兄の凶暴性が変わったわけではありません。

私が高校2年生の時に、兄が、我が家で飼っていた家猫の首を切りました。

帰ったら家中に血だまりが。

兄の姿はありませんでしたが、怯えきって唸り声をあげている猫。

慌てて動物病院へ行った記憶があります。

そして、その時に初めて母に「私は、ずっとこういうことをされていた。」と伝えました。

 

 

  現在

 現在の兄の所在はわかりませんが、昨年、傷害事件を起こしていること知りました。

兄が生きている以上は、常に私は恐怖に怯えて生きていくことでしょう。

そして、そんな環境下で育ったため、私は家族への愛情があまりないんだと思います。

誰も助けてくれなかったという想いが染み込んでいます。

だから、親にもあまり頼りたくない。という気持ちです。

 

 

  私は子供が嫌い

 前にも書きましたが、7歳くらいからずっと私は死にたいと思っていました。

生きていることは、怖くて辛いこととしか感じていなかったから。

精神科へ行ったり、スピリチュアルの世界に救いを求めたこともありますが、解決はしませんでした。

自分のインナーチャイルドを癒しましょうというものを体験したりしましたが、私のインナーチャイルドはとても強く、私が幸せになることを決して許してはくれませんでした。これが、私の死にたい病の原因でした。

 

そして、私は子供が嫌いでした。

子供は泣くとうるさいし、言う事聞かないし、存在が許せないと。

今思えば、それは、子供時代の自分が許せなかったんだと思います。

きっと私が子供を育てたら、虐待をして殺してしまうんだろうな…と考えていました。

 

  結婚と出産

 そんな中、元夫と出会ました。「子供を愛せる自信がない、子育てに抵抗がある」と伝えたら「俺が全部世話をするから」という言葉を信じて、子供を産むことに。

しかし、元夫も鬱に入り、怒鳴りあいの喧嘩も増えていきました。

負けず嫌いなので私も怒鳴りましたが、喧嘩が終わるたびに、あの虐待を受けていたことをフラッシュバックして思い出してしまうのです。

 

 

  長男への虐待から次男出産へ

そして、そのストレスは、やはり長男へ。

次男は発達障害と学習障害がありますが、長男も発達グレー。

初めての子育てを何とか成功させたい私と、糠に釘タイプの長男。

たくさん怒鳴りましたし、ビンタもしたことがあります。やった後に「ごめんね…」と謝るんです。

DV人間の典型的な例ですよね。

いまだに、彼への罪悪感と謝罪の気持ちは、常に持っています。

 

子供一人だけというのは、期待などを全部その子に込めます。

だからこそ、私は彼を殺しかねないのでは…と恐怖し始めました。

それから、子供をもう一人産む決断をするのです。

 

  次男との向き合い方

次男は、長男と4歳半差。5学年差になります。

生まれてすぐに「これは我が強そうな子だぞ!」とわかりました。

(実際、初めてあった人にも、よく言われてました)

2歳からヤジを飛ばし始めたり、昼ドラ並みの発言を叫んだり「ママは~俺の事を~愛していないんだ~(号泣)」とw

 

そして、彼は絵本にも全く興味もなく、自分の名前もなかなか覚えない。

この子は、きっと完全に発達障害があるなと…小さいうちから感じていました。

しかし、決定的になったのは、やはり小学生になってから。

文字も書けない、読めない。すぐにキレる。衝動性が強く、万引きをしたり、家出を繰り返したり、警察のお世話になってことも、しばしば。

離婚後というのもあり、その段階になって初めて「これは一人では育てられない」と実感して、他の人たちに助けを求めました。

家族には甘えられないので、助けを求めた先は、学校、区行政、医療。

その中で色々なカウンセリングを私自身も受けました。

やった方がいいと言われたことは全部やったし、ネットでも同じような子供の親のブログなども読んだりして参考にしたり。

だけど、やったところで、うまくいくことなんて少ないんですけどね!

でも、そんな中で変化もありました。

自分の子育てが、間違っているんじゃないかと認識させられたのです。

 

 

  子供の成長が愛おしい

そして、その頃同時に、少年野球の子供たちと接する機会も増えました。

子供が嫌いだった私にとって、他所の子(しかも男子!)なんて、恐怖と憎悪の対象でしかありませんでした。

だけど、ちょくちょく、しかも長期間見ていると皆、成長しているんです。

自分の子じゃないのに、その成長が嬉しく感じてきたのです。

すると、自分の中でも子供に対しての気持ちの変化が変わってきました。

前は、「失敗を許せない!」っていう考えだったのが、「まーた、バカなことしてるわ~」くらいに思えてきたんです。

彼も成長してるんだと長男にも次男にも感じられるようになって、それが他所の子よりも愛おしく感じるようになったんです!

これは、私にとって大きな心の変化でした。

もう自分の子供を殺してしまうんではないかという恐怖心が消えました。

 

  最後に

数か月前、私は大きな決断をしました。

自分がずっと隠してことをパートナーさんに相談し、子供(長男)に話すということです。

それから、私のインナーチャイルドの怒りは消えました。

そして、更に子供の存在を愛おしく感じることができるようになってきました。

 

それでも、今回書いた話は蓋をしていました。

私の中で忘れたいことだったし、思い出したくない事だったから。

それでも、心の蓋を外して、自分の経験が誰かの役に立つのであれば、私の人生は無駄じゃなかったんだと思えるんじゃないかと思います。

 

「サバイバー」という言葉があります。

これは、性的被害者のことをさす言葉として広まりましたが、元々は色々な困難な経験を生き延びた人たちの事を言います。

あの人よりは私は酷いことをされてないしな…と思わないでください。

毒親やパートナーや見知らぬ人からの暴力、依存などもそうです。

人それぞれの地獄があったんです。

その状況下を生き抜き、現在生きていることって本当にすごいことなんです。

 

ただ、自分が加害者になるかもしれないという恐怖心は持っていてください。

その心を持ったまま、あらゆる経験をしてください。

誰かを頼ってください。

一人じゃないんです。

自分が心を開かない限りは、誰も自分の心はわかってくれません。

いっぱいいっぱい「助けて」を言いましょう。

神様は助けてくれないかもしれないけど、誰かは寄り添ってくれるんです。

私には近所のおばさんたちだったり、専門学校の同級生たちが手を差し伸べてくれました。

 

私は、そんな風に寄り添える、手を差し伸べられる人間でありたい。

もらったものを返したい。

 

こんな人間もいるよ。と少しでも希望をもってくれた人が1人でもいたら、私はこれを書いてよかったです。

簡単に幸あれとは言えないけれど、しぶとく生き抜きましょう。