小学生を対象とした「読書表現」の講座も、今年度はもう残りあとわずかになってしまいました。
そして、1年を通してみんなで「深く読む」ということや「自分の意見を根拠を持って示す」ということを追求した集大成として、前回から詩歌に挑戦しています。
小学生に詩歌がわかるの?
というか、詩歌ってどうやって教えたらいいの?
そう考える人もいるかもしれません。
でも、小学生の感性ってものすごいし、教えるとか考えずに疑問をぶつけあえば、作品を味わうことはできるのではないかと思いました。
そう思ったのは、以下のような出来事が講座の中で起こったからです。
まず、有名な芭蕉の俳句について
静けさや
岩にしみいる
蝉の声
この俳句は誰しも一度は耳にしたことがあると思います。
でも、こんな問いが投げかけられると、ちょっと見方が変わりませんか?
─なんで「しみいる」なんやろう?「しみこむ」やったらあかんの?
小学生たちも私もここでぐっと考えます。
「しみいる」という言葉が与えるイメージと、「しみこむ」という言葉が与えるイメージって何が違うんでしょうか?
確かに、「しみこむ」ではパッとしない…。
ここで、一人の男の子がこんなことを言いました。
─「しみこむ」はたくさんの蝉がないていて、その声がじんわりと岩の中に入っていく感じやけど、「しみいる」は一匹の蝉の声が岩にズバッと刺さっていく感じがする
なるほど!
言われてみればそんな感じがする!
芭蕉が見たものをより鮮明に伝えるには、どうしても「しみこむ」ではなく「しみいる」でないといけなかったんじゃないかと思えるくらいしっかりとした説明だと思いました。
事実、芭蕉はこの俳句を作る際に、「しみこむ」バージョンやその他のバージョンも考えていたみたいです。
でも世に出すときに「しみいる」にしたのには、何度も読み返して1番しっくりきたからだと思います。
その感覚を、小学生が敏感に感じ取っているのが面白いなぁと思いました。
この後も、この俳句の表現ってこれじゃあかんの?とか、どっちが本物の俳句でしょう?とか、この俳句を寸劇にして表現してみよう!とか…
いろんな角度からみんなで俳句を味わってみました。
ファシリテーターの桜井先生も、「俳句とは~」など形式的に何かを教える場面はなく
それでも、子ども達の中で「俳句って~」という感覚的なものが確かに出来上がっているのを見てて感じました。
実はこうした講座は、桜井先生が高校の授業でも実際におこなっていた内容と同じだそうです。
高校生が考えるような内容を、この場の小学生がやってのける。
しかもめっちゃ楽しそうに。
小学生恐るべし…
そんなことを思いながら、私も楽しみながら参加できた回でした!