今日はこちらの動画の1時間12分26秒から1時間17分00秒を訳します。
直訳の場合もあり、要約になる場合もあります。
今日は、講義の最後の質疑応答です。
音楽の学習者としても指導者としても学ぶ事の多いお話をしてくださいます。
《質疑応答》
私からのレクチャーはこれで終わりです。質問はありますか?
Q「楽譜に全てが書いてあるわけではありませんよね。常に演奏者がある程度・・・」
そうです、演奏者はいつもバランスを保っていなければいけない。
100年くらい前の録音を聞くと、演奏者はかなり自分の好きに作品を解釈し、それを「個人の表現」として演奏して良かったようだ。時には、現在の私達の価値基準から逸脱しているような演奏もあった。
1940〜1950年くらいになると、(その頃私は大学院生だったが)「楽譜に忠実に‼️」と言われるようになってきた。
1960年代になると、ニューヨーク・タイムズの批評家が、「最近の若い演奏者は皆同じように弾いているので、誰を聞いても変わらないし、イマジネーションに欠ける!」という批判を書いている。
その頃パブロ・カザルスは、「音ではなく、音と音の間が重要だ!」と教えていた。
このように、演奏に際しては、いつもこの永久の両極端の事実と向き合わなければならない。
演奏者は、作曲者の作品を観察することから始めなければならない。
私はこの講義を通して、歴史その他を含めて作品を掘り下げ、ベートーベンが何を聞いていたのか、頭の中で、また実際のピアノの音でどう聞いたのかを考察したつもりだ。
しかし、勿論これは始まりに過ぎない。
演奏者はこの観察から、決定を下していかなければならない。
「伝統」はどうか、現代のピアノで弾くとどうなるか、なども考慮しなければならない。
そして一番大事なのは、自分と作品との関係を深めていく作業である。
楽譜を読む事は長いプロセスの始めに過ぎない、が、とても大事な始めである。
私達は、自分勝手に作品を曲解して好き勝手に弾いてはいけない。
同時に、ただ観察した事を弾く、というような学術的だけどつまらない演奏もいけない。
この講義の始めから言っているように、作品との個人的な深い交わりを持たなければいけない。
楽譜を読んで決定を下す時、いつも自分に「なぜ?」と理由を問いかけて欲しい。
そして、理由を説明できるようにして欲しい。
単純な答えはない。
私達音楽家の創作活動というのはこのように時間がかかり、手間がかかる。
一つの思い出をお話ししたい。
私がイーストマンで博士課程にいた間に教えて下さったセシール・ゲンハート先生(米国内で当時最も高名な先生だった)が退職されたので、お会いしに行ったことがある。私は、先生が高齢者施設でボーッと暮らしていると想像していたが、ドアから出てきた先生は、手に楽譜を持ち、「スチュワート、良く来たわね!今、ショパンのこの音がここにもあるって発見したところよ!」
(笑)
音楽家の人生というのはこういうものだと思う。
「1940〜1950年くらいになると『楽譜に忠実に!』と言われるようになってきた。」という先生の言葉に驚きました。なぜなら、私が「楽譜に忠実に」という言葉を聞いたのは、インディアナ大学でプレスラー先生に教わり始めてからです。
先生はそこは大変厳しかったですが、今は、その教えに感謝しています。なぜなら、そうしなければ見えてこない作曲者の意図があるからです。
ゴードン先生の講義はここで終わりです。
次回は番外編として『べートーベン・ピアノ・ソナタの読み方〜プレスラー先生の場合』特に、ゴードン先生が触れなかった『強弱記号の読み方』について、プレスラー先生から教えて頂いた事を書きたいと思います。