photo with South Sudanese kids in Gumbo, South Sudan



エチオピア、アディスの空港から飛行機でひとっ飛びし、第68カ国目となる南スーダンの首都ジュバに到着。
南スーダン共和国は昨年の2011年7月にスーダンから分離独立したばかりの新しい国で、知らない人も多いと思うので少し説明を。
南スーダンがスーダン国から独立に至った理由は、宗教の違いと石油の利権分配への不満が主に挙げられる。北部はイスラム教徒が大半な反面、南部はキリスト教徒が多く、また政治・経済的にも南部は北部のスーダンに支配されてきたため、その不満から1950年代半ばに各地で反乱がおき、その後は内戦→一時停戦→和平→自治権の回復を経て、住民投票による独立運動の発展により、昨年やっとスーダンから念願の分離独立を成し遂げたのだ。
しかし、
多くの石油埋蔵量をはいし、南スーダン唯一の産業である石油産業もその生産・製油はほぼ北のスーダンに頼っている状態で、いまだ石油生産による利潤は低い。

このため、一部の人間に富が集中し、大半の一般市民にはオイルマネーの恩恵は行き渡っていない。それなのに国全体の物価は年々跳ね上がっていてこの国の発展途上レベルに比べ恐ろしい程の物価高になっているのが今の現状。

実際、私たちが泊まったバスターミナル近くの宿はバス・トイレなしのダブルルームで20米ドルもした。それも水道なしという環境下でこの値段はありえないです、まったく。
そう、ここジュバは歴とした首都でありながら水道というインフラ設備がまったくもって整っていない街で、みなどの家も宿もナイル河から水を汲んできて屋根上のタンクに貯めて使っている有様。そのナイル河の水が麗なわけもなくなかなか凄味のある濁り方なため、南スーダンにいた4日間シャワーなど浴びれず、さすがの私も歯磨きはミネラルウォーターを買って使っていたほど。



部屋の掃除は行き届いてても共同バス・トイレは・・想像にお任せです。。


首都のジュバでこれなのだから地方のインフラ状態は推し量るべし、、というもの。
まぁ、68カ国回ってきたなかでこの国はダントツの発展途上国だったのは間違いないです。


そんな環境下でも隣国からビジネスチャンスを求めて多くの人たちがこの国に来ているようで、事実私たちが泊まっていた宿で働いている人はほとんどがケニア人で宿泊者の大半もエチオピア、コンゴ、ウガンダからの人たちだった。
でもコンゴ出身で中古輸入業をしていると言うおじさんは物価の高さにビジネスがしにくいと愚痴ってたけれど。
そうそう、彼曰く、南スーダン人とその他周辺国の人の見分け方は「色の黒さの違いさ!彼らはものすごく黒く、俺たちは然程黒くない」らしい。私達からすると違いがあまり解らないけれど、彼らアフリカ人からすると同じような肌の色でも違いがよく分かり、それでどこの国出身か識別出来るのだろう。

アフリカ縦断する頃には私にも識別できるようになるんだろうか・・・?

そう言えば、この国に住む部族の中には部族ごとに違いが解りやすいようにと自ら額や頭部周辺に刃物で切り込みを入れ(17歳の成人の儀式でするそう)、その傷痕でお互いどこの部族か認識し合う習慣があるのだと言う。
実際、バス停やマーケット、宿で働いているお兄さんにもそのような傷跡を頭部に持ってる人たちがいて驚いた。あれだけの傷痕が付くほどだから相当深く傷をつけないとダメだろうし、衛生環境の悪い南スーダンでそれをするなんて私からすると恐ろしい限りだけれど・・部族の習慣とくるとそう簡単には変えられないのでしょう。。

でも見るからに痛々しい痕なので、私はそこの部族に生まれなかったことに感謝してしまった。



宿横のコスタム・バスターミナル


バスの他にも乗り合いバンが市民の足として活躍



トヨタのハイエースは多くの発展途上国で大活躍していたけれど、ここ南スーダンでもそれは同じ。ほとんどが日本からの直輸入の中古車が使われていた


バスターミナル近くのメインロード 日本の国旗も建てられてあった


乗り合いバンを使ってコニョコキョマーケットへ


雨季のため足場は最悪 品物はメイドイン・チャイナとインドが主流


近くの食堂でチキンシチューを食べる パン付きで2ドルほど 味は良し


東アフリカ一の老舗ビール ツスカービール 110円ほど


ジュバでのお出かけ先はほぼ青空マーケット


タバコ屋の兄ちゃんに「俺を格好良く撮れよ!」と言われ撮ったショット


小さな国でも100ほどある部族間では違う言葉が使われているため、公用語として英語が広く使用されている。そのため英語の通用度がけっこう高くて買い物や移動はラクでした。
そこに住む人も水道やら電気やらのインフラ設備の悪さなんて気にしない大らかさがあり、独立を勝ち取れた喜びというか前向きな明るさがあちこちで感じられ、街歩きしていて楽しかったです。



