4月18日

タオ島最後の日はシンガポールへの長旅に備えのんびりすごした。

途中、ツアーで一緒だったスウェーデンの女の子とレストランで会って話す機会があり、マレーシアとタイの違いを語り合った。彼女も2週間ほどマレーシアを回った後タイに来たらしく、両国民の違いに驚いたらしいが、彼女曰く「タイは昔から海外の観光客が押し寄せてきてて、正直疲れてるって感じね。毎年大量に押し寄せてくる旅行客に対応するのに疲れてすれちゃってるのよ。」

これ、なかなか鋭い的確な評論だと思う。

私はタイをすべて回ったわけじゃないから断言はできないけど、午前中は宿のスタッフもみな仏頂面でこっちの質問やリクエストも聞こうとしない態度にいらいらしていた。けれど、それは毎晩朝方まで騒ぐ観光客のため店を開けていて、朝は朝で次の宿泊客のために掃除や用意をしなといけないため、寝不足や疲労で仏頂面になるのだろう。。

そしてその他のタイの国民も多かれ少なかれ海外からの観光客を日々相手にしているのだ。

観光大国だけど、それ以外の外貨獲得の道がまだ見出せていないタイという国の苦労を垣間見た気がした。


18日の夜、シンガポール行きの手配をしてくれた旅行会社に出向き、そこからタクシーに乗ってスラーターニー行きのナイトボートが泊まっている港へと向うことに。

そこで、同じ旅行会社でプーケット島行きのチケットを買っていたフレンチカナダ人のエリックと乗り合わせた。彼は多分まだ18,9歳くらいの若い子だったけど、190センチ100キロ以上の巨体に似合わず、かなり優しい性格の気の利く子だったので道中なにかと助かることとなった。(朝ごはんの代わりにとスナック菓子を私にも分けてくれたし。素敵な子でしょ?)


海こえ山こえ国こえて♪-スラーターニー行きのナイトボート 夜8時半に因縁のナイトボートにエリックと2人で乗り込む。が、私たち以外にも大量の欧米からの観光客が乗り込んでおり、ボートは超満員。

船底に荷物が放り込まれ、1階と2階に乗客が乗り込み板間に寝るようになっているのだけど、満員のためぎっしり詰め込まれる。そのため一人のスペースは畳半分ほど。。

船は外見はペンキを塗り直したばかりのようで綺麗なのだけど、中はすべてベニア板張りである。窓は全開でもちろんエアコンなどなく、私より年上だろうと思われる三菱電気の扇風機がただ首を振って回っているだけ。

船内は蒸し暑い上ぎゅうぎゅう詰めだし、9時出港とともに船内の電気は消される。。

なんとなく程度の良い奴隷船のような様相だった。

私の左隣はでかいフレンチカナダ人のエリック、右隣にはロシア人カップルの女の子が寝ることに。このロシア人の彼氏の方はベッカム似の超イケメンだが、その彼女はダンプ松本に負けず劣らずの大きな体にはるな愛のような格好(ショッキングピンクのノースリーブのミニワンピース)だった。

まぁ・・・彼氏の方へ寄って寝てくれれば私のスペースは守られるだろうし、いいけど。。


出港とともに消灯され、しかもかなり船がゆれるので乗客みんなやる事もなく、9時過ぎには狭い寝床に横になり寝はじめた。

開けっ放しの窓から真っ暗な夜空が見え、細い真っ黄色の三日月だけが浮かんでいる。

その月を見てると、なんだか遠くに来てるなぁー・・っとじんわり思えてきた。

寂しいとか、つらいとか、わびしいとかじゃない、ただ本当に故郷から遠く離れた所に自分はいるんだなぁー・・、と実感がわいてくるのだ。サビしか知らない「思えば遠くに来たもんだぁ~」の歌のフレーズが頭をぐるぐる回るなか眠りに着いた。


