鎌倉市での出来事を書こうと思います。
岩手、宮城、福島、茨城よりも揺れは小さかったと思いますが、あの体験はもうしたくない。
ひとりでも多くの人が助かって欲しい。
自分に出来ること何があるんだろう。
【3/11 14:46前】
金曜日ということもあり、翌週に向けての調整を行っていた。
自社で使用しているリース端末返却をカウントし、HDDの消去ができないものについては
物理破壊しようと、メモを取っておりました。
【3/11 14:46~】
ブラインドが揺れ始め、地震が来たなということが分かった。
最初は「地震だ」くらいのレベルだったが、揺れが大きいことにあせった。
と同時に大和近くにいる家族からのソフトバンク宛に電話がなった。
*「地震が大きくて、怖い!どうしよう!」
という内容だった。
物が倒れてきていないかを確認し、子供はどうだ?と聞いたところ、幸いなことにお昼寝していた。
その間にできることを指示した。
ベランダの窓をあけろ、玄関のドアをあけっぱなしにしろ、NHKを見ろ!
大きな揺れが続いていましたが「落ち着け!落ち着くんだ!」と何度も言った。
落ち着いて行動しないと命を落とす危険性もある。
自分はダンボールが倒壊しないようにパソコンが入っていたところを両手でおさえていた。
こんなところで、パソコンを守るっていう。
今考えれば、もっと大事なことがあったんではないかと。
自分がいる部屋のとなりは、某企業の本番データがあるサーバーだらけなので、
構造上、揺らしてサーバーに負荷をかけさせないようになっていたかと思う。
なので、結構揺れた。
地震の最中に照明、パソコンのスイッチが落ちた。
停電だ。
地震が落ち着くと、家族に今後の状況を指示し、両親の安否確認をするよう促した。
今後電話はつながらなくなることは分かっていたが、
「また何かあれば連絡してくれ!」
といって、電話をきった。
この状況を整理しつつ、外に避難しなければと思ったが、どうやら自分は速やかに避難できなかったらしい。
館内アナウンスが流れない。
ほかの人は速やかに避難したらしいが、階段が混み合っていたこと、また我先と逃げようとした人のせいで
多少の混乱があったらしい。
ワイシャツ1枚でヘルメットをかぶり、外へ避難したところ皆いる。
トイレからあわてて避難した人もいたとのことで、その彼は半そでのワイシャツで寒い寒い言いながら、
寒さに耐えていた。
やはり数分たっただけで、電話が使えなくなる。
この状況下、みんな安否確認を取っているのだろうと思った。
しばらくして余震がくる。
避難する前の建物をみると建物全体がグラグラと揺れている。
携帯で確認すると、宮城で震度7。
「し、震度7!?」
と皆声を荒げて言ったことは覚えている。
年に1度、避難訓練しているのにいざ震災がくると汚い大人たちの行動はグダグダ。
何をしていいのかという情報が入ってこない。
シナリオができていないのだ。
しばらくすると、館内に戻る許可がおりた。
館内に戻って、ダウンジャケットを着ただけでもだいぶ違う。
構内放送が流れた。
「館内は危険ですので、再び外へ避難をお願いします」
みんなどっちだ!反応しておりました。
再び外へ避難したところで、今後の予定を地区エリアの責任者より拡声器で連絡があった。
「仕事を切り上げて、帰れる人は帰ってください。以上!」
ほとんどの社員はこのタイミングで帰った。
自分は社内インフラと、某企業のコールセンター管理をしていたため、その場にステイ。
親会社の責任者からの対応まちで残っていた。
「今日、コールセンター動かすことできないから(停電のため)、今日はなし」
との判断。
みんな帰ることにした。
社員には、何かあったら連絡してくれと言っておきました。
ただ帰るにも、どうやって帰ろうというのが正直な感想。
帰りの足として考えていた鉄道はすべてストップ。
JRは地震がきて、復旧するまでにいろいろな確認作業が入るから、回復して22時過ぎだろうと予想していた。
時計を見ると、16時。
あと6時間何をしよう。
藤沢行きのバスは動いていた。
藤沢から歩いてかえることも考えたが、1人のコールメンバーが寂しく大船方面に歩いていったので、
声かけて一緒に大船駅まで戻ることにした。
そこから、帰りの手段は考えよう。
「寒くないですか?寒かったらマスクでよければ1枚多く持ってますけど要ります?」
って聞いたら、マジ神ーって言われました。
飲み物あるか、食べ物あるかと聞いたら両方持っているって返答あったのでとりあえず安心した。
大船駅まで歩いて30分。
駅に着くころには「やっぱり歩いて帰る」という判断をした。
コールメンバーと駅前で別れて、笠間口方面に向かったところ、桜木町方面行きのバス発見。
横浜方面から、最寄り駅まで歩いて帰るを想定していたので、ラッキーと思って並びましたが20分経っても
前には進まない。
これでは日が暮れてしまう。
Xperiaのバッテリー残はそこそこあったので、googleマップでルートを検索し、そのルートで帰ることにした。
普段歩いたことがない道、ぜんぜん分からない。
コンビニやっていない、八百屋はやっているけど、みんなバナナを買って売り切れ。
カロリーのあるものを買うというのは頭の片隅にあったのだろう。
環状4号線に向かって歩く。
道路などの地理には疎い自分だが、GPSとgoogleマップがあったおかげで助かった。
バッテリーを温存するため、使わないときはスリープ。
環状4号に出てきた。
これから、どうするんだ。
環状4号から、1号原宿交差点を抜けて、18号をひたすら北上する。
とだけ覚えた。
何が怖かったかというと、原宿まで行くのに途中はすべて停電であったため周りが暗いこと。
しかし、渋滞している車のヘッドライトのおかげで、だいぶ助かった。
途中、停電の中営業しているコンビニに立ち寄り、飴と飲み物を購入。
カロリーがあるものを摂取すれば、とりあえず大丈夫だろうと考えていた。
4時間くらい歩いても、まだまだ家には帰れない。
twitter側から現状報告、妻にもメールにて報告。
googleマップで再算出すると、あと3時間。
最初のは何だったんだ?と思ったが、まあ仕方がない。
家族に会いたいということだけを考えて、ひたすら歩こうと思いました。
原宿に差しかかかると明かりが見えた!
このエリアは停電していないみたいだ。
よかった。ファミレスやコンビニも普通に営業している。
八百屋でバナナをゲットし、空腹感を満たす。
これで大丈夫だろう。
途中何度か、妻には携帯メールを送って「大丈夫だ、問題ない。」と送り続けた。
ポジティブで居ますよとアピールしておけば、心配の度合いが減るでしょうと。
ひなた山まで歩いたころには、瀬谷行きのバスを発見し、走った。
無事に乗れたことを確認し、妻にメールで報告。
帰りは自転車があるけど、とても乗れそうにない。足が痛いし。
駅まで着いて、バス乗り換え。
23時頃に無事に到着できました、下の階に住んでいる義母がものすごく心配していたけど、
自分の感情だけで話すのでスルーした。
妻に状況を報告。
家に帰れてほっとしました。
帰りの途中に、twitterから頑張れと励ましてくれたこともあり、元気をわけていただけたかなと思っております。
あれがあるとないのでは、モチベーションに影響しますね。
本当にありがとうございました。
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このたびの震災でお亡くなりになられた方、心よりお悔やみ申し上げます。
また避難所で生活されている方、一日でも早くもとの生活に戻れますよう心よりお祈り申し上げます。