大学受験の体験談

大学受験の体験談

大学受験について、先輩たちの体験談のまとめ。

2023/12/1

私の人生のターニングポイントとなった大学受験

私の第一志望の大学は、私の偏差値よりも10程偏差値が高い外国語大学でした。

私は外国や英語が好きだったので、英語を仕事に活かしたいという目標があり、その大学を志望しました。

高校で英語の先生に頼み、その大学の推薦を受けるために週に2回、放課後に発音を直す練習と、英語面接の対策をしてもらいました。

普段授業では注意されないことも細かく注意され、泣きたくなったこともありましたが、そのおかげで私の発音は少しずつ良くなりました。

大学受験の当日は、私よりも優秀な学生がたくさん集まっていました。

私の斜め前に座っていた女子学生は、英語の文章をノートに書いて待ち時間を過ごしていて、外国語学部を受験するのは、それなりの英語力が必要だったということを痛感しました。

やはり、私の面接はボロボロで、担当のネイティブの面接官はイギリス英語やアメリカ英語でなくほとんど単語すら聞き取れないような訛りのある英語を話し、私は何ひとつ答えられませんでした。

その後の日本語での面接もそのショックで自分が何を言っているかもわからない状態でした。

その後、私は母に他の大学で経営学部を受験してみたらどうかと言われました。

担任の先生に相談したところ、「英語がやりたいなら他の学部でもできる。

英語ができるだけでなく、経営学の知識があり、更に英語ができた方がより就職にも役立つのではないか」と言われました。

そこで、私は一般入試で自分の偏差値にあった大学の経営学部を受験しました。

そして、その大学に無事に合格し、その大学で大学のパンフレットの在校生紹介のページに載るほど優秀な成績で卒業することができました。

勿論、大学では英語のほか、フランス語や中国語などいくつかの外国語も学ぶことができました。

大学受験のあの時、外国語学部や偏差値にこだわっていたら全く違った人生をあゆんでいたと思います。

大学受験に役立った暗記法

大学受験は、普段から教科書をわざと雑に扱い、ボロボロになるような扱いをしていました。

雑なくらいの書き込みやマーキングをして、折り目をつけて、乱暴にページをめくったり。無臭ちゃん

ページにしわが寄って、ふわふわすることでページがめくりやすくなります。

それくらい使いこんでました。

教科書に使用感が出ることで愛着が湧き、愛着が出ることで更に勉強し、記憶するパワーも増す気がしました。

参考書も同様です。

沢山の参考書を使うと中途半端になるので、厳選したものを数冊、ボロボロになるまで使いました。

雑な扱いでボロボロにして、意識的に愛着を増す方法は、入りたい大学に入れたので私には効果がありました。

一種の自己暗示だと思います。

「意識的に使い込んだ教科書→使いやすい→私は勉強が好きなんだ(自己暗示)→自己暗示で、更に勉強する」という流れです。

その自己暗示、テキスト類をボロボロにして愛着を増す方法以上に効果があった勉強法(暗記法)があって、それは受験に関係い現在も続けています。

手書きで、再生紙などの薄茶色で柔らかい紙を選び、に青いボールペンで暗記したいものを繰り返し書き続けるという方法です。

青い字で書くことで、何故か頭にスルスルと入ってきて覚えやすくなるのです。

ネットで検索してみると、青字で書くと覚えやすいということを書いている人が結構多いので、何かキチンとした理由があるのかもしれません。

何か丸暗記したいもの、例えば単語やフレーズ、数字などは、ひたすら青いボールペンで無心に書き続けることで楽に頭に入ってきます。

受験に関係なく、現在でも暗記法はこれが一番効果的だと思って続けています。

ただ目で見るより、書くことで念押しになるのか、忘れにくくなります。

赤や緑のチェックシートも結構使いましたが、シートをかぶせて見えない部分の答えは、やはり青字で紙に書くようにしていました。

書くことで記憶の確認作業と、刻印のようにしっかり記憶に留める効果があるように思います。

受験勉強は暗記という作業が重要なポイントになるので、どれだけ精度高く覚えているかが結果に繋がると思います。

単純ですが、青いボールペンや青いインクで手書きを繰り返すという反復学習法は目に見えて効果が出るおすすめの勉強モデル(暗記法)です。


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2023/11/13

現代国語の力をつけるための参考書

皆さんは,現代国語の問題をどうやって解いていきますか?また現代国語の力をつけるための方策は何かやっていますか?現代国語という科目は、文章を読むセンスが必要と言われます。

