母について
母と私は、上手く関わり合うことができない
母子家庭で、ひとりっ子で育ってきた私
私の母は変わっている……と思う
高校を卒業して母のもとを離れて感じたこと。気付いたこと。
母は私に、お金やものをせびるのだ
断ると「お母さんが大変なときに、いつも助けてくれないよね」と呪いのような言葉をかけられる
私は母と電話をすることが怖くて仕方ない
電話に出たり、電話をかけたりすると、母は今にも死にそうな声を出すのだ
昔からそう
気を引こうとしているのだろう
お金やものをせびる手段のひとつなのだと思う
大学時代、ある条件を満たした私は大学から特別に奨学金をいただいた
3分の1を母にと思い「○週間後に奨学金をもらえることになったよ!お母さんに郵便局から振り込むね!」と約束をしていた
予定通り、○週間後に奨学金をいただいたが、新聞配達の仕事が忙しく郵便局に行けずにいたところ…
母から催促の電話がきた
ただの催促ではない
「お金を早く振込んで!そのお金がないと家賃やら何やらが払えない!そうなったらお母さんはもう死ぬしかないー!」とヒステリックに喚いている。
まさかの命をチラつかせた呪いのような電話だった
この時の衝撃を15年以上経った今も忘れることができない
衝撃的なエピソードは、これだけにとどまらない
ここには書ききれないくらいあるし、このブログを読んでくださった方の気分を害することにもなるエピソードなので、書かずにおこう
思えば母は、いつも誰に対しても自分の都合を最優先に、押し付けて生きている
相手の気持ちなんて、娘の気持ちなんてお構いなし
被害者はいつだって自分なのだろう
考えてもみてほしい
そう言われた娘の気持ち
今日「やっぱり私は金づるなんだ」と改めて確信する出来事があった
「母にとって私は何なんだろう?」という感情が溢れ出し、涙が止まらなかった
そして新たな呪いの言葉をかけられた
「お母さんは、あなたを一生懸命育ててきた」
そうだね、お母さん
お母さんは一生懸命だったね
でも、一生懸命だったのは私を育てるため?
違うよね?
見栄とプライド、背伸びをした生活と自分を過信したことによる代償を払うためだったんじゃない?
お母さんは私のためにも一生懸命だったかもしれないけれど、私のことは2の次、3の次になることがほとんどだったじゃない
お母さんが一生懸命だったのは否定しない
けれど、それを盾にしないで。
それを押し付けないで。
私には呪いの言葉でしかないよ。
私はお母さんのような母親にはならない。
絶対に。
そう決意した瞬間だった。