The Gate of India in New Delhi


朝晩は氷点下までいくラダックから首都デリーに戻ると今度は一気に真夏日に。久しぶりの汗ばむ暑さも水シャワーを気持ちよく浴びれる嬉しさが勝り、「やっぱ暑いくらいが過ごしやすいなぁー」と再確認。
今年の始めに初めてデリーに来たときはこの街の喧騒と空気の悪さに辟易していたのに、3度目となると慣れてしまって、「インドなんだからこんなもん」と思ってしまえる。
いやはや・・慣れって恐ろしいですね。

さて、ここデリーは本当のところ1,2泊ほど骨休みして今度はインド北部の町ダラムシャラーに向う予定だった。チベット問題を少しでも知っている人ならご存知だろうけど、ダラムシャラーにはかの有名な
最高僧ダライラマが住んでいる。チベット仏教ではその昔ダライラマは観音菩薩の化身と信じられ、先代ダライラマが亡くなるとチベット各地をお坊さん達が周り、生まれ変わったであろう菩薩の化身の少年を探し出し、その少年に高等教育を授け、成人した後チベットの宗教的・政治的リーダーとしてかの地を代々治めてきたという。

が、現在のダライラマは1959年前後に始まった「チベット解放」の名の下行われた人民解放軍による虐殺・破壊行動から身の危険を感じ、他の多くのお坊さんやチベット人たちと共にチベットの首都ラサから逃れインドに亡命。その為今だ祖国には帰れずダラムシャラーを起点に世界各地を周りながらチベット問題だけではなく仏教の教えを多くの人に語りかけている。

インドを周るうちに各地で難民としてインドに移り住んでいるチベット人達に多く会い、その上ラダックを周ったため以前よりチベット問題を身近に考えるようになった私としてはダラムシャラーは是非とも訪れてみたいと思っていた場所。そのダラムシャラーにコルカタからブータン、ダージリンを一緒に周った中国人のビンがその後、なんと一ヶ月余りもその町に滞在していたという。んでもって、私がラダックからデリーに帰ってきた2日後に彼女もビザが切れるからとインドを出国するためにデリーに来ると言うので、私が泊まっていた宿で落ち合う事になった。

ビン到着の朝、宿のオーナーに「あんたの中国人の友達もう来てるよ」と部屋に連れて行かれ久しぶりに(と言っても一月半ぶりだけど)再会したお互いの第一言は
ビン:「痩せたね~」  私:「ふっくらしたね~」 だった。
私は南インドの暑さにやられ痩せたが、彼女はダラムシャラーでチベット料理を堪能しすぎて太ったらしい。北と南の差以上にコルカタの後、約一ヶ月半で南インドを周り西部ラージャスターンやはたまたラダック地方まで行ってきた私と一箇所にどかっと居座った彼女との旅のスタイルの違いに起因するのかもしれないけど。。

それはさておき、ビンの話。
彼女はダラムシャラーに滞在しているうちに多くの亡命チベット人と仲良くなり、しかも幸運にもダライラマにも会えた上、寺院内に併設されている図書館で彼女の国の政府がいかにチベットを理不尽なやり方で征服し、今だ多くの重圧をチベット人に強いているかを学んだらしく、すっかりチベットオタクとなっていた。
コルカタで別れた頃にはダラムシャラーに臨時チベット政府が置かれているのも知らなかったほどだったのに・・・ 私以上にチベット・フリークになっているとは夢にも思わなかった。
その彼女は旅先で思いのほか散財したらしく、中国まで飛行機で帰る金がなくなり陸路でネパールを経由して帰る事にしたそう。
「へー さすが大陸国家。インドから自国まで陸路で帰れるなんてすごいなぁ。島国の日本じゃ無理だ」と呑気に話していたら、突然「ネパール経由で帰るからチベットも通るのよ!私と一緒ならもしかしたら団体ツアー入らなくてもチベットを旅出来るかもしれないし、一緒に来たら?ついでに私の故郷の満州まで連れてってあげる!」と言う。最初は「はぁ??」と度肝を抜かれたけど、ラダックでチベット熱にちょいと取り付かれた私としてはこの勢いでチベットを訪れると言うプランの魅力と満州と言う地名に惹かれモノの2,3秒考えただけで彼女の提案に乗る事に。満州の地は私が愛読した司馬遼太郎の「坂之上の雲」のでも登場し、他の歴史小説でも触れる事が多かったので常々興味があった土地。現地人のガイド付きで中国周るのも楽しそうだし、しかも彼女のおばあちゃんは満州族だと聞いて一気にテンションも上がった。
本当はインド、ネパールのあとはドイツに飛んでそこから東ヨーロッパを周る予定だったのだけど、急遽その前にチベットと中国が追加される事に。 よく予定は未定って言うけれど、この時ほどこの言葉を痛感した時はなかったと思う。