これまでの読書体験から文章の匂いをかぎ分けるようにして解答を導くことが必要と言われます。

そのために受験生は読書をしなさいとよく言われたりします。

しかし、そんなに文章読解のセンスが必要ならば、センスのない人には全く現代国語はお手上げなのかということになってしまいます。

また、受験の国語の実力を上げるために本を読めとよく言われますが、寸暇を惜しんで問題を解いていかねばならない受験生にとってのんびり読書をしている時間などあるはずがありません。

そんな、読解センスがないと自覚している受験生におすすめの参考書が、駿台文庫から出ている「現代国語要説」です。

これは、文章の構造を、AからB、AからA’(Aダッシュ)というように流れのパターンに類別し、筆者の最も言いたいことが何であるのかを探し当てていくという読解方法なのです。

そしてこの記号化された図式に従って問題を解いていこうという手法を「記号読解法」と呼んでいます。

この方式に従って読み込んでいけば、多くの問題の解答は、読解センスのない人でも導き出すことが可能です。

文章読解センスのある人にとっては文章を味わうという要素がないため非常に味気なさを感じるかも知れませんが、機能的に確実に解答を得られるという点では受験生にとってはまさにバイブルともいえる一冊ではないかと思います。

大学受験の自習について

大学受験の対策は本当に難しいです。

高校在学中は生徒同士が同じ科目、同じタイミングでテストを受けます。ダウンロード

なので対策は情報共有ができるので「ある程度」の点数をとることはできます。

実は「学校のテスト」と「大学の受験勉強」は絶対に一緒にしてはいけないのです。

しかし、忘れてはいけません。

高校の教科書でやったことは大切です。

それでは、自分で学ぶための「自習」について私の体験を書かせていただきます。

実際に先ほど書いたように大学受験はスケジュールがそれぞれ違います。

ここを忘れずにまずは「スケジュール」をしっかり組みます。

そして、私はいわゆる「文系」でした。

暗記も多くとても大変でした。

暗記が苦手な人間は多くの工夫が必要です。

よく、「暗記のコツ」というものがありますが人によって暗記は違うのです。

ちなみに私は書いて覚えました。

教科書をまずは全部書き写しました。

日本史をまずは今の時代まで書くという気の遠くなる作業をしました。

これはとてもいい作業だと感じました。

何故か?それは「理解」できたからです。

多くのものを暗記する際に大切になるのは「理解」することでものごとを覚えろスピードが上がるのです。

私は一日潰して日本史を大きな紙に書いたことはいい経験でした。

次に、自習室の話をします。

一般的には「図書館で勉強」と言われますが、人気の図書館は本当に混雑しています。

そこでお勧めが地域で運営している公民館です。

じつは探すと自習室が解放されています。

場所によっては電源も使えます。

本当に使いやすく集中できました。

下手なカフェよりもお勧めです。

以上が私の受験体験です。


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2023/10/20

ストレス発散について

通っていた高校は、男子校の進学校でした。

なぜか、受験前の体育の授業はラグビーでした。

父兄からは、受験前に怪我でもしたらどうするんですかとろクレームがつくことはあっても、学校側はまったく意に介しませんでした。

その理由は、ストレス発散。

真冬の寒い時期、ジャージ一枚で校庭を走り回るのですが、最初は寒くとも、終了後には汗だらけでした。

ほとんど、毎日、4時間程度しか睡眠をとっていないにも関わらず、みんな、なぜかラグビーを楽しみにしていました。

クラスを二手に分け、フォワード、バックスはおのずから名乗り出てきます。

スクラムでつぶされた者がいると「こいつは受験前!」と誰かが叫ぶと、自然にスクラムが解かれます。

これは、指導の教員が指示したわけでもなんでもなく、生徒が自然に仲間を気遣っているのです。

タックルにしても、推薦入学で合格通知を貰ったものには思いっきりタックルするのですが、そうでない者には手加減をします。

怪我をさせないために、配慮するのです。

フォーメーションにしても、無理な展開はせずに、考えて相手ゴールに侵入できるようにします。

受験前には無理なトライボールをパスしないようにするのです。

こういった、仲間を気遣い、頭を使ってのプレイは、なるほどと思うほど、ストレス発散になりました。

高校3年間、体育の授業で何が一番楽しかったかと問われれば、やはり、この受験前のラグビーです。

敢闘精神、仲間を気遣うという、ワン・フォア・オール、オール・フォア・ワンの精神が生きていたのです。

不公平を感じた1997年のセンター試験

