「おっさん」と「鉢巻き」の親和性 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

鉢巻きと言えばおっさん。

 

おっさんと言えば鉢巻き。

 

「バカボンのパパ」に象徴されるように、

「鉢巻き」と言えば「おっさんがするもの」と

相場が決まっている。

 

あるいは「祭り」や「職人」なども

鉢巻きのイメージとともにあるが、

そこにいるのもやっぱり「おっさん」である。

 

なぜおっさんは鉢巻きをするのか。

 

それは自分自身がおっさんになれば、

おのずからわかるようになる。

 

その要因は「汗」である。

 

若いときの汗は、

ひたいを通ってタラタラ、

あるいはダラダラと流れてくるものである。

 

ところがおっさんになるとそうはいかない。

 

ひたいを通ることなく、

雨のようにポタポタ、ボタボタと、

ダイレクトに落ちてくるようになる。

 

なぜそうなるのか。

 

おそらく、

「毛髪量」の減少によるものである。

 

若いうちは、頭にかいた汗は

大量の毛髪によってせき止められながら、

頭皮をつたい、ひたいをつたい、

顔をつたって、首をとおり、

体にそって流れていく。

 

ところが、歳をとって毛髪が減ると、

頭にかいた汗はせき止められることなく、

前かがみになったりしたとたん、

ダイレクトにポタポタと

地面に落下するのである。

 

これが想像以上に面倒な事態を引き起こす。

 

床や机が濡れる→いちいち拭かねばならない

書類が濡れる→ふやける→拭かねばならない

料理に落ちる→食う気が失せる

 

……エトセトラ、エトセトラ。

 

そしてこの悲劇を

事前に食い止めてくれるのが、

鉢巻きの役目、というわけなのである。

 

おっさんは別に

「自らのおっさん感を演出するために」

鉢巻きをしているわけではない。

 

それは先に述べたような

「面倒な事態」を回避するためであり、

そのような「面倒な事態」に

他人を巻き込まないようにするためである。

 

つまり鉢巻きとは

「自分自身への思いやり」

であるばかりではなく、

「他人への思いやり」でもある。

 

今後、鉢巻きをした人を見ることがあったら、

単に「あ、おっさんだな」と思うのではなく、

「あ、思いやりのあるおっさんだな」

と思うのが、より正確な認識であると言えよう。

 

 

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