プラヤ・デル・カルメンの次に向かったのはこれまたマヤ文明の遺跡のひとつであるチェチェン・イツァー。
そこはユカタン半島のちょうど真ん中のあたりに位置し、同じエリア内に6世紀頃に古代マヤ人が作った旧遺跡群と10世紀以降に作られた新遺跡群が立ち並んでいる。そもそも古代マヤ人には定期的に遷都を行う習慣があったそうで、7世紀に一度遷都となり王族全てが姿を消し無人になっていたこの地に10世紀入りまた戻ってきて新しい都が築かれたそう。
チェチェン・イツァーは宿で一緒になったフランス人とラトヴィア人のカップルと一緒に回ったのだけど、フランス人男がビックリするくらいにビデオ撮影が大好きで私と彼女の行く先々を走って先回りし、曲がり角から2人の歩いてくる風景や遺跡を見ている所をずっと撮っていた。彼の小さなハンディーデジカメで。
後で彼が日本人とのハーフと知らされ、その熱心さは日本人の血のなせる業なのかと考えてしまったほど。
宿は遺跡からバスで1時間ほどの所にあるバジェドリという町にあったのだけど、そこは今まで泊まった宿の中でトップ5に入るぐらい感じの良い宿だった。緑の多い庭園も手が行き届いていたし、なんと言ってもマスコットのチワワ犬も可愛いかった。
次はユカタン半島第二の都市メリダに向かいます。
そこはユカタン半島のちょうど真ん中のあたりに位置し、同じエリア内に6世紀頃に古代マヤ人が作った旧遺跡群と10世紀以降に作られた新遺跡群が立ち並んでいる。そもそも古代マヤ人には定期的に遷都を行う習慣があったそうで、7世紀に一度遷都となり王族全てが姿を消し無人になっていたこの地に10世紀入りまた戻ってきて新しい都が築かれたそう。
チェチェン・イツァーは宿で一緒になったフランス人とラトヴィア人のカップルと一緒に回ったのだけど、フランス人男がビックリするくらいにビデオ撮影が大好きで私と彼女の行く先々を走って先回りし、曲がり角から2人の歩いてくる風景や遺跡を見ている所をずっと撮っていた。彼の小さなハンディーデジカメで。
後で彼が日本人とのハーフと知らされ、その熱心さは日本人の血のなせる業なのかと考えてしまったほど。
宿は遺跡からバスで1時間ほどの所にあるバジェドリという町にあったのだけど、そこは今まで泊まった宿の中でトップ5に入るぐらい感じの良い宿だった。緑の多い庭園も手が行き届いていたし、なんと言ってもマスコットのチワワ犬も可愛いかった。
次はユカタン半島第二の都市メリダに向かいます。