in a small villege of Zafimaniry people in central Madagascar



ムルンダヴァ郊外で念願のバオバブ並木を見たあと、今度はマダガスカル中央高原にあるアンチュラベへ移動することに。
そこまでの道のりも15時間ほどタクシーブルースに揺られて行かなくれはならなず、楽ではなかったものの、前回首都のアンタナナリボから来た時と違い、今回は夜行ではなく日中の移動だったので景色が楽しめてよかったです。車中で一緒だったおばちゃん達も気さくでお昼や途中の休憩タイムなども和気あいあい同じテーブルを囲んで世間話を聞かせてくれたりしたし。
でも、、日中だと前回は夜間で見えてなかった道路状態の酷さが良く分かり、よくまぁこんな悪路を真っ暗闇のなか猛スピードで突っ走ってきたな・・・と呆れてしまった。まぁドライバーからしたら何度も通って慣れている道だからへっちゃらなんだろうけど。ホント、恐れ入ります。

アンチュラベには無事その日の夜にたどり着き、翌朝にはそこから2時間ほど南にあるアンブシチャへ移動。

アンブシチャに来たのはザフィマニリと呼ばれる独特な木彫文化を持つ民族の村を訪れるため。ザフィマニリはマダガスカルの主要18民族には数えられていない少数民族なのだけど、彼らの高い木彫技術が前世紀後半にマダガスカル内外でも知られるようになり、今では彼らの村を訪れる海外からの観光客の数も増えてきたそう。
が、アンブシチャから彼らが住む一番大きい村、アントウエチャまでの交通機関(タクシーブルース)は週に一便、水曜の早朝にしか出ていない。その水曜の朝にはアントウエチャで市場が開かれるためアンブシチャからも売り子、買い子が大荷物を持って向かうのだ。そのたった一台のタクシーブルースを逃したら一週間、そこへは行けないとあって、私もマダガスカル人も乗り逸れないよう必死。
結果、マダガスカル内で乗った乗り物の中でこのアンブシチャからアントウエチャ行きの2時間のタクシーブルースの人口密度が一番高くなったのは言うまでもない。。12人乗りのバンに25人を詰め込み、その上バンの屋根に荷物をこれでもかというほど乗せて走りました。。
その上、道中の道も未走路・山道ときて、旅に出て一、二を競う酷さとあり、振動のたびに窓や両隣、前後の人と頭をぶつけながらの移動となった。
まぁ、事故られなかっただけ良かったとしよう。

さて、ようやく辿りついたアントウエチャ。既に結構の人が市場で店開きの用意をしていてその様子を覗きながら歩いていたらおじさんや男の子達が「俺をガイドに雇わないか?こっからもっと山奥にあるザフィマニリの集落に連れくぞ!」と言ってくる。その中から英語が多少なりともできるおじさんロムさんにガイドを頼むことに。
市場でおやつにバナナを買い、アントウエチャの村を出発。ロムさんに「ここから1時間半ほど山の中を歩くからね!」と元気よく言われ、多少覚悟したものの標高がそこそこ高いこの高地のボコボコ山道を上り下りするのは当たり前だけど大変だった。。



山道から見たアントウエチャの町並み


昔はここ一面森林で覆われていたそう


長年の森林伐採で今ではニュージーランドのような風景に


一時間半ハイスピードで歩き続けてやっと見えてきた集落・・!!


上記の集落へ向かう道中でアントウエチャでの市場に買い出しに出かけるザフィマニリの人たちに沢山会った。多くは女性だったけれど、みな裸足なのに忍者の如く素早く山道を降りていくので感心していたら、ロムさんに「彼女たちは市場で大量に買い物して、帰りはこの山道を30キロほどの荷物を頭の上に乗せて各集落へ帰っていくんだよ」と説明を受けた。
30キロの荷物・・・この坂道を・・裸足で・・ 世界には様々な環境下で生き抜く人たちがいるのだなと再確認させられました。



この集落には500人ほどのザフィマニリが住んでいるそう


村の穀物倉 ちゃんとネズミ返しがついていた!なんか懐かしい


マダガスカルは総じて子沢山 ここの村も子供がいっぱい


この集落は家も家具も全て村人による手作り こちらは食器入れだそう


村人作のお土産品 木箱と果物ナイフなどを購入


木戸に施されていた見事な木彫


上記の模様の中心は太陽を表していて、それは自然の恵みを掲示していて、周辺の糸模様は蜘蛛の巣を表していて、こちらは家族や村の強い絆を表現しているのだそう。


家の中は一間でキッチンの周りで皆寝起きするそう もちろん電気なし


こちらは村の長老 御歳95! 女の子はひしゃ孫の一人だとか


こちらの集落の長老さんはザフィマニリの中では現在最年長なのだとか。
と言うのもマダガスカルでは乳幼児の病死がまだ多く、平均寿命は日本に比べてかなり短く45歳前後。なので、このおじいさんのように長生きする人は物凄く希なので、崇められているそう。
村長さんの子供、孫たちを全部合わせると100以上いるらしく、この集落に住んでいる500人の殆どが彼にとっては親戚となるんだそう。すごいっすね。。