私が一年間浪人し、再びセンター試験に挑戦したのは1997年のことです。

この年のセンター試験は例年にはないある問題が数学の試験で発生していました。

いわゆるこれが「浪人生の悲劇」と呼ばれているものです。

この年のセンター試験は教育課程の変更に伴い、数学にも現役生向けの試験問題と浪人生向けの試験問題が用意されていました。

私は浪人生なので、当然選ぶのは浪人生向けの旧課程の数学の試験問題です。

このセンター試験の日に向けて一年間勉強してきた成果が試される時です。

得意科目の数学である上、直前の模擬試験ではかなりの高得点をあげることができたので、正直楽勝ムードで試験に臨んだのです。

ところが、問題を解き始めると、これがとてつもなく難しいのです。

今までこなしてきた過去問よりも断然難しい問題の数々に直面し、私は狼狽してしまいました。

想定を上回る難しさの問題に翻弄された試験が終わり、友人と数学に難しさについて話をしていると、周りからは現役生向けの数学の問題は簡単だったという声が聞こえてきます。

そんな声を気にしつつも、無事にセンター試験の全日程を終えたのです。

そして後日、浪人生にとっては過酷な現実が明らかになるのです。

なんと現役生向けの数学ⅡBの平均点と浪人生向けの旧数学Ⅱの平均点に20点以上の開きが出てしまったのです。

私の旧数学Ⅱの得点は平均点付近の40点台でした。

その後、浪人生を救済する得点調整が行われることもなく、この数学の点数で大学受験を進めていかなければなりませんでした。

結局、希望の大学に合格できたので良かったものの、中には志望大学を変更した友人もいました。

本当に不公平を感じた大学受験でした。


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2023/10/8

センター試験の記憶

わたしが大学受験したのは、もうかなり前の事になりますが、今でもはっきり覚えています。

一日目のセンター試験はかなり寒かったのですが、早めについたので会場に入れず外でがたがた震えていました。

近くの県立高校の学生たちが、横断幕を広げて最後に気合を入れていました。

どうも聞いたところによると、伝統らしいです。

わたしは新興の私立高校の学生だったので、そういうのはまったく無く、ただがんばれ~っと担任教諭に言われただけでした。

センター試験って、かなり時間がかかりました。

最初に試験から、次の試験まで2時間近く開いていたので、なにもすることが無くて、ぼーっとしていました。

本当は緊張していたのですが、友達に緊張しているのを話すのがかっこ悪かったのでわざとぼーっとしてました。

持ってきていたお守り代わりの参考書は、本当にお守りにしかなりませんでした。

その後会場の大学から歩いて駅まで向かったのですが、クリスマスイルミネーションが年明けまで飾ってあるということで、ものすごくきれいだったのを覚えています。

普段は行かない県庁所在地でのセンター受験だったので、街だなあと思いました。

でも、やっぱり緊張していたのか、その日の夢ではセンター試験を解いていました。

悪いことは考えなかったのか、本当にただセンター試験を解く夢でした。

友達も同じような夢を見ていたようなので、受験生あるあるなのかもしれません。

二日目のセンター試験は少し慣れたもので、余裕さえありました。

わたしは自己採点は試験が終わった後にする予定だったので、終わったことはしかたない、とかきっといい点数だよとか思っていました。

自己採点をしなかったのは、二日目の点数のほうがよかったことから、結果としてよかったと思います。

センター試験の結果が思ったとおりだったので、無事に進学することができて、いい思い出となりました。

本当に緊張する試験なので、精一杯がんばってほしいと思います。

受験に必要なトラブル処理の精神力

○年前、地方出身の私は某有名私立大学を受験するために、叔母の家に滞在していました。

志望校はすべて東京の大学だったため、滑り止めも含めてまとめて受験しようと1週間ほど滞在していたのです。

比較的志望度の低い大学や学部の受験が徐々に終わり、一番行きたかった学部の入試が明日に迫ったその日、次の日の荷造りをしていると大変な事実が発覚しました。

なんと受験票がないのです。

受験票は実家に届くため、東京に出発する前にしっかり入れたはずなのにどこにもない、これでは受かるかどうか以前に受けることすらできなくなってしまいます。

でもここであきらめて帰るのはどうしても納得できず、とにかく受験会場まではいかねば気が済まない!と予定通り受験会場に向かいました。youtubeエロ

熱意をもって直談判すればなんとかなるのでは、と意気込んで受験監督に声をかけると「実は受験票を忘れてしまったんですが…」「では受験票の再発行をあちらで行ってください」長々説得するつもりだった私は拍子抜けしてしまいました。