4月19日

夜中、巨体はるな愛のヒップアタックで目が覚める。でかいお尻を押し返しても彼女は起きない。体だけじゃなくかなりの大物だった。

起きたついでにトイレに行こうと揺れる船の中、梯子のような階段を下りてトイレに行った。

トイレの横はすぐ海。ドアがなく、ロープも板も張ってなく、寝ぼけて歩いていったらすぐ海中に落ちるような作りだった。間違っても海に落ちないよう柱に捕まって身を乗り出し、夜空を見上げたら、オリオン座が大きく見えた。

腕時計を見たら1:45AM。おお・・マイ誕生日だ。。

きっと生涯忘れられない誕生日になるだろなぁ・・と思いつつ階段を上り、エリックと巨体はるな愛の間に体を押し込み寝直した。


朝4時半に因縁深いスラーターニーに着き、そこからバスで船から降りたバックパッカー全員が裏寂しいバスターミナルに連れて行かれ、まだ真っ暗なそのターミナルで蚊の集団に襲われつつ2時間待たされた。心優しきエリックが虫除けスプレーを貸してくれなかったら、私は蚊の多さに発狂していただろう。

7時過ぎにやっと各地に向けて出るミニバンが来たので、エリックと幸運を祈りあい別れ、私はタイのハート・ヤイ行きのミニバンに乗せられ出発。

3日前、一度北上してきた道を今度は南下。このミニバンは12人乗りだったけど、14人が乗り込み4時間半かかってハート・ヤイに到着。

すでにお尻が痛くなり、まだハート・ヤイかぁ・・と思っていると、「おい!君、シンガポール行きの!これ、乗る!」と言われ、また違うミニバンに押し込まれ出発。

運転手に行き先を聞いても「マレーシア!」としか言わない。と言うか、運転手も乗客も英語がまったく通じず、私こそが異邦人・・と言う感じ。タイ語かマレー語・・・喋れたらどんなに良かっただろう。。

その後、マレーシアとタイとの国境沿いの町に着くが、要領を得ない間にバンを下ろされ、移民局の列に並ばされる。ものすごい人の数に押されながら入国や出国に必要な入局管理カードを探すがどこにも置いていない。

誰に聞いても言葉が通じないので、英語を喋ってる白人カップルを捕まえ、「その入国管理カードどこでもらったの?」と聞くと、「バスの運転手がくれたよ。」と言う。。はっ??

私を連れてきたバスの運転手はそんな素振りもなかったし(そしてどこかに行ってもういないし・・)、辺りを探してもカードはないので、そのまま列に並んで移民局管理人にパスポートを渡しながらそれらの事情を説明すると、サリーを巻いた税関のおばちゃんに「あ、それ今朝全部なくなっちゃってもう無いのよ~」と言われる。。

そんなんでええんかい!!っと思ったが、「私のサインを判子の上に書いといたから大丈夫よ」と言われ、パスポートを返された。見ると確かに自分の誕生日が日付のマレーシア入国の判子の上に何か書かれてる。。けど、そんなんで問題なくマレーシア出国&シンガポール入国できるのか不安がよぎった。

でも、立ち止まって考えてる時間もないので、自分が乗ってきたバンを広い移民局ビルの駐車場で探し乗り込む。

まぁ・・何はともあれタイを無事脱出し、マレーシアに入ったのだから一安心とその後車の中でうとうと寝ていた。・・・・ら、起きたときは車がフェリーに乗り込んでいた。

なんで!!シンガポールに行くのに海渡るんだ??もう色々ありすぎて、頭が追いつかない。。


海こえ山こえ国こえて♪-おお・・ペナン島 運転手に促され、バンからフェリー内に出て向かっている島を見つめる。他の乗客みんな記念写真を撮ったりしているなか、私だけガイドブックをみながらアタフタ。

どう見ても近づいてくる島がガイドブックに載っているマレーシアのペナン島に似ている。。でも私はシンガポールへ向かっていたのだ。。

これを日本に置き換えると、大阪から福岡行きの長距離バスに乗って向かっていると思っていたのに、気がつくとバスは瀬戸内海の小島に向かうフェリーに乗っていた・・と言う状況に似ている。

誰だってびっくりするでしょ?

