2010年12月21日―1月1日

カサブランカ→マラケシュ→メルズーガ

カイロからひとっ飛び、モロッコカのカサブランカ空港に着いたのは12月21日の夜。

当初はエジプトからアフリカ中部のケニアへ向かい、キリマンジャロを登った後、そこから南アフリカまで陸路横断の旅を計画していたのだけど、カイロでアフリカを横断してきた旅人から食への飢えと苦労を聞かされ中東でも十分飢えていた私にはまだアフリカは早いと思い、先に南米を周ろうと方向転換した。そのためアフリカ周った後に行こうと思っていたモロッコへ前倒しで来ることになったのだ。

カイロでシリアからほぼ一ヶ月一緒に旅して周ったなおっちと別れ、また久しぶりの一人旅に戻る。
カサブランカではマレーシアで会ったファティマ夫妻と再会するはずだったのだけど、着いたのがちょうと平日で彼女達も仕事が忙しくなかなか時間が作れず会えずじまいのまま私はタシュケントに移動してしまった。
このタシュケントという街、モロッコの中でも一番に上げられるほどの観光スポットなのだけど、私が滞在した日はちょうどクリスマス・イブとクリスマスのを挟んだ時期にも関わらず、泊まったホテルのドミトリー7人部屋は最後まで自分ひとりしか滞在客がおらず、話し相手もいないので(モロッコ人は基本的に外国語はフランス語かスペイン語しかできない)毎晩就寝9時半という、まぁぶっちゃけ寂しい日々を送った。クリスマスの晩はスーパーで鳥の丸焼きを買って大部屋で一人りでむしゃむしゃ全部食べましたよ。まっ私はクリスチャンじゃないし、ここはイスラム圏だしキリストの生誕なんて関係ないけどね。ふっ・・

そんなこんなで、年越しくらいは日本人らしく送りたいと思い、なおっちから教えてもらった西サハラ砂漠にある小さな村メルズーガの日本人宿に行くことに。しかしここの日本人宿での年末年始は想像以上に壮絶になるとはその時は思いもしなかったのだけど。。

最初の数日は宿で久しぶりに再会した旅友や新たに会った日本人の人たちとわいわいサハラ砂漠を跳ね回ったり、新年用の記念写真を撮ったりと楽しく過ごす。

海こえ山こえ国こえて♪海こえ山こえ国こえて♪
海こえ山こえ国こえて♪

ここではラクダに乗り一泊二日の砂漠ツアーにも参加した。ツアーに飛び入り参加した大阪人ひさしっちがウイスキーを持参しており、しかも私ともう一人の参加者タッキーにそのうウィスキーを大盤振る舞いしてくれたので3人でボトル一本カラにした。超短時間で。お陰で酔った勢いでテントの外で星を見ながら野宿してしまった。。寝袋と毛布に包まっていても朝方寒さで目が覚め寝なおせないほどでした。。でも砂漠で野宿、なかなかできない経験ができて楽しかったけど。朝起きたら駅前の交差点、ってよりはよっぽど情緒あるし。まぁ足元にはラクダの糞が沢山転がってはいたれけど。(超乾燥しているので匂いがないのがまだ救い)

$海こえ山こえ国こえて♪$海こえ山こえ国こえて♪

さて、肝心な年越し。これは本当にこの旅始まって以来の騒動となった。このメルズーガの日本人宿は典子さんという60代の日本人女性が切り盛りしていると聞いてきたのだけど、実は他にモロッコ人男のオーナーがいて、そいつが極度の酒乱で3日に一度はたかだかビール3本ぐらいで酔っ払い、もう誰も手のつけられないほど暴れだす始末。。
始めはそうと知らず大晦日の日中はみなで年越し用の酒を荒野を歩いて一時間先の町に買出しに行いき、途中村の子供と草サッカーをしたりと楽しく過ぎていったのだけど。(本当に何もない荒野の中を横断していくので何だかドラクエの中に紛れ込んでる気がした 笑)

