人の言葉や行動は、時に他人を傷つけることがあります。言った側からすれば別に悪意も無く、 そんなことで? と思うことがきっかけになることも多いでしょう。それは受け取る側の問題だからではありますが、頭で分かっていれば心が感じることをコントロールできるかっていうと、そうではないですよね。
それでもただの誤解であるなら、他意のないことを知り、謝罪を受ければ傷は癒されます。
一方、誤解したまま自己防衛から相手を傷つければ、お互いの間にあった問題が露呈して、それは良くも悪くも変化をもたらします。
その変化は、多くは両者にとって必然だったものだと思うし、必然の意味が理解できれば相手も自分も赦すことができると思うのです。
私も過去に気持ちのすれ違いからお互いに傷つけ合い別れた人がいます。
自分の思い込みからの言動が相手を傷つけていたと知り、同時に自分もまた相手から傷つけられていたことに気付き、そこから多くの時間をかけて苦しみから立ち直る努力をしました。
今は相手のことも、過去の自分も、ああなったのは必然だったと受け入れることができているし、気持ちも落ち着いてきました。
赦すことはできるのです。
けれど何かのきっかけでその過去の出来事が思い出される時、痛みを感じる自分もまた思い出されるのです。
人は されたことを忘れないのです。
たとえ相手がもうしないと誓って振る舞いを改めたとしても、過去は変えられません。
そのような悲しい出来事はそこら中にあるのだろうなと遠くを見ながら思ったのは、自分を上手に大事にするのはやっぱり大切だなということです。
そうして今日も 自分の至らないところも、他人の至らないところも 赦してやろうという気持ちになるのでした。
赦すことはできるのだから。
