はろはろ
ありのままの自分で花ひらく
花療法士マナです
マンネングサ 王冠みたいで可愛い
沖縄滞在中の先日、はじめて草療法家のかわしまようこさんにお会いできました。
しかもしかも、なんとマンツーマンで。ああ、贅沢の極み。。。
かわしまさんのご本は全部読んでいて
『すごく濃密で繊細な世界をつくる方だ。。。』と静かに圧倒されていたのだけど
いろんなタイミングが重なって初めてお会いできて、すごーく嬉しかった。
逢いたかった!というより、まずはその世界にお邪魔させてもらいたかった、のほうが正確かも。
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その日は腎臓のお手当の方法と草の足湯と温灸を教えていただいて、
「腎臓と対話すること」
「腎臓とつながりのある恐れをとるワーク」も。
フーチバー(ヨモギ)とサンニン(月桃)
腎臓が冷えると恐れを感じやすくなる、
恐れが出ると腎臓に疲労がたまる。
心と身体はいつもピッタリと寄り添っている。
二人並んで足つぼを押しながら、『恐れ』についてゆっくり話した。
ここ数年の私の興味関心は、
心や感情や脳の働きを研究すること、
そして自分の内側と向き合うこと。
これまで生きてきた中でしんどいことも多々あって、
それを手放していくにはやっぱり私の中を整理していかないといけないなぁと思って
瞑想道場みたいな岐阜のうちの中でコツコツ自己対話を続けている。
そうしていると自分のなかで沢山の発見があって、
ちょっとずつ実践していくうちに、生きているのってこんなにラクで楽しくていいんだー!?というまでに。
フラワーエッセンスたちもいつも力を貸してくれる
だけど『恐れ』は心のなかにこびりついていて、なかなかスッキリとしなかった。
私の恐れのメインは、というと、やっぱり『対人関係』。
両親が厳しかったことや、幼少期の環境のこともあって、なんだかいつも周囲の人たちに怯えていた気が。
保育園では長い間「おうちに帰りたい...」と泣いてた(可愛すぎ←
そしてある程度大きくなって自我が出てきてからは、
あらゆるコントロールや支配しようとしてくる手を一生懸命振り払ってきた。
『私はひとりで大丈夫!』『ひとりでもちゃんとやれる!』『干渉しないで!』と。
そのなかには『良く見られたい』という欲望もあったし、『嫌われたくない』というビビリもあった。
特に、初めての場所に行くとき、初めての人に会うとき、それらに憧れや好意を持っていればいるほど、私の欲望やビビリは発動する。
そうなると、私の目はキョトキョトしだす。
地に足が着かず頼りない所作になって、楽しい時間のはずがどこか上の空に。
あーダサいな。もったいないな。
と自分のなかでもうひとりの自分がちょっと苦くて悲しい顔をしている。
それはどうしたらいいんでしょ...とかわしまさんに話すと
「そういう自分に気づいたら、それをジャッジしないの。
好きな人に好かれたい、嫌われたくない、と思って振る舞っていても
“だって、好きなんだもん。好かれたいんだもん。嫌われたくないんだもーん。”
って、そう思っている自分をまずはまるごと受け入れる。
そんな自分もいることをまずは知って認める。それだけ」
と。
鳥肌。
いろんなことがシュワシュワと炭酸みたいに立ち上ってくる。。。。
つまり、自己対話してても、他人のコントロールや支配を振り切ってもなかなか最後のしんどさから抜けきれなかったのは、
実は私自身が私の心や感情や振る舞いをジャッジしたり、見張っていたのが原因なんだ、ということ。
誰かをお手本や反面教師にして
『こうしたら褒められる』『ああならないようにしなきゃ』『普通に、あるいは普通以上に出来るように』と
頑張って頑張って自分を見張っていた。
誰よりも私が私自身に冷たく厳しかった。
あーーーー、そうか、そうか、そうだった。。。。。
シュワシュワしていた感情はプチプチと弾けて消えていった。
ワークの最後にかわしまさんが、ちょっとニッとして
「目線の合わせ方や話し方が落ち着いたね」
と言ってくださって、
その空間に自分の身体が馴染んで居心地良くなっていたのに気づく。
恐れを抱えたまま生きていて良いし、
切り離そうともがかなくて良い。
どこでも、どんな自分でも最高で最強だー∞
Manakamana Essence
花療法士 Yoshida Manami
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