こんにちは。manaです。
見つけて読んでくださり、ありがとうございます。

今朝方、東北地方で大きな地震がありました。

津波警報・注意報は解除されたようですが、お気をつけください。

また関わる全ての方の無事を祈っています。

 

今日は11月22日「いい夫婦の日」ですラブ

夫婦じゃなくても、いつもそばにいる方を大切にしたい日です。

そして逃げ恥第7話!!楽しみすぎる!!

 

あなたもスタンプをGETしよう

 
さて、今日は私についての続きです。
「いろんなテーマでブログを書いているけど、manaってどんな人?」
と思った少数の方に向けて書いております。笑
 
 
少し、「死」について書いた、かなりヘビーな内容になります注意
「いい夫婦の日」に似つかわしくない内容ですみません。
苦手な方はご遠慮ください。
なるべく端的に書きたいのですが、
色々ありすぎてそうはならないのであしからず。笑
また超・長文にお付き合いください。はじまりはじまり~ルンルン
 
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女子校に入って、ハッピーな中学・高校生活でしたが、
高校2年生の時に、我が家に衝撃が走りますガーン雷
 
父親が急に仕事を休むと言い出したのです。
舞台・コンサートの音響として、長年キャリアを積み上げ、
あるアーティストとともに日本中のツアーの同行や年2回の海外公演、
年末は紅白で正月も1日だけなど・・・ほぼ家にいることができなかった父。
だから少し休んで、兄や私との時間を作りたいと。
でもその実情は、そんな簡単なものじゃありませんでした。
 
給料はそれなりだったし、仕事に誇りをもっていたけれど、
年々アーティストはスタッフの経費を削減する方向で、
ギャラの高いベテランより若手を使うようになってきて、
父の居場所も狭くなってきたところで、裏方スタッフ総入替えとなったそう。
(まぁ、普通のサラリーマンでいう経費削減の為のリストラのようなものでしょうか)
 
高校卒業後に上京して、音楽業界の裏方として今まで頑張ってきた父は職人気質で、
お世辞を言うのも、ヘコヘコ媚びるのも大嫌い。
後輩に仕事をもらうのも耐えられなかったんだと思います。
ちょっと休むつもりが、どんどん仕事から遠のいていきました。
 
そんな下降気味のムードの中、
私が高校3年生の時、障がいを持っていた兄が亡くなりました。
そのことは2009年のブログ記事「4月28日」で綴っていたのでよかったら読んでください。
その兄の死で、父はもう完全に糸が切れてしまったように、
自分の殻にふさぎ込むようになってしまいました。
 
一方で母は、
「25年間自分の人生を捧げて全力で介護して、全力で愛してきたから後悔はない」
と言ってはいたけれど、兄の葬儀では火葬場で泣き崩れ、卒倒するくらい、
同じように自分の子が先に亡くなって辛かったと思います。
でも、その後は母は仕事を始め、自分の時間を生きようとしていて、
改めて母は強いなぁと思いました。
 
だからこそ、いつまでも悲しみの淵で沈んでいる父が、
はがゆくて、悔しくて、腹立たしかったんだと思います。
父が仕事を離れてから、母はイライラしてることも多かったですが、
兄が亡くなってから、夫婦喧嘩が一層ひどくなりました。
 
私は板挟みでした。
高校2年~3年って大学受験で一番大事な時期だったんですけど、
うちに帰れば親が喧嘩していて険悪だし、塾や友達と遊んでる方が楽しくて、
外の世界に逃げていました。
 
母の気持ちも、父の気持ちも、どっちもよく分かりました。私もつらかった。
もともと夫婦仲が良かったからこそ、母が父をけなすのが許せなかったのです。
仕事現場によく連れてってもらい、仕事に誇りを持っている父が私の憧れでした。
だから父の、ふがいないと思っている気持ちが痛いほどわかりました。
仕事現場で「もう必要ない」と言われ、
自分が教えてきた若手に今後を心配されるという屈辱、
その上あまり一緒にいてやれなかった息子が自分の腕の中で亡くなるというショック、
父には耐えられなかったんだろうと想像がつくのに、
なぜ母はもう少し思いやって優しく接してやれないのか・・・・。
私は父より母のほうに怒っていましたムキー
 
学校生活は楽しいものの、家に帰れば居心地の悪い日々。
大学受験は第一志望は残念ながら落ちてしまいましたが、
なんとか4年制大学に入り、夢の大学生活に突入しますが、
父は相変わらず仕事復帰する様子もなくふさぎ込み、
うちの家計は貯金を切り崩しながらの生活でどんどん火の車。
 
当然といえば、当然だと今では思いますが、
高校を卒業したら全て自分のことは自分で払うということになり、
私の大学生活はバイト漬けになりました。
 
大学受験が終わってすぐにスタバ、イタリアンレストランのウェイトレス、
(スタバは私の勘違いで配属店舗が家から遠かったため一旦辞めましたが)
イタリアンレストランはほぼ週4~5日で入り、
土日はテレアポのバイトをしていました。
(ちなみに夫とはこのイタリアンレストランで出会いましたピンクハート
 
