2026年1月

大寒も子と過ごす夜の仄ぬくみ  真理子

十年に一度の寒波襲来だそうで、編集する物が山積みな事もあって、子どもと鍋を食べてきました。

もともと、お寿司屋さんの老舗だけに、何を戴いても美味しい御店で、寒波で縮こまっている分、親子で外に出た気分もあって、良い機会になりました。

3月に、母方の一族の報告を従兄弟がする一助になれば、と纏めている書類ですが、二千年の時を、権勢を避けて静かに静かに暮らしてきた、たった1つの一族は、顔も判る方が多いだけに、興味深いです。

ぼちぼち、子ども達も母方親族の同世代の交流を始めますが、あくまで、仲の良い年の近い親戚の関わりが増えるに留めます。

世の中は、この間、スタートしたばかりの高市内閣解散で、また、選挙です。

選挙をするのは勝手だが、費用は、税を使わず、議員報酬で賄いなさい。と、うちの御先祖なら、そう、仰ったと思います。

年末年始、お世話になったタクシーの運転手さんが、口を揃えて、盛り上がりが無くなったと仰って、気をつけて見ると、晴れ着姿も減りました。

Facebookに入って来る広告に、お葬式関連が増えました。

それなのに、何故か地味感も安定感も街なかにありません。

私が年老いた為に、そう思うだけでしょうか?

2025年のイブから、子どもと、温泉のある日々を楽しみ、この地から、山路の初詣も行いました。

2025年までの良く思えない一切の断捨離と、2026年から思い切り、ラストスパートを、頑張ってみようという覚悟を兼ねての年越は、親子だから、出来るのだなと、つくづく、子どもの存在に感謝。

ベクトルが整うと、気楽です。