堺市にある方違神社の「ちまき祭」へ。

 

 

堺市堺区北三国ヶ丘町2-2-1

南海高野線 堺東駅 北東口より徒歩5分

JR堺市駅より徒歩15分

 

 

主祭神は、方違幸大神、素盞嗚尊、三筒男大神、息気長足姫命
合祀神は、向井大神、去来穂別天皇、瑞歯別天皇、菟道稚郎子命、百済王仁、水天宮外十二柱神

 

 

ちまき祭りでは、粽を頂けるのですが・・・。

今年から「1人1本」となったようです。(今までは1人2本授与)

 

並んでいる間に着々とお祭りの準備が整い

 

 

湯神楽神事が始まりました。

 

釜の中のお湯に、米・酒・塩を順番に注いでかき混ぜ奉納した後、雅楽に合わせて巫女が笹の葉を釜の湯に浸し、笹の葉を勢いよく振ることで湯を辺り一面に撒き、無病息災を祈願します。

御神事が終わるとあたり一面水浸しになります。

コロナ前は、参拝客にも勢いよく振り撒いていたような記憶があるのですが、今年は水浸しにならず。

数年前のちまき祭りは大雨だったので、雨なのか釜の湯なのかよくわからない状態でしたしね。

 

 

その後は御砂持神事が始まります。

 

 

5歳までの女児10人の稚児が天秤棒を担ぎ御砂を運ぶ神事・・・なのですが。

序盤から1人が大泣き。それにつられてもう1人大泣きし始め、序盤から大泣きした子は離脱、つられて泣き始めた子は「もうこれでおわり?」と、大泣きしながらもお役目を最後まで務めていました。

 

 

たまに天狗さんが怖くて大泣きする子がいるようで。

つつがなく神事終了しましたとのアナウンスに、「めっちゃ泣いてたやんw」と、方々からツッコミが入っていたという。

 

 

 

御神輪で話題となったサムハラ神社。

 

 

場所は、大阪市西区立売堀2丁目5-26にあります。

大阪メトロ中央線・千日前線の阿波座駅2番出口から数分。

祭神は天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神の造化三神です。

 

 

1950年に現在の中之島の中央公会堂付近にあったのを、1961に現在地へ移築遷宮。
それ以前は、サムハラ神社のあたりを東西に旧立売堀川が通っており、それを埋め立てて作った土地になります。
戦前、周辺には機械金属問屋が立ち並び、今でもその名残が伺えます。
サムハラ神社の隣には機動警ら隊があり、警察官の姿も見受けられます。

 

 

4月と10月の大祭には、近くの空き地まで行列が並ぶほどの賑わいに。

規模は小さい神社ですが、根強い人気のある神社です。

 

 

丹波篠山市で神社巡りをしてきました。

 

最寄駅はJR篠山口。

西口3番のバス停から草山温泉行きのバスに乗り、打坂のバス停で降りて北に8分程度歩くと見えてきます。

バスの本数が少ないため、タクシーも併用した方がいいかもしれません。

ちなみに駅の東口から現地まで2650円でした。

 

乗竹の八幡神社

丹波篠山市乗竹215

 

 

主祭神は応神天皇

配祀神は宇賀魂命・五男三女神

創立年不詳で、明治41年(1908)、宇賀魂命・五男三女神を合祀となっております。

 

 

ここでお腹が空いたので、すぐそばにある「古民家カフェまめっこ」さんでお昼をいただきました。

 

 

 

お腹が満たされたところで、旧乗竹村の隣の旧垣屋村へ移動します。

 

10分ほど歩くと、住宅の敷地の奥に鳥居があるのを発見。

 

 

丹波篠山市垣屋578

主祭神は応神天皇

配祀神は市寸島比売命

 

 

乗竹の八幡神社とは違い、こちらは人の出入りが少ないのか鳥居を潜る時に蜘蛛の糸が・・・。

かなり古い神社で、手水舎が江戸時代の物でした。

 

 

 

 

 

こんにちは。

 

第1回目の神社巡りは奈良の春日大社へ。

参加を希望していた1名が都合により急遽参加できず、3名で行って参りました。

 

 

鹿だらけ。

鹿せんべい持っているだけで囲まれます。

ひたすら歩いて参拝した後も鹿と戯れる私たち。

 

 

こちらは子鹿かな?

 

 

 

今回、角のある鹿はこの子だけでした。立派な角。

 

 

 

別の時に単独で奈良少年刑務所の最後の見学に行ってきました。

 

 

歴史的にも価値のある建物です。

 

奈良少刑全景。

 

 

中の物は撤去済みだったので、いまいち生活感がわかなかったのですが、この部屋だけは想像しやすいように生活用品を置いています。

独居房はこんな感じ。

そして雑居房のサンプルはありませんでした。

 

 

各刑務所・拘置所には教誨室があり、大体がキリスト教・仏教・神道なのに、奈良らしく天理教がありました。

左からキリスト教、真ん中が仏教、右に天理教。

本来なら各宗教の祭壇や物品が飾られているのですが、それらの備品は国の所有物のため、奈良少刑が本来の役目を終えた後に全て撤去されています。

 

 

奈良少刑で一番有名な景色はここでしょうか。

現地に行って初めて知ったのが、舎房が二階建てで、一階と二階とに同じような見張り台があるということでした。

第一寮から第五寮まで見渡せるようになっており、よく考えられた作りだなと感心しながら見ておりました。

 

 

数年後にはホテルとして生まれ変わるそうですが、どこまでこの形を残してくれるのでしょう。機会があれば比較のために宿泊してみようと思います。