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mana7jのブログ

スピリチュアル愛好家のブログです。
人生への気づきや反省、教訓など。フォローは基本的にしていません。YouTubeの動画などの感想も書いています。

 今年も、いよいよあと2日ですね。
昨日は、投資関係だと金、銀価格が久しぶりの大暴落で短期筋が慌てて売りに出したらしいですね。

それで今日は大納会なのに、日本の金や銀のETFが爆下がりでした。
しかし、その後は戻しているようで、普通の下落と同じくらいになっている?

それはともかく、スピリチュアルのブログとしては、今年も今日明日だけなので、スピ関係の内容で〆ないと、さすがにスピリチュアルの愛好家のブログとしても、少しおかしいんじゃない?となってしまいますので・・。

今日は散策をしながら、穏やかな年末の時間を過ごしていますが、天気も良くて風も吹かず、冬なのに小春日和のようなひとときを過ごせています。


おだやかという状態は良いですよね。
ストレスの緩和、肩を張った、きりきりとした、がちがちの心を、ふにゃ~(-。-)zzz…とした状態に変えてくれますから・・・。(´▽`*)

そこで、ふと思ったのは「われ思うゆえにわれあり」で自分のことを最も知っているのは自分ですし、自分の資料を縦横無尽に活用できるのも私という自分なので、人生の目的の大きなものの一つは、自分の心の専門家になるということなのだなぁと思いました。

自分の心と体の専門家になる、プロになるということが、最も重要な私の幸福への近道なんだろうなぁとも思いました。
たいがいは、この万能のアイテムである「心の思い」というアイテムに使われていて、使えない人がほとんどなのだと、つくづくネットの動画なんかを見ても、それらと自分を比較しても思ってしまいます。

そうなると、人生の道筋の途中でも、自分がわからず、我を忘れて、ほかの人たちや出来事なのへ思いなどに振り回されます。
何が何だかわからない自分に疲れ果てます。(経験者は語る)

なので最低限、自分の人生では、自分の思いの専門家になるのが必須ですよね。(必須じゃない?・・・ひぇ~すみませ~ん!m(__)m・・)

 

自分の心の思いの達人になるということですよね。

それが一番の自分の幸福への近道でしょう。(; ・`д・´)

 年末のネットのタイトルやサムネは過激なものが多くなってきているよね。
経済関係では、暴落とか破滅とかなんとかかんとかとか・・・。

タイトルも過激だし、サムネの画像も過激で、さすがにまたか・・・となるよ。
アクセス数を増やすためにはしょうがないらしいんだけど、内容を見てみると全く違っていてソフトだったり、そういう場合もよくあるような・・。

たしかに膨大な同じ分野の動画だから選んでもらうには過激になるんだろうけどね。
ブログでもタイトル次