ザフィマニリの人たちも近年では仕事を求めて町に降りて生活するようになり、年々村から働き盛りの世代が減っていきているのだそう。
稲作もあまりできない山間部で現金収入はたまに来る観光客からぐらいしかないならば生活は厳しいのは間違いない。
食い詰めた地方からの出働きの人口が増えて治安が悪くなっているアンタナナリボと貧しいけれど平和なこの村。どちらがいいかなんて言えないし、分からないけれど、何とかこのコミュニティが残っていく方法を考えて欲しいものです。


色々考えさせられた
ザフィマニリの村を訪れたあとは一度アンタナナリボへ帰り、そこから東へ宅ブルースで3時間のところにあるペリネ特別保護区へキツネザルを見に向かった。


こちらの扇のような植物もマダガスカル特有のもの


ペリネ特別保護区周辺の村はどこも牧歌的


その村の軽食堂でランチ いつもながらにご飯の量が半端ない



ペリネ特別保護区にはキツネサルの中でも一番大型のインドリと呼ばれる猿がいるので有名。この保護区内を歩いて見て回るには必ずガイドを付けなければいけないため、ちょうど保護区ゲートにいた控えめなジョージ青年に頼むことに。
ジョージの歩く後を付いてくこと2,30分。森の中からザトウクジラの鳴き声のようなものがハッキリと聞こえてきた。


その声の主 インドリ 猿と言うよりちょっとコアラに似ています


ガイドのジョージがここまで来る途中に摘んできた木々の新芽をかざしてインドリを呼んでいたら、近くの木の上にいた一頭がそろそろ下りてきた!


特別保護区内でまさかの餌付け さすがマダガスカル・・ でもラッキー


間近で見ている私など気にせずむしゃむしゃ食べるインドリ


猿と言うよりデビルに近いような面妖だけど仕草はなかなか可愛いんです


背中の模様や尻尾はパンダみたいでした


期待してたより超間近で見れて大満足でしたー


ペリネ特別保護区の後は、首都アンタナナリボに帰り2日ほどのんびりした。


首都と言えど少し郊外に出ると水田が広がる牧歌的な風景が広がっている


水田のど真ん中に家を立ててるのを何度か見かける


水辺周辺では子供たちがよく遊んでいた


2週間いたマダガスカルの旅も無事終了。
あとはエア・マダガスカル航空に乗って2年ぶりとなるパリへ戻るだけ・・・だったのだけど。。
アンタナナリボの空港に行ったら「フライトはキャンセルになりましたので、明日コスタマーサービス(お客様相談センター)に出向いてフライトの再手続きをしてください」と言われる。

何故キャンセルなのか?と聞いても「明日コスタマーサービスで聞いてください」の一点張り。。
まぁ、今夜のホテル代から食費、交通費まで航空会社が出すと言うので、これはこれでラッキーと思うしかないな・・と考え直し、アンタナナリボの街へ逆戻り。


超立派なホテルに久しぶりに宿泊!これはラッキーだった


翌朝、コスタマーサービスに出向きその日の夜発のフランス行きに乗れるように手続きしてもらう。でもパリへの直行便ではなく、マルセイユまでエア・マダガスカルで行き、そこで乗り換え今度はエア・フランスに乗ってパリまで行くプラン。
乗り換え時間が1時間半しかなく、預け荷物の積み忘れをされそうな嫌な予感がすごくしたので何度も確認するも「ノープロブレマ!」と連呼される。

そこまで言われても心配だったけれど、それに乗らなければパリに戻れないのだからしかたない。あとはどうにかなるだろう、なんたって先進国に帰るのだしな、と思い手続きをした。(しかし、もちろんパリに着いて不安的中してしまったのだけど・・)

2週間しかいれなかったマダガスカルだけど色々あって楽しかったです。
タクシーブルースの洗礼は覚悟していたとおりだったけど 笑
次回来れる機会があれば北部もゆっくり回ってみたいな~

では次は到着早々波乱含みとなったパリからです。