鉢巻きと言えばおっさん。
おっさんと言えば鉢巻き。
「バカボンのパパ」に象徴されるように、
「鉢巻き」と言えば「おっさんがするもの」と
相場が決まっている。
あるいは「祭り」や「職人」なども
鉢巻きのイメージとともにあるが、
そこにいるのもやっぱり「おっさん」である。
なぜおっさんは鉢巻きをするのか。
それは自分自身がおっさんになれば、
おのずからわかるようになる。
その要因は「汗」である。
若いときの汗は、
ひたいを通ってタラタラ、
あるいはダラダラと流れてくるものである。
ところがおっさんになるとそうはいかない。
ひたいを通ることなく、
雨のようにポタポタ、ボタボタと、
ダイレクトに落ちてくるようになる。
なぜそうなるのか。
おそらく、
「毛髪量」の減少によるものである。
若いうちは、頭にかいた汗は
大量の毛髪によってせき止められながら、
頭皮をつたい、ひたいをつたい、
顔をつたって、首をとおり、
体にそって流れていく。
ところが、歳をとって毛髪が減ると、
頭にかいた汗はせき止められることなく、
前かがみになったりしたとたん、
ダイレクトにポタポタと
地面に落下するのである。
これが想像以上に面倒な事態を引き起こす。
床や机が濡れる→いちいち拭かねばならない
書類が濡れる→ふやける→拭かねばならない
料理に落ちる→食う気が失せる
……エトセトラ、エトセトラ。
そしてこの悲劇を
事前に食い止めてくれるのが、
鉢巻きの役目、というわけなのである。
おっさんは別に
「自らのおっさん感を演出するために」
鉢巻きをしているわけではない。
それは先に述べたような
「面倒な事態」を回避するためであり、
そのような「面倒な事態」に
他人を巻き込まないようにするためである。
つまり鉢巻きとは
「自分自身への思いやり」
であるばかりではなく、
「他人への思いやり」でもある。
今後、鉢巻きをした人を見ることがあったら、
単に「あ、おっさんだな」と思うのではなく、
「あ、思いやりのあるおっさんだな」
と思うのが、より正確な認識であると言えよう。