指示された場所に行くと、名前と生年月日を言っただけであっけなく受験票は再発行されました。

その学部は一学年で1200人の定員で倍率は14倍、つまりは16800人の受験者がいるわけです。

受験票を忘れるという受験生は毎年多数いるらしく、再発行も恒例行事なんだとか。

張りつめた気持ちが一気に解放されて、これまでの受験にないほどのリラックスした状態になりました。

しかも前日から受験票のことしか考えていなかったので、入試そのものに対する不安をすっかり忘れていて、いざ試験が始まると驚くほど落ち着いて問題に取り組めました。

結果合格!受けることすらできないと思っていたのに、かえってトラブルを味方に付けたようでした。

問題を解いているときにあきらめないのはもちろんですが、どんなことが起こっても結果が出るまであきらめないということが受験には重要な能力なのでしょう。

学力ではない隠れた勝負ポイントかもしれません。FANZA素人おすすめ


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2023/9/24

すべてが手探りだった大学受験

今時の大学受験事情を見ていると隔世の感を覚えます。

比較対象にならないことはわかっていても、自分が大学進学を目指して悪戦苦闘していた時代のことを考えるとその環境の違いに愕然としてしまいます。

私が高校生活を送っていたのはもう30年近く前のことです。

つい先日のように感じて、と言いたいもののさすがに昔のことに感じます。

当時は今のようにインターネットが使えなかったので情報格差はいろいろな面で大きな影響を及ぼしていました。

特に私が暮らしていたのは田舎町で、街中に書店も数件しかないようなところでした。

参考書一冊買うにもそもそも選択肢が限られていて、欲しい物を注文しても今のように、翌日配送などあるはずもなく、1週間くらいして書店に取りに行くことが当たり前でした。

またそれに輪をかけて不利だったのが高校が商業高校だったことです。

現在は事情がかなり違うようですが、当時の職業高校は本当に就職を強く意識した教育機関であり、そこから大学へ進学を目指すというのはかなりイレギュラーの存在でした。

先生に相談してもまともなアドバイスはもらえませんでしたし、そもそも学校に進学に関するノウハウ自体がありませんでした。

そんな環境だったので進学対策に関することはほぼすべて自力でした。

模擬試験を受けるにも自分で電話して問い合わせをし、資料を送ってもらって速達で送り返したりするのが日常茶飯事で、試験会場に行っても周りは普通高校から来た団体さんばかりで私は小さくなって肩身の狭い思いでした。

受験まで同じような境遇が続きましたが、それが逆に逆境を跳ね返すバネとなってのかも知れません。

勉強ばかりに集中し続けるよりも途中からそうした作業に充実感を覚えるようになったことも事実でした。

今のような何でもインターネットでサクッと済ませてしまえる時代とは程遠い話ですが、受験関連の話を聞くといつも思い出してしまいます。

私の大学受験体験

私は高校3年生のとき、普通科の高校の国公立大学受験の特別クラスにいました。

担任の先生はクラス全員に国公立大学の受験を薦め、学校の国公立大学の合格者の人数を一人でも増やすことに熱心な先生でした。

他のクラスの生徒は私立大学の推薦入学の権利をもらうことも出来ましたが、特別クラスの生徒は成績が良くても私立大学の推薦はもらえないというシステムがありました。

私立の大学を受験するときのテストは文系の学部であれば、国語、英語、日本史など3科目程なので、それに合わせた3科目を中心に勉強します。

一方、特別クラスではセンター試験で9科目を受けないといけないため、文系でも数学や生物などたくさんの科目を勉強しないといけません。

進路を考え出してから時間が経過するうちに、特別クラスの中にも私立大学を目指すようになる生徒が現れます。

3年生に進級するときに進路を決めなくてはならないので、国公立志望から私立大学志望へと気持ちが変わると推薦ももらえない上に、勉強時間の使い方が非常に不利になってしまいます。