はぁ・・・また出だしが長くなってしまった。。 なので、3度目のデリーも写真でさらりとふり返ります。


インド門の前にて  この先の旅の相棒となるビン嬢です



ビンがダラムシャラーで知り合ったチベット人の知り合いにデリーの郊外にもチベット人街があると聞いたと言うので、その街を探しバスを乗りついで行ってみる事に。上の写真はそのバスの中で知り合った子供達。お姉ちゃんは終始無愛想だったけど、男の子のほうは人懐っこく、お母さんの背中を使ってかくれんぼをしたりと良き遊び相手となってくれました。 


やっと辿り着いたチベット人街。この周辺にも多くのチベットからの亡命・難民家族が住んでいます。写真はここに住む人の心のよりどころとなっているだろうチベット寺院。 


寺院横には図書館も併設されていてチベット仏教や歴史についての本がチベット語だけでなく、英語、中国語にも訳され並べられていました。 



チベットへ発つ前に遅まきながら私もチベットの文化や歴史について予習。 


この写真はデリー市内の地下鉄にて撮影。インドの地下鉄ではホームでも車内でも撮影を禁止されていて、当初ビンに撮ってと頼まれた時は正しき日本人として辞めるように断ったけれど、あまりにしつこいので仕方なく適当にすばやく撮ったもの。大雑把に撮った割には溢れんばかりの右側男性車両からこちら側の女性車両を羨ましそうに眺めてるインドの兄ちゃん達の様子が良く取れてて我ながら Good Job な一枚となった。 


そうそう、旅に出て3度目の誕生日はここデリーで迎えました。1度目はタイの地で(痛い思い出がよみがえる・・)、2度目はペルーで、今度はインドで迎える事に。誕生日当日は夕方から夜行列車に乗りネパール国境へ向う予定になっていたので、前日の晩、インドを離れる前にどーーしてももう一度食べておきたかったタンドリチキン(インド風焼き鳥)屋さんで前祝。

そうそうこの日の午後、野菜やら卵、酒などをローカルな通りで買い、それをもらったダンボールの箱に入れて運んでいたら両手の塞がっている私のバックからチャックを開けて中から何かを盗ろうとしていたインドの少年をビンが取り押さえるという騒ぎがあった。始めは素直に謝れば許してあげようと思っていたのに、「オレは何もしてないぞー」と暴れるので、ビンと二人で押さえつけ警察に連れて行こうという事に。少年を半ば引きずって歩いてたら騒ぎを聞きつけた現地の人達が野次馬となって集まり、かなかなの騒動となる。最後は少年も逃れられないと観念し泣きながら謝ってきたが、ビンが「これから二度と中国と日本のレディーに手を出すんじゃないのよ!どうなるか分かったでしょ!もう二度としないと神に誓え!」と啖呵をきり場を一層盛り上げた。
なんかビンといると武勇伝が増えそうっす 笑   


こちらはその誕生日当日乗った夜行列車の中。真向えの寝台には親子ずれが乗っていて、その子供達と仲良くなる。  


とても中の良い姉弟で2人して照れくさそうに話しかけてくる姿が可愛くて、ガイドブックのチラシの部分をちぎって折り紙を見せてあげる事に。 


日本人の心、千羽鶴完成。もちろんプレゼント。お姉ちゃんの方は特別よろこんでくれました。

でもまぁ、ここはインド。夜行列車で迎えた誕生日の夜もまたまたインドらしいプチ戦を繰り広げる事となった。最後までこれか!と思いつつも、でもそれもこれも含めてインドはやはり旅し甲斐がある味わい深い国でした。

今回周りきれなかったダラムシャラーや北部の街を訪ねにまた帰って来たいなと思いつつ、

一旦これにてインドの旅は終わります。

インド ダンニャワード!