海こえ山こえ国こえて♪-ペナン島での夕闇 私の動揺をよそに運転手はフェリーが島に着いたあと、私たちをまたバンに乗せ島の繁華街ジョージタウンの真ん中にあるバスターミナルで下ろす。

「君。君もここ、降りる。」と言われ、びっくりして、私はシンガポール行く!ここじゃない!と言い張っても、「んだ、んだ。だいじょぶ、ついてくる。」と促され荷物を持って近くの旅行会社に連れて行かれた。

そこで中国系のおじさんに「君のシンガポール行きバス、夜9時に出る。それまでここで待つ。」と宣言される。。

そのとき夕方6時。3時間も待つのですか・・・?ここで。。


何故シンガポールへ行こうとしている私が遠回りしてペナン島からシンガポール行きのバスに乗るのか、まったくの謎だったが、誰も「WHY?(なぜ)」と言う問いには答えてくれない。答えたくとも英語では説明できないし、自分たちだって理由は知らない、と言う感じ。

まぁ・・ここまで来たら後は身を任すしかない。。時間はかかろうとシンガポールには無事着くようなのだから。


そうと分かれば、せっかく来たペナン島なのだから3時間ゆっくり島を散策しようと思い、旅行会社に荷物を預け外に出た。

ペナン島はマレーシアの中でも華人(中国系)の人口が多い島で、全体の7割が華人が占めている。マレーシアの島と言うと一番に名前が挙がるほど有名なリゾート&観光の島で特に「食べ物天国」と言われているほどグルメの島である。


海こえ山こえ国こえて♪-マイ・バースデイ・ディナー 私も食べ歩きしようと、早速屋台街に足を運び目に付いた屋台に腰を下ろした。

出てきた料理は鶏の色々な部位が入った麺だった。見た目はともかく味はなかなかで香辛料を入れて食べたらまた味が変わり、楽しみながら食べれた。

が、、長時間の移動で体力が奪われていたため、食欲があまり出ずその一軒だけで、屋台のハシゴはできなかった。

そう、、これが私のバースデーディナーとなったのだ。まぁ美味しかったし良かったけどさ。


そのあとぷらぷらジョージタウンを散策しながら歩いたけど、疲れが出てきて集中力散漫になり、危うく車にはねられそうになったので、8時過ぎには旅行代理店のオフィスに戻った。

だって、せっかくマレーシアまで帰ってきたのに、誕生日当日に車にはねられペナン島で死んだりしたら、それこそ私は浮かばれない。


9時過ぎに今日4台目のバスに乗り換え、今度こそシンガポールに向け出発。有難いことに、このバスは日本でも見かけるような綺麗な長距離バスだったので、持参した布をかぶって貴重品は腰に巻いてぐっすり寝ました。


4月20日

朝7時半にシンガポール国境沿いにやっと到着。

荷物を持ってバスを降り、移民局のカウンターに向かった。タイ・マレーシアの国境沿いでは入国管理カードをもらえなかったため、ちゃんと通してもらえるか心配だったが、滞りなく通過できた。ほっ。。こういう時適当な国って助かる。