私自身、国公立大学を受験し、第一志望の大学に落ちたので、後期の国立大学も受験しました。

そして結果、後期には大学に合格したのですが、悩んだ末に私立の慶応大学への入学を決めました。

よくよく考えると、とても遠回りした大学受験だったと思います。

しかし、受験のために学んだ日本史や生物、数学などは、入学した大学の受験には必要なかった科目で、それを勉強していた時間が無駄であったとは決して思いたくありません。

入学はしなかったものの、何とか国公立大学に合格したということは、両親も先生もとても喜んでくれたし、自分の自信にも繋がったからです。

しかし、合格することが目的ではなく、これからの大学生活や将来のためにあるのが大学受験です。

遠回りをしても自分の選択に間違いなど、なかったと思っています。


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2023/9/13

私の大学受験は、好き勝手だった

というタイトルを書いておいてなんですが、私の場合は中学受験、高校受験と一日10時間という莫大な時間を受験にかけていました。

受験勉強というのは総おさらいであり、高校受験で勉強する内容は中学の復習です。

要するに、高校に入った時に基礎学力はすでに出来上がっていました。

多くの人がつまづく数学でも、私は3年間一度も立ち止まることなく授業についていくことができました。

これはやはり基礎学力のなせる業だと思います。

さて、大学受験で私は理系だったわけですが、まず社会、私は倫理の勉強に夏休みを当てました。

高校が開いてくれた受験対策の補講を抜かすと、一日2時間程度だったでしょうか。

そのくらいの勉強量でしたが、一か月あれば1教科の暗記には充分な時間でした。

夏休みが終わった後のセンター模試では、倫理のみ88~96を取っていました。

他は60あたりでしたが。

さて、社会はもういいので他の科目です。

国語と英語はセンター特有の「流れ」を掴めるように、過去問のおさらいを10年分しました。

数学と理科は二次試験や私立でも使うので、もう一歩踏み込んで問題集を買ってやっていました。

ですが、この当時付き合っていた白石ひより似の彼女に数学は教えながら喫茶店で勉強していました。

一番ひどい時の休日の過ごし方ですが、朝10時~16時まで市立図書館に行って、全部うたた寝。

16時から当時の彼女と合流して喫茶店で彼女の数学のわからないところを見ながら3時間くらい勉強、とこんな感じでした。

結果ですが、センター試験の点数が平均85という、何故かそれなりに出来ているといった結果に。

要するに、基礎学力というのは大学受験をもここまで簡単にするということです。

小学校、中学校の勉強を侮ってはいけません。

数学嫌いは中学で数学から目を背けていた人によくあることなんです。

受験勉強

受験勉強をするといっても、大学受験最初の関門であるセンター試験対策の勉強法と、大学別の試験である二次試験対策の勉強法はまったく異なります。

日々の勉強ではやはりそれぞれの科目でそろえた問題集を使うのが一番だと思います。

できなかった問題には、印をつけておくと後々便利です。

まず、センター試験ですが、これは高校で学ぶ範囲ならどこからでも出題される可能性があるので、高校の勉強についてしっかりと理解をしておく必要があります。

しかし、そこまでレベルの高い応用問題はそうそう出ないので、『基本』をしっかりと理解しておくことがもっとも重要です。

具体的には、それぞれ科目別の参考書や問題集があれば、それの基本問題をやっておけば対策にはなると思います。

余裕がある科目は応用問題に手を出してもいいと思います。

けして基本が出来ていないのに応用をやろうとしてはいけません。

もちろん高得点を取りたければ応用問題も解ける力を身に着ける必要はありますが。

そして、仕上げとして『赤本』を解いて、最近の傾向を軽く把握しておくといいですよ。

次に、二次試験対策ですが、これは、志望校の『赤本』を中心として取り組むのが一番良いと思います。

二次試験はそれぞれの大学の傾向があるはずなので、それを知るために過去問を何年分か解いておく必要があります。

もちろんある程度の知識が付いてることを前提としてですが。