私は親不孝なことに、海外留学必須な学部に入ってしまったため、
うちは、それまで乗っていた車も売り、ピアノも売り、
私のバイト代や奨学金も入れて、なんとか留学費用を捻出し、
半年ほどアメリカに行くことができましたが、
もっと学費の安い第一志望に入ってれば・・・と悔やまれました。
とはいえ、海外留学はしたかったので行けてよかったですが飛行機キラキラ
 
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※留学中に旅行で行ったニューヨークにて。お金なくてマックばかり食べてました。笑
 
留学後、今度はスターバックスに復帰コーヒー
(今度はちゃんと家から通いやすいところへ。笑)
スタバでは肉体労働だし、覚えることも多く、接客一つ一つも気を遣いましたが、
良い仲間に恵まれ、めちゃくちゃ楽しかったです爆  笑
そして土日は大型家電量販店で販売員をやっておりました。
ちなみに掃除機とかプリンターとか売っておりました~。
拘束時間が長く、規則や業務自体も厳しいのですが、時給は良かったですね。
 
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※ビル再建で今は無き私のサードプレイス。懐かしい思い出がいっぱい。
 
バイト漬けの日々でしたが、家にいるよりマシでした。
やればやるだけお金が入ってくるし、
働いているうちは家での嫌なことを忘れられました。
母の怒っているヒステリックな顔、父の生気の無い顔を思い浮かべるだけで、
ドス黒い感情がこみ上がって来るほど、私は精神的に追い詰められていたので、
笑顔で他人と接し、たわいもない会話ができるスタバや販売員の仕事が、
私の居場所になっていました。
 
とはいえ、私の学部は必修科目が多いので、
大学もなるべく休まず、レポート課題もこなすのは、ハードでしたアセアセ
でもなんとか1~2年の間に取れるだけ単位を取りまくり、
3~4年はゼミと他少しの授業のみで済ますことができました。
 
でも、いわゆる女子大生らしいことできなかったな、と少し今では悔やまれます。
女子校時代の友人がサークルの飲み会やイベントを楽しむ中、
私は授業が終わったらまっすぐバイト先に向かう日々でした。
お金のことや家のことを何も心配せずに遊んでいられる友人を見て、
とてもうらやましかったです。
 
バイトに明け暮れるうちに、就活を真剣に考える時期になり、
私はどうしても本を作る側になりたいという夢がありました。
この業界はとても狭き門であることはわかっていましたが、
何度も何度も挑戦しては叩きのめされ、
私の時代は売り手市場で、みんなが4年の5月までにはどんどん内定を勝ち取る中、
私は卒業間際までスーツが脱げませんでした。
 
娘が就活でも、家の中はゴッタゴタでした炎
母は父を罵倒し、父も母を振り切り自殺未遂したり・・・。
一番腹が立ったのは、第一志望の企業の面接前日に、
死ぬ・死なないと、母と私のバトルが真夜中に繰り広げられたことでしょうか。
まぁ第一志望の面接はうまくいきませんでした。
実力不足もあり、そのバトルだけがうまくいかなかった理由ではありませんが・・・。
私のメンタルは捨てられる寸前のボロ雑巾でしたねドクロもやもや
でも誰も私を気にかけてくれないのが辛かったです・・・。
みんな自分のことでいっぱいいっぱいでしたぐすん
 
救いは今夫となった当時彼氏や、親友たちでした流れ星
私の心にため込んでた黒い感情を吐き出させてくれ、支えてくれました。
彼や彼女たちがいなかったら、私はここで死んでたと思います。笑
今こうやって笑って文字にすることも振り返ることもできないでしょう。
私と同様に家族について悩んでたり、辛いときは、
「逃げること」も自分を守るために必要だと思います。
(盗んだバイクで走り出すような非行に走るのとは違います!)
 
就活はどうなったかというと・・・
正社員は全滅でしたが、なんとか出版社に喰らい付くことができました。
編集アシスタントという名の丁稚奉公(いや奴隷)として、働けることになりました。
捨てる神あれば拾う神あり!人生捨てたもんじゃない!
・・・ってこのときは泣いて喜びました笑い泣き
 
そこからリアル『プラダを着た悪魔』ワールドハイヒールに突入!です。
 
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
 
なんとも「いい夫婦」ではなく「悪い夫婦」の話で
暗い気持ちになってしまった方、申し訳ありませんアセアセ
そしてクッソ長くなって読みづらくてすみませんえーん
とりあえず上記は反面教師にして、
今夜は「逃げ恥」観て、HP回復してください。笑
 
その後大学を卒業し、今度は憧れの出版社で働き始めました。
しかしそんな憧れだけでやっていけるほど生半可な世界じゃありませんでした。
次回は怒濤の編アシ時代を書きます。

 

下矢印今でもスタバのバイトで学んだことは仕事に活かされています。下矢印

 

 

また気が向いたら読んでくれると嬉しいです猫しっぽ猫からだ猫あたまラブラブ
 
長々とまとまりのない文を最後までお読みくださり
ありがとうございます。
 
mana