その後、シンガポールの郊外でバスを下りた時は10時過ぎ。タオ島からナイトボートに乗ってから既に37時間がたっていた。

もう、お尻が痛いとかとっくに通り越え、麻痺していたが、とにかくシャワーを浴びて一休みしたいと思い、私は近くの安宿に直行した。

その向かったバックパッカーご用達の安宿のカウンターにいたおばちゃんまでが英語で話ができた・・・もう感涙ものです。 ああ・・シンガポールに帰ってきたのだ!と実感。

チェックイン後、すぐさま丸2日ぶりのシャワーを浴びて、3、4時間ほど気を失うように昼寝した。


海こえ山こえ国こえて♪-帰ってきたシンガポール 夕方ごろ目が覚め、3週間前見に行ったマーライオンを見に行こうと思い立ち、宿を出た。

前回行ったときは昼間だったので、せっかくだから夜ライトアップされてるマーライオンも見ておこうと思ったのだ。

しかし、シンガポールはさすが経済大国。タイの南部を走り抜けてきた後に見ると、何だが同じ東南アジアの国にいる気がしない。

シティーランナーが夕暮れの公園をジョギングしているし、掲示板やポストは英語で書かれていて普通に読める。そんな事にいちいち感心しながらマーライオンがある岬まで歩いていった。


海こえ山こえ国こえて♪-また会いましたね、マーライオン さて、マーライオン。
シンガポールの摩天楼をバックにライトアップされている姿は、シンボルの名に恥じない姿でした。


一人写真を撮ってると、香港からと思われる観光客のお姉さんが「写真とってあげましょうか?」と聞いてきてくれる。

そんなの言われたのキャメロンハイランド以来だったので、それだけでもう感動。


きっと、タイでもタイ語が話せればもっと楽しめたんだろうけど、言葉が通じないのはやはりフラストレーションのたまり方が違うのだと思った。

マルコスにも言われたけど、今度違う国へ行くときは、せめてその土地のあいさつくらいは覚えていこう。そして、Lonly Planet 買って行こう。英語の勉強にもなるだろうし。。


こうして、2度目のシンガポールをつかの間楽しみ、その日の夜11時前にはシンガポール・チャンギ空港へ向かった。

21日の成田行きの便が6:10AM発だったので、電車が走っている夜のうちに空港に着いてないと、朝方タクシーで空港へ向かうのは高いからお止め、と宿のおばちゃんに助言をもらったから空港で寝ながら待つことにしたのだ。


海こえ山こえ国こえて♪-何故に・・ミネソタ?? 3週間ぶりのチャンギ空港に着いたは良いが、私が乗るはずのデルタ620は「ミネソタポリス行き」と出ている。

!!!!何故にアメリカ・ミネソタへ??

どんなに見つめていてもその掲示板はミネソタポリス行きとしか書いていない。。

ここに来て、またハプニングなんてマジやめてほしい・・・と思いつつ、インフォメーションセンターに確認に行くと、「あらあら、あれは成田経由の後、ミネソタポリスへ行くのよ~。あのボードには経由地が表示されてないだけよ~。」とおおらかに説明された。。

膝がカクっとなる。でも、良いです。ちゃんと成田にさえ連れてってくれれば、もう文句は言いません。。


空港ロビーで待ってる間に私はLonly Planet のガイドブックを買った。覚悟はしていたけど、本当に教科書のような文字だらけのガイド本。でも、どこそこの町では牛乳1リットルいくら、ビール一本いくら、というような実に実用的なデータも載っていてこれは使える。

でも、読んでいると10分で睡魔が襲ってくるツワモノの本だけど。。


そうこうしている内に6時間経ち、無事成田行きの機内に乗り込んだときは眠気もピーク。

が、隣の席のミネソタ出身のアメリカ人がこれまためちゃめちゃフレンドリーで色々話しかけてくる。。席に座って3分もたたない間に自己紹介と握手である。さすがアメリカン。

彼は、「アメリカ人は世界一フレンドリーな国民」と言うステレオタイプを見事地で行くタイプだった。・・・・良い人だったので悪くは言えないけど。


まぁ・・そうこうしながら、何とか日本に帰り着き、成田空港でまた5時間待ってやっと大阪関空にたどり着く。

弟の家に着いたのは21日の夜9時前。

長~い移動だったけど、義妹が用意してくれていた美味しい日本料理と久しぶりに入った日本のお風呂は格別でした。


書くこと多すぎて長くなりましたので、この辺で終わりますが、現在私は実家で元気に次の格安航空券を探しておりますので、どーーかご安心を。