◆過疎地でも、人脈0でも嵐を起こす女「藤原聡子」ができるまで♡②

こんにちは。藤原聡子です。

起業すると自分と向き合い、「え〜!母親の影響ってこんなことまで!?」ってこと多いですよね。

私も自分を掘り下げていくと、いろんなブロックが出てきました。

母は71歳北九州生まれ。

生まれも育ちもお嬢様^^

6人姉妹だけど小学校から全員私学に通うほど祖父の事業はうまくいっていました。

戦争中、戦後にすごい生活・・・

お手伝いさんも何人かいたらしく。

想像つかないわ。笑

でも、人生の逆境も体験。

母が高校生の時に祖母が旅行中のホテルの火事で亡くなったのです。

昨日まで元気だった母が亡くなるってことは、あれほど辛いことは後にもないっていつも言っています。

その後、継母が嫁いできて、私は小学生になるまで本当のおばあちゃんだと思っていました。

私にしたら優しいおばあちゃんでしたが、母からすると継母なのでいろんな想いがあったみたいです。

しかも、働くだけ働いて、事故で亡くなった祖母を思うと、継母が贅沢な暮らしをしていたのが気に入らなかったみたいです。

そして、祖父が亡くなると、祖母は財産をすべて持って籍を抜いてしまったのでs。

だから、母の中で「お金があっても幸せとは限らない」

「お金はほどほどでいい」など、子供の私たちに言っていました。。

それがお金のブロックになるんだよ〜!!_φ( ̄ー ̄ )

なので起業してから、このお金のブロックが邪魔して、邪魔して・・・


「お小遣い程度でいいわ〜」なんて言っていました。

じゃ〜起業しなくていいんじゃいって話ですが。笑

母は、自分の母親がずっと働いていたからか、専業主婦になり「母親が働くと子供は寂しくなる。」など言っていました。

これまた、刷り込み。。。笑

「母親働く〜=子供が非行に走る」みたいな。

おいおい!って話ですが、こういう親の価値観とかって、知らず知らず自分に刷り込まれていますよね。

私も結婚した時は専業主婦が夢で、「子供が小さい時に母親が働くと子供がよく育たない」っていう呪縛に。笑

だから働いている友達を見ると、「なんで子供が小さいのに働くの〜」と疑問に思ってました。(汗)

今の私じゃ想像できない。笑

そんな母ですが愛情はいっぱいくれて、よく抱っこしてもらったことは覚えています。

私も母っこでした。

私が幼稚園の時かな?

自宅で書道教室を開いて、今も自宅でやっています。

今思うと「起業やん!」と思いますが。笑

父は数学教師・母は書道家なんです。

二人とも70過ぎていますが、好きなことをしている人生っていいですよね^^

後、母はショッピングが大好きです。

オシャレにはうるさいですね〜。

もう服を減らしていく年代なのに、増えていっています。笑

母からは「年をとると安いものを身につけると、貧祖に見えるの・・・若い時は別にいいけどね〜」と言われます。

そして、オシャレ以外によく言われたことは「意地悪な人は心が寂しい人。優しい人は心が温かい人。だから意地悪する人に出会っても、さみしい人なんだな〜って思ったらいいわ」と言われましたね。

これって社会人になって先輩を見ていてすごく参考になりました。

プライベートでうまく言っていない人は後輩に当たりまくっていました・・・。

やはり、自分の心を満たすって大切だよな〜って思いました。

そうそう、味にうるさいのも母譲り。笑

旅行のホテルを選ぶ時はお料理が美味しいところ^^

ランチも大阪にいた時は、美味しいお店を求めて奈良や
兵庫県やドライブがてら行っていました^^

う〜ん。

母からの影響って多いですね〜。

起業しないと気づかなかったかな〜。

次回は姉編をお送りします^^