翌日やっとパスポートにパナマ入国スタンプをもらえ、キャプテンから1週間ぶりに返してもらえたパスポートを握り締めパナマシティへ移動。

キャプテン夫妻もクルーのメンバーもみな良い人達ではあったのだけど、なんせ1週間近くも海に飛び込む以外逃げ場がない狭いボートでの共同生活はしんどかった。まぁ船酔いとあの蒸し風呂状態の船内と次第に汚れ放題になっていく船内環境が余計そういう気持ちにさせたのだろうけど。

バスを乗り継ぎ辿り着いたパナマシティではチリのプエルトモンから一緒に旅して周ったしほっちの日本への帰国を見送った後はほぼ何もせず、ホテルでゆっくりした後、翌日にはその街を離れてしまった。
パナマシティの日中は暑く、また大都会だけあって交通量も喧騒も半端ではなく、まだ船旅での疲れが抜けきらない私としては少しでも涼しくのんびりしている場所に早く移りたかったのだ。
なのであの有名なパナマ運河もバスの中から眺めただけで、チリキ州にあるボケテという山間の田舎町へ移動した。


ここで遅ればせながら南米での旅の総括を。
中東を経て入った南米ではイスラム世界では考えられないほど女性がのびのび元気に生活していて、なんだかとてもほっとしたもの今でも覚えている。それにみな根が明るいから気さくに話しかけてくれる人も多く、旅していて楽しかった。

しかし南米大陸に足を踏み入れる前は色んな人からあそこは強盗、盗難、その他もろもろの犯罪が中東なんかより突飛して多く気をつけなきゃ危ないぞ!と注意を受けていたのでかなり警戒していたものだ。確かに場所によれば危険極まりない地区もあったのだろうけど、私が回った中ではブエノスアイレスを除けば比較的治安の面で心配するような場所は少なかった気がする。でもどんなに気をつけていても強盗に遭う人だって中にはいるのだから、無事何事もなく5ヶ月間もの南米の旅を終えれて本当に良かったと思う。
それには一緒に周ったしほっちの慎重さのお陰もあるだろう。彼女にはその他色々お世話になりホント感謝の限りです。

さて、その南米旅行の間、私はコミュニケーションについて考える機会がとても多くあった。
スペイン語圏のため英語がほとんど通じなかったと言う単純なものではなく、「あれ こんなに自分、会話や相手の気持ちを汲み取るのが下手だったかな・・」と反省することがしばしばあった。今では気配り下手なところも含めて自分を少しでも成長させていかなければと思う。

そしてあと2,3ヶ月周るだろうスペイン語圏(中米・メキシコ)の間に少しずつ覚えてきたスペイン語をもっとレベルアップさせなければ、と思う今日この頃です。