海こえ山こえ国こえて♪海こえ山こえ国こえて♪

海こえ山こえ国こえて♪


が、、夜カウントダウン3時間前あたりから問題のオーナー、オマーンが酒を飲みだしたのが騒動の幕開けとなる。まず、オマーンが酔った勢いでチェックインしてたての女の子を花火を見せるとか言って夜の砂漠に連れ出したので、その事態を聞き探しに行って連れ帰ってきてあげた他の宿泊客をオマーンが逆恨みして、「ここは俺の家だ。お前の金は要らない。今すぐここから出て行け!」と騒ぎ始めた。。普通、酒乱て暴力的で恐ろしい感じがするものだけと、そいつは極度の臆病者でありながら人の注目を浴びたい一心で叫んだり暴れまわったりするタイプ。はじめは私たち宿泊客もしらけて無視していたが、ひたすらずーーーっとギャーギャー騒ぐはテーブルたたくは書類などをめちゃくちゃにするはで、することなすこと病的な精神異常者そのもの。その上始末に終えないのが、頼りになるはずの典子さんがまったく助けにならないこと。。酒乱オーナーが客相手に暴れだしても彼女はキッチンに引っ込んだまま我関せずと出てこない。。本当に無責任にもほどがある。
極め付けに、、私が自分のラップトップ使ってネット電話で家族と新年のあいさつをしている時に、オマーンがLANケーブルを引き抜き、それをどこかに隠して使えなくすると言う子供以下の嫌がらせををしてきた。。これには私もとうとう堪忍袋の緒が切れ、おもいっきり面と向かって「ケーブル付け直してネット使わせろ!」と言い寄ると、一瞬ひるんだ後「オ、オレの家だ、オレのネットだ。(しかし私たちが払っている宿代の中にしっかりネット利用料は入っている。)そしてネットは0時までしか使えないんだ。(さっきまで日本にいる婚約者とやらと自分もネット電話していた)」とめちゃくちゃな言い訳を始め、そしてまた暴れだし、他のスタッフに宿から連れ出されていった。。

そんな騒動続きの年越しとなったので、元旦早朝は厄払いをするため眠い目をこすりつつ旅友たちと宿から歩いて1時間ほどの所にある砂漠の山頂に初日の出を見に出かけた。
まだ日が昇る前の真っ暗な中を寒さに耐え、砂丘に足を取られつつ歩いたのだれど、山頂に着く頃には汗びっしょり。天気もこの上なく良く雲ひとつかかっていない綺麗な初日の出が山の上から見れたので、日本人らしく拍手打って今年一年の旅の安全を祈った。

$海こえ山こえ国こえて♪$海こえ山こえ国こえて♪

その後宿へ帰り、チェックアウトの用意を始めた。当初の予定であと後4日ほどここでゆっくり滞在するつもりだったけど、これ以上この宿にいるには気はまったくなかったので予定前倒しで出ることに。私だけじゃなくその日は泊まっていた宿泊客全員(15人)チェックアウトしていった。元旦早々に、です。
しかし問題はそれだけではなく、大晦日にラクダツアーで砂漠に行き元旦に戻ってきた人たちも向こうでトラブル続きだったらしく、その件でも大いに揉める事に。。典子さんは「ラクダツアーは私の責任じゃない!」と責任逃れして逆切れするし。。そこに朝から飲んで酔っ払ったオマーンが英語もろくに出来ないのにしゃしゃり出てきて、、宿は元旦早々修羅場と化した。

ホント期待していた宿だった分、ガッカリ度も計り知れなかったです。
この騒動の後会った日本人女性も違う時期に典子さんの宿に行き、やはりオマーンのせいでメルズーガの別の宿に逃げたと言っていたので、犠牲者は私たちだけではなかったのだと納得。
早くこの宿は潰れて、これ以上犠牲者が出ないことを祈りたいですね。まったく。