愛などいらぬ! | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

友人夫妻が、二人目の子どもを妊娠した。

「杉原さん、名前考えてよ」

と依頼されたので、その瞬間のインスピレーションによって浮かんだ名前を、さっそくお伝えした。

「サウザーにしよう」

彼らは怪訝な顔をしながら、遠慮なく不満をぶつけてきた。

「なんで?」

「誰だよサウザーって」

僕は〝サウザー〟と聞いてピンとこない彼らに半ばあきれながら、「北斗の拳」という漫画に登場する「聖帝サウザー」について滔々と説明した。

サウザーは、南斗聖拳最強の男であること。
秘孔の位置が左右逆であるため北斗神拳が通用しないこと。
「聖帝十字陵」を築こうとしたこと。
「愛などいらぬ!」という名言を吐いたこと。

しかもちょくちょくモノマネも入れながら、だ。

にもかかわらず、彼らは全く納得していない様子である。

むしろ不満なのはこっちの方だ!と言いかけた瞬間、僕は大事なことを伝え忘れていたことに気づいた。

「あ、ごめん!漢字やんな(笑)」

確かに〝サウザー〟をどう書くかは大事な問題で、それを抜きに名前は語れない。

 

「キラキラネーム」みたいなのはイヤだし、かといって難しい漢字では子どもが苦労する。

かなりの難題に思えたが、それも得意のインスピレーションによって一瞬にして解決した。

「〝左右左〟って書いて〝サウザー〟でどう?」

聖帝サウザーの「秘孔の位置が左右逆」という特徴も表現した、完璧な当て字。

 

人生で初めて「神」の存在を確信した瞬間だった。

しかし神の存在を確信したとしても、確信しているのは結局人間である。

 

そこに邪念が入るのに時間はかからなかった。

 

「左右左」ときたら、もうひとつ「右」を入れた方が美しいのではないか?

 

そんな気がしてきた。

 

だがそれではサウザーじゃなくて、サウザウ(左右左右)になってしまう。

ならば思い切って「左右左右衛門(サウザエモン)」とかにしたらどうだろうか?

……いや、さすがに江戸時代すぎる。

もっと現代的な漢字にしてあげないと、子どもがかわいそうだ。

というか、そもそも「左右左」だと、「サウザー」ではなく「サウザ」と読んでしまう怖れがある。

そう考えると、最後に「亜」を付けて「左右左亜」にしてあげるのがいいのではないか。

なんだか取って付けたような感じになってしまうが、いやいや、ここは美学よりも実を取るべきだろう。

そうすると、やっぱり「左右左亜」かなあ。……うん、それがベストだ!

「よし、〝左右左亜〟にしよう!」

そう伝えようとしたら、名前の話題はとっくに終わっていたらしく、彼らは全く別の話題で盛り上がっていた。

 

「こ… こんなに… こんなに悲しいのなら 苦しいのなら………… 愛などいらぬ!!」

 

僕はその日から、聖帝十字陵を築くことに人生の全てを捧げることになった。