アンドラーシュ・シフさんによるベートーベンの『ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 作品110』の講義を訳してお届けしています。
講義の合間に演奏が入るので、実際の講義を聞きながら訳を読んでいく方法をお勧めします。
講義を聞くには、こちらのウェブサイトに行き…
Beethoven Lecture Recital Part 8 を探して…
2. Piano Sonata in A-flat major Op.110 をクリックします。
あるいは、YouTubeでも聞くことができます。
今日は第3楽章(13:43〜21:39)を訳します。
Adagio ma non troppo(ゆっくり、でも遅過ぎず)
作品109と同様、作品110でも、最終楽章が最も重要な楽章になります。
最初の2楽章と最終楽章が対となってバランスを取っています。
この最終楽章の形式は、特筆すべきものがあります。
ベートーベンの自筆譜やスケッチを見ると、彼が大変苦労したことがわかります。
他の自筆譜でここまで書き直しで埋まっている楽譜はないでしょう。
苦心の跡が見えます。
楽章の初めはAdagio ma non troppoで、una cordaつまり弦1本です。
第2楽章の終わりはヘ長調で、それが変ロ短調の属和音の役割を果たし、そこから始まり・・・
(演奏15:35)
でも変ロ短調は、このソナタの調からはだいぶ離れています。
ですから、どうにか転調して主和音に戻らなければなりません。
どうしたかというと・・・
(演奏15:52)
ここで既にバスがB-flat からC-flatに動き、
バスがG-flat からG-naturalに移り・・・
ここで変イ短調・・・
そしてここでアルペジオ・・・
ここまではベートーベンはペダルを踏み続けた状態で弾くように指示しています。(上記譜例の4小節目)
私がおかしいのではありませんよ。
彼の指示です。
『テンペスト』を覚えていますか?
(演奏16:52)
この曲のこの部分で、ベートーベン はレチタティーボ用の素晴らしい音響効果を発見したのです。
ペダルを踏み換えないことにより、音が全て一つの流れの中に泳いでいるような効果が現れました。
これは彼の革新的なペダル奏法です。
作品110に戻りましょう。
(演奏17:35)
後に『第9交響曲』で、「O Freunde, nicht diese Töne!(友よ、このような音ではない!)」と言っているので、他の音を探しに行きます。
(演奏17:56)
A-naturalの連続による、どもるようなモチーフですが、クラシック音楽の常識としては、タイが書かれていれば、二つ目の音は弾かずに伸ばします。
しかし、ここではベートーベンが二つの音の上に違う指使いを書いています。
指使いが「4-3 4-3」となっているので、弾き直して欲しいという指示だと分かります。
2音目は1音目より小さくします。
このテクニックは、カール・フィリップ・エマニエル・バッハのクラヴィーア教則本に掲載されています。
「ベーブング」と呼ばれるクラヴィコードのテクニックの一つでした。
(演奏19:18)
このA-naturalの連続の間に、ベートーベンはuna corda(1弦ペダル)から次第に 2弦、3弦と増やすように指示しています。(tutte le corde )
それによって、はっきりと音量が増え、まるで閉まっていた窓を徐々に開けていくような効果が生まれ、その後またその窓を閉めて行きます。
(演奏19:58)
ここからレチタティーボ・・・
(演奏20:18)
ここは有名な『Klagender Gesang (嘆きの歌)』です。
バッハの『ヨハネ受難曲』(の中の「Es ist vollbracht」)との関連が指摘されています。
ここはこのソナタの最も心揺さぶられる箇所です。
ベートーベンの告白のように聞こえます。
彼はこの頃、既にかなり健康を害していました。
この哀歌は彼の病気を表現しているのではないかと思います。
そして「Es ist vollbracht(完了した)」という言葉が、この『Klagender Gesang (嘆きの歌)』の最後の旋律の上に乗るように思います。
(演奏21:39)
今回話題にされている「ペダル奏法」について、シフさんは「ベートーベンの発明」だというニュアンスで話されていますが、次回は、講義の続きに行く前に、ペダルについて書きたいと思います。
河村まなみ