付いていなければ解けなかった問題を繰り返しやったりして苦手をつぶしましょう。


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2023/9/5

芸術系大学での実技について

芸術系大学では実技の位置づけは、結構大きいです。

参考程度と言う名目の場合もありますが、ウエイトは大きいと思います。

芸術系ではなくても、例えば、工学部建築学科でも実技として、絵あるいはデッサンを描かせる場合があります。

私が経験したそれらの実技の内容は、手を描きなさいとか、船の絵を描きなさいと言ったものでした。

手は、左手をにぎっている所を描きました。

そのときの気持ちが表れていたと思います。

それに、手を描くのは、得意でした。

ここは、合格しました。

船の絵は、それまで一度も描いた事がない絵でした。

いつも、描くのは家の絵が多いのです。

そのため、船の絵が思い浮かばなくて、丸木舟を描いてしまいました。

こちらは、不合格でした。

実技にウエイトを置いているとは、どちらも描かれていませんでしたが、明らかに、重要視していると思われました。

また、実技ではないけれど、芸術的要素を含んだ小論文を描かせる場合があります。

私が受験した3つ目の大学は、現進路を選んだ原風景と言う様な、題の小論文を描きました。

絵自体の実技は、全く何も勉強していませんでしたが、小論文は、書き方をある程度設定をして、実際に描いて練習していました。

普通、起承転結で構成される文章を、まずは、小見出しから、何を描くか、あらかじめ決めてゆき、全体がまとまるように、何が言いたいか、が解る様客観的に考え、描いてゆきます。

こちらは、何百字から何百字の範囲でと指定がありますので、それも考え合わせて描きます。

この場合、私は、生い立ちかんら現在の環境まで描いて、だから志望しましたと描きました。

ここも合格しました。

このように、芸術系大学では、実技のウエイトが大きいですので、念入りに用意して、臨むべきです。

過去に出された実技や小論文を発表している所は良いですが、発表されない場合も多いですので、注意が必要です。

そんな場合は、私のような先輩に聞いたりする事も可能です。

高校へ行き、同じあるいは同じような大学を受験した先輩を捜してもらうのも手の一つだと思います。

センター倫理と地学を利用

私は偏差値55~60程度の国立大学を受験しました。

学部はやや特殊なジャンルで、文系とも理系とも分けられないのですが、私自身は国語・社会(日本史)が得意であったので、二次試験には文系科目を選択しました。

受験の準備期間において、ウィークポイントをなくしすべての科目をまんべんなく伸ばすか、強みである科目を満点に近づけるかといった選択を迫られますが、私は苦手な数学については最低限の時間だけを確保し、暇さえあれば社会、理科ばかり解いていました。

私自身の受験体験のなかで、少し変わったところというと、社会では日本史のほかに倫理を、理科では地学を選択したことだと思います。

もちろんセンター試験でこれらの科目の受験者数は相応にいますが、他を選択する人のほうが多数派であったと記憶しています。

倫理や地学の受験者数が少ないのは、そもそも受験に利用できる機会がほかに比べて少ない、学校で授業の時間が確保されていないことがあるといったもっとも理由もあると思います。

私自身はありがたいことに、受験でも両科目とも利用が認められ、学校でも専任の教師の授業を受けることができました。

もし、これらの科目を受験で利用できるとして、独学で備えることは可能かと問われたら、私はそれは可能であると答えます。

ただ、前言を翻すわけではないのですが、受験者数の少なさもあり、これらの科目は参考書に恵まれているとは言い難い状況です。

独学を始めるにあたり、まず参考書選びでつまずくかもしれません。

私は学校で購入した教科書、資料集のほかには特別な参考書を用意せず、赤本で過去問を繰り返し解くことに専念していました。

倫理は数年分のセンター試験本試・追試を解いていると繰り返し出現する語句や人名に気づきますし、地学は暗記系の要素が強く、たまに出題される計算問題も傾向が見出しやすく、対策をたてやすい科目です。