マーケットを歩いていると「僕たちも撮って!」と決めポーズしてくる少年


撮ってるとどこからともなく数が増えていく 笑


みな自分がどんな風に写ってるか興味津々なのはどこの国も同じです


そうそう、ここジュバには日本の国際協力機構であるJICAのオフィスがあり、水の供給サービスを給水車を使って市内各地にしていると聞き、ちょっとお邪魔してお話を聞きにいってみた。



JICAのオフィス前 警備は相当厳重でした


が・・・門内には入れてくれたものの、事前のアポイントがなければここで働いている日本人との面接は無理と言われ、最近JICAに雇われたという、南スーダン人のお姉さんと雑談して終わり。
まぁ いきなり行ったこちらも悪いけど、対応の仕方がとてもお役所って感じで、なんだかな・・って印象でした。



その晩奮発して食べたチキンの炭火焼メニュー 4ドル強なり



ああ、忘れるところだった。
ジュバ唯一の観光ポイントと言われているものに市内を通るナイル川にただ一つ掛かる橋がある。が、これは軍事理由で撮影が禁止されていて、渡ることしか出来ないと聞いていたのだけれど、まぁ折角出しと出かけてみた。
しかし、大谷氏が橋の100mほど手前で給水車の写真を撮っていた所を遠目で見られていたようで、橋手前のチェックポイントでソルジャー2人に検問をうけるハメに。。
まぁ けっこう執拗にチェックされたものの賄賂を要求された訳でもなく、何取られたわけでもなかったから良かったけれど、こういう発展途上国って橋やら空港やらバスターミナルやらと・・何かとそういう所での撮影にピリピリしていて迂闊に写真取れないです。。
しかも、良くわからないけれど外国人はこの橋を渡っちゃダメだとか言われ追い払われる。。でもここで引き下がるのも癪なので、引き返して橋向こうに渡る乗り合いバンに乗り込み再度トライ。



無事橋を渡りナイル川向こうのグンボという地域に到着


橋手前のチェックポイントを通るときは車内で少し緊張したものの案外すんなり通れ、晴れて川向こうに到着。ナイル川沿いでは川の水を汲む給水車の周辺で噂で聞いていた通り、洗濯したり体洗ったりしている住民を多く見かけた。


グンボ地区の集落を住人のサムソンさんが案内してくれる事に


藁と木で作られた土壁の家々が立ち並んでいた


屋根の藁は一年ごとに取り替えるそう


案内してくれたサムソン曰く、ここには元々多くの人が住んでいたわけではなく、スーダンとの境界線周辺に住んでいた部族が内乱を避けてジュバに移り住んだためできた集落なのだそう。そのため、違う部族が肩を寄せ合ってこの地に住んでいるとのこと。
内戦によって故郷を追われる人が多く出るのはどこも同じなのだな・・と思わされた。



集落を抜けて幹線道路向けて歩いていると・・


草むらから鬼ごっこをしていた子供たちが出てきた


その後はお決まりの撮影会 南スーダンの子たちもみな元気


ここの子供たちはエチオピアの子たちより恥ずかしがり屋が多く 「お金ちょーだい!」と言ってくる子がいなくてビックリ。インドやエチオピアあと中東の多くも物乞いでもないのに外国人を見るとお金をせびってくる子が多くいるけれど、まだ外国人をほとんど見かけることがない南スーダンではそんな慣習が出来上がっていないのか一緒に遊んでて楽しかったです。
どーか、そんな真似をする日がこないことを祈りたい。。




物価がもう少し安く、シャワーが浴びられる設備さえあればもう少し滞在したかった南スーダンであるけれど、さすがに川の水シャワーはハードルが高すぎる上、そんな宿に20ドルも毎日支払うのも馬鹿らしいので、隣国ウガンダに抜けることに。

ウガンダのカンパラから観光に来ていたお姉さんに「ウガンダはここに比べて綺麗だし、物価も安いし、シャワーだってちゃんと水道水よ!」と宿で力説されたので、今からシャワー浴びるのがめっちゃくちゃ楽しみ 笑