Bagerhat in Bangladesh


バングラデッシュ。名前は知っていてもどんな国なのかあまり知られてない馴染みの薄い国。
私が高校の地理のクラスで習って覚えている事は世界一人口密度が高く、世界最貧国のひとつと言われている、ということぐらいだった。
略式的なこの国の近代史は第二次世帯大戦後、インドからパキスタンと共に分離独立したのち、今度はパキスタンからの圧政を嫌いインドの助けを得て1971年に正式にバングラデッシュ国として独立。その後は何年もの間餓鬼や疫病に悩まされ続け、近年漸く国が安定してきたのだそう。

さて、そのバングラデッシュに私はコルカタから国際バスに乗り国境の町まで移動し、そこからローカルバスに乗り換えインドとの国境から4時間ほど離れたクルナという町に到着。国境の町では感じなかったけれど、クルナに着いた途端バス停で客待ちしていたリキシャのおじさん、町の人の視線を一斉に浴びる。100人近くから街中でじっと注目されることなどそうないから初めはとまどったものの「これが噂に聞いていたバングラデッシュ人か」と思うと余裕も出てくる。それに外国人などほとんど見かけないこの国の人は私達に対してすこぶる親切。誰か一人に道を聞くと10人以上があっという間に集まって来て、あーだこーだと口々に教えてくれる。ここまで外人に親切というか好奇心が強い国民って世界広しと言えどバングラデッシュが一番だと思う。

百閒は一見にしかずというので、写真でさっとふり返っていきます。


バングラデッシュは雨季の時期にはなんと国土の70パーセントが水没するそう。でもそれほど水が豊富だけあって街中を少し出ると辺りは田園がどこまでも広がっている。



クルナの町で会った初めての海外からの旅行者、トルコ在住のアメリカ人タラと一緒にローカルバスとオートリキシャを乗り継いで一路ベゲルハットへ。バスの中では周りの人が私達に興味心身で一時もほっといてはくれなかった。イスラム教のと女性もこの国では喜んで写真に納まってくれる!中東ではこんなこと考えられなかった。


ベゲルハットで会った女の子。カメラを向けると水汲みの仕事を放り出してポーズをとってくれた。


オートリキシャで移動中出会ったムスリムの少年達。写真を撮られるのに慣れてなくって手前の子は超緊張してました。初々しかったっす。


ヒンデュー教の寺院を見学中、周辺から集まってきた子供達。インドの子供よりシャイで話しかけると照れて顔を手で覆ってしまったり。いや、ホント初々しい。。




寺院にて。右側がトルコ在住アメリカ人のタラ。参拝に来ていたおばあさんに甚く感謝されていた。2人でちゃんとお布施してきました。


帰り道、途中で寄ったチャイ屋では村人30人ぐらいに囲まれて、まるで珍獣のように見つめられながらタラとチャイを飲んだ。まだ一人きりで来てなくて良かったね・・と2人で話し合う。


バングラデッシュ最大の観光資源といわれる河川をデリーで旅する船に乗るため、小さな漁村ジャラカティーへ。ここは生まれて初めて外国人を見る人も多かったらしく村人全員が家から出てきて私達の行く後を興味深そうに着いて来た。50人に一斉に囲まれるとなかなかのプレッシャー。有名人気取りもここまでくると大変。。


ムスリムのおじさん達はみな立派な髭を蓄えていて見ていて飽きなかったです。みな良い味だしてます。 


やっと乗りこめたチャンドプル行きのフェリー。船から眺めた夕日がキレイでした。でももちろん周りには人だかりが出来ていて 「Hello. Which country? Your name?」 と言うシンプルな質問をを延々とされ続けられました。。


船内で会い仲良くなった首都ダッカ出身の家族。みな教養が高く子供や女の人も英語でコミュニケーションが取れてビックリ。バングラデッシュの上流家庭もインド同様、英語教育には熱心なようでした。

さて、その乗り込んだ船内の様子はと言うと・・・



まるで奴隷船のような状態。床は足の踏み場もないほど人・人・人で埋め尽くされてました。。タラと一緒にちょっと奮発して二人部屋のキャビンを取っといてよかったっす。


途中に立ち寄った港。こちらの港は日本の寄付によって建てられたそうで、看板には大きく JAPAN の文字が書かれてました。

チャンドプル には夜中2時過ぎに到着。そこから列車に乗り換えミャンマーに程近い町チタゴンに向かう。ここでタラとお別れ。クルナからチタゴンまではハードな移動だったけど、彼女と一緒で余裕を持って楽しめた。感謝。

さてチタゴン。ここでも色々な人に親切にされ、特に夫妻そろって弁護士をしているというモニ夫妻には大変お世話になりました。


右側2人がモニ夫妻。週末までチタゴンに居てくれたら家族総出で一緒にビーチへ連れてってあげれるのに!っとまで言ってくれた。底意のない親切心というか日本の友人をもてなしたい!って感情には本当驚かされることがこの国では多かったです。


さて、場所は変わり今度は首都ダッカ。さすがに首都だけあって他の街の人より外人慣れしていて囲まれる確立はずっと下がり町歩きしやすかったです。上の写真のおじいちゃんはパパイヤ専門のフルーツ屋さん。写真とってもいいですか?と聞くと恥ずかしそうにポーズ撮ってくれました。いやーバングラデッシュ人、インド人に比べホント、シャイ。


ダッカ最大の観光は小船を雇ってダッカの街を縦断している河川をクルージング(?)すること。1時間100円で小船一つ借り切り、いざ河川へ。


沿岸から見ていただけでは解らなかったけど、いざ漕ぎ出してみると生活排水や工場排水のせいであの聖なるガンガーを凌ぐ悪臭が漂っていて、間違っても小船から転げ落ちたくないと念じたほど。でも大型タンカーが近くを通ると小船はひっくり返るかと思うほど揺れて冷や冷やしました。。


川岸反対側には大型タンカーなどの造船所があり、中をゆっくり見学させてもらえた。地元にも造船所があるためなんだか懐かしい感じをうけました。


船の上でもバングラデッシュ人は写真が大好き。カメラを持ってる外人(私)を見つけると、遠くから少年たちが波を切ってやってきて、「一枚かっこよく撮って!」とポーズ。年若くても一端の漕ぎ手です。


ダッカでは他に買い物したりストリートフードを楽しんだりと結局4泊もしてしまった。国自体が大いなる田舎の感じがあるのでダッカぐらい外国人慣れしてくれてるほうが一人で町歩きするには丁度良く、居心地がよかったのもあった。

今まで周った62カ国の中でも随一を誇る物価の安さからでも解るように最貧国でありながら、道はインドに比べまだキレイで治安も良く、国民性って言うのは裕福さとはまた別の次元の問題なのかもしれないと思ったバングラデッシュ滞在でした。