また、日頃から、これらの科目に関連した問題について関心があったり趣味をもっていたりすると、たいへんよい相性となり、学習に意欲的に臨めるのではないかと思います。

環境と時間が許せば、これらの科目の過去問題を一度解いてみて、扱われている内容に触れてみることをおすすめします。


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2023/8/21

部活動と大学受験の関係

私は高校時代には部活動には所属しておらず、学校の勉強だけに熱心に取り組んでいました。

当然、部活で味わえる感動や友人を得ることはできませんでしたし、思い出もないです。

結果として、私は部活動に入っていれば良かった、と思っています。

理由は前述のことだけではありません。

高校は意外とハードで、三年生にもなると課外授業と正規授業で帰って勉強できて4時間というようなことになり得ます。

この4時間をどう捉えるかは個人次第ですが、私は長く感じていました。

しかし、部活動に入っていた人たちはどうでしょうか。

部活生は一年生、二年生、そして三年生の初夏までは部活で大忙しで自分の勉強をする暇がありません。

そのため、三年生にもなると、周りが次々に受験勉強を始めていくため焦りを感じ始めます。

一方、非部活生は一年生かあゆとりを持った生活をしているため、三年生になっても授業時間が多少長くなったと思う程度で、焦りを感じるきっかけはありません。

以上より、焦りを感じている部活生は部活を引退してから凄まじい勢いで勉強を始め、個人差はありますが、成績を上げてきます。

私は、部活生で二年生まで成績に面で勝っていた友人に、部活引退後追い上げられ、私の第一志望であった大学にも合格しました。

対して、焦りを感じるきっかけがなかった私は第一志望校に落ちました。

もし、両親が許してくれるのであれば、部活動に入って、心身ともに鍛えることを強くお勧めします。

一概に比較できない大学の偏差値

大学の偏差値はおおむね受験生の模擬試験の成績と合格者を照らし合わせて模試を主催している予備校などが算出しているものが一般的だと思います。

そういうことから一つの指針でしかすぎませんが大手の予備校の出した大学入試偏差値などは受験生だけでなく世間一般の意識にも大きな影響を与えているのは確かです。

よく言われているのが母集団の違いで偏差値に大きな差が出るということです。

レベルの高い人ばかりで行う模擬試験だとハイレベルな大学でも比較的低く偏差値が出ることもあります。

そういうことから数字が一人歩きすると母集団の違いも考慮せずに偏差値がいくらだからといって大学の優秀さを単純に判断しようとする人もでてきてしまっているようです。

この母集団の違いで話題になるのが理系文系との差、国立大学と私立大学の差、大学受験と高校受験の差などが挙げられます。

理系と文系では理系は医学部を含むなど受験生のレベルが高くそのため理系全体の偏差値は低く出る傾向にあるといわれています。

国立大学と私立大学ではこちらも受験層の違いと受験科目の違いで同じレベルでも国立大学のほうが低く偏差値が出るという傾向にあります。

大学受験と高校受験も大学受験を受けるレベルと9割以上が受験する高校受験との受験生のレベルが違うことで全く比較することはできません。

こういった母集団の違いで大きく違いが出るのでやはり大学の偏差値はあくまで参考程度だと考えたほうがいいと思われます。もっと温泉に行こう!画像


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2023/8/8

一浪体験談

私は公立の高校(偏差値54程の中堅学校)を卒業後に一浪の道を歩みました。

卒業当時の偏差値は38程度で各教科20~30点しか取れなかったですが、最終的には関関同立と国立の教育学部化学課を合格しました。

まず4月から理数系でしたので、数学は高校の教科書の問題と回答をすべてノートに纏めました。

その後、青チャート~赤チャートと進めていきました。

一日の勉強時間は最低8時間で多い時で12時間ぐらいしました。

このペースで英数理の3教科が7月頃に偏差値60代まで上昇しました。

ちなみに英語は単語3000等の単語帳を毎日朝に1時間やり、最終的には2時間で1冊復習できる程度になりました。

熟語や長文練習は本屋に行って半日ほど今の自分に必要な教材を買い揃え、1か月で1冊クリアするようにしました。

理化の方は化学を高校の教科書から読み直して、英語と同様に半日ほど本屋で今必要な教材を揃えました。

一日に8時間勉強をするスケジュールですが、朝5時30分に起床して、6時~9時は英語(自宅にて)、10時~19時(図書館にて【2時間毎に休憩】)その後は自由時間で遅くとも22時には就寝しておりました。

毎週1日休みの日を取って、好きなことをしてリフレッシュしてました。

(友人とサッカーをしたり、浪人仲間と情報共有といった雑談をしたり等)このペースで3教科を実施した9月の模試では偏差値が63程になりました。

その後、国立を目指して5教科7科目を実施しましたが、逆に3教科の偏差値が下がってしまい上記の大学の合格となりました。

なにはともあれ、大学受験から13年ほど経った現在に思うことはあの頃勉強しておいて人生においてプラスになったと思います。

社会・仕事で答えを見つけ出すときに答えはなくても最善の回答をする能力が養われました。Hey動画

みなさん勉強をワクワクしながらやってください。

勉強したくても出来ない家計や事情をお持ちの方が数多くいることを忘れずに、ご家族に感謝してくださいね。

合格は、妥協、妥協の産物

高校入学後、すぐに進路相談が三者面談とともにあって、親が驚いていたことを思い出します。

私はなんとなく専門学校に行こうと決めていました。

料理の分野で、という風に何も調べず、適性や具体的な職業もあったわけではなく、仕事にできなかったら主婦として腕を活かせる、くらいのことでした。

思いのほか、定期テストが良かったので、まだ新設校として学校の歴史が浅いこともあり、担任は大学進学を勧めました。

合格実績がほしかったのかな、と今、先生方の年齢になって、その立場もわかります。

担任は数学の教え方のわかりやすいことで生徒からも親からも信頼されていました。

私は文系に進んで三年生になってあきらめたはずの数学の微積分や生物や化学、物理の必要な理系方面の大学に行きたい、と思い始めました。

しかし、理科一科目、数学の微積分なしのいわゆる文系数学で受かりそうなところは全国の大学を探してもそんなにあるわけではありません。

秋頃だったと思いますが、推薦入試を受けに行きましたが、過度の緊張症が出て面接は全然だめ、足元がめまいでぐらぐらと揺れたことだけは覚えていますが、どんな質問にどんな風に答えたかは全く記憶に残りませんでした。

その後、共通一次からセンター入試に変わったばかりの試験を受け、生物選択で理科の点数が67点の自己採点、これに驚いてまた受験校を変更し、文系数学と理科一科目の点数でなんとか引っかかる2校から合格をいただいたのでした。


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2023/7/31

受験、再び

大学受験、思い出します。

私は二度経験しちゃいました(笑)。

一年目、正直全然勉強をしていなかったので、もう浪人しようって思ってました。

いわゆる関関同立を目指していたのですが、まあこれでは絶対受からんだろうなというくらいに頭悪かったです。

でも何だかんだやっぱり怖くて、一ランク下の産近甲龍のうち一つの後期日程を受験させてもらいました。

後期です、私の受けた学部は倍率18倍、受かるわけないと思っていました。

ですがテストが…正直すごく簡単でした…。

悩むことがない。

さっさと終わらせて机に伏せて寝ると周囲がざわつく感じがしました(笑)。

産近甲龍と関関同立にここまで差があるとは、受けてみて本当にびっくりしました。

結果合格、とはいえ浪人しようと決めていたし、あまりの試験の簡単さにビビってしまったので蹴り、一年間自宅で浪人生活を送ることになりました。

浪人中、アルバイトをしつつ勉強していたのですが、夏ごろに病気で一か月入院することになってしまいます。

結果的にこれでアルバイトを辞めたので、勉強時間を確保できたというのはあるかもしれません。

毎日平均八時間は勉強をし、センター利用をするためにセンター試験二週間前から毎日あらゆる過去問・模擬テストを、英語、国語、日本史の三教科分×2セット行っていました。

今思えばもう少し頑張って国公立目指せばよかった。

本番では一番行きたかった学校の学部以外はすべて合格、少し残念ではありましたが、浪人と言うはじめての挫折や入院などのトラブルに見舞われた私を心配していた親も喜んでくれましたし、二度の大学受験も悪くなかったかな、と思います。

徹底的なニガテつぶし方法

私の受験した大学はセンター試験重視だったので、徹底的にセンター試験対策を行いました。金8天国

基本的に行ったのは過去問題を何度も繰り返し解くことでした。

手に入る限りのセンター試験の過去問題を、間違えなくなるまで何度も同じ問題を解きました。

何年かに一度はまったく新しい問題が出題されるセンター試験ですが、ほとんどは過去の問題の応用が出題されます。

なので過去問題が100パーセント解ければ、満点とはいかなくとも高得点が取れるわけです。

また昨年出た問題は翌年には出にくい傾向もあるので、そのパターン研究も行いました。

さらに苦手な分野は薄い問題集を購入し、直接書きいれずにコピーを取って何度も繰り返し解きました。

先に書いたセンター試験問題と同じように、1冊の問題集を間違わなくなるまで何度も解く勉強方法をしていました。

教科書を丸暗記するのは難しいですが、その全ての問題の応用ができればいいわけです。

できるだけ薄い問題集を使うのは、そのほうが出題されやすい問題が凝縮されているからです。

分厚い問題集を1冊やり終えるのは時間がかかり、さらに間違えた問題を完璧にしていたらあっという間に勉強時間が終わってしまいます。

その点薄い問題集ならニガテな問題でつまずく回数も増え、いちもどこで間違えるのかが一目両全です。

薄い問題集でも何冊も解いて積み重ねれば、かなりの達成感になります。

とにかく自分のニガテをみつけてそれを全てつぶしていけば、満点に近づいていくのです。

この方法で目標の国公立大学に無事受かりました。

時間はいくらあっても足りませんが、毎日少しずつでも勉強を継続していくことがおすすめです。


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