DNAを辿ってみた
昨年末に叔母が亡くなり、それ以来、叔母の一人息子から時々メールが届く。叔父も亡くなっているため、休みのたびに実家に帰り片付けをしているようだが、叔父はなんでも貯めておく人だったので、面白いものが出てきたとばかりに電子ファイルで送ってくる。旅行に行くことなどなかった叔母が私の母と旅先で撮影しただろうと思われる写真や、まだ電話のなかった時代に母が東京に住む妹に宛てた電報の写メが送られてくることもある。その度に私が母に「これはどこで撮った写真?」「なんでこんな電報送ったの?」と確認して、その結果を従兄弟に伝えている。その度に、知らなかった父母の生活ぶりや、見ることのなかった母親の別の側面などが浮かび上がってきて彼はとても驚いている。先日は、手続きに必要ということで取り寄せていた戸籍謄本が送られてきた。なんと江戸時代生まれのひいおじいちゃんとひいおばあちゃんの名前も記載されている。それを見ると明治生まれのおじいちゃんには姉と3人の妹がいたらしい。唯一地元に残っていた末の妹は22歳に結婚して1年足らずで離婚していたこともわかった。大正時代の出来事だ。「当時、離婚なんて大事件だったはず。きっとこの後は再婚せずに1人暮らしだったのでは?」と従兄弟は言っていたが、母に確認をしたらそうではなかったらしい。とても美しい人で美貌を見染められて最初嫁いだが、家との相性が悪かったのかすぐに離婚したが、5年そこそこで次の旦那さんが見つかった。夫となった人もすごくいい人で戦後、東京で焼け出されて地元に帰ってきたおじいちゃん一家は、妹の嫁ぎ先でお世話になり、なんと14年も間借りをしていたようだ。「そのおばさんが離婚をしてくれたおかげで、おじいちゃんたちは助けられたんだね」と従兄弟は言っていた。確かに、、、、、。そのおかげで、今の私たち家族の生活がある。そう考えるととても不思議な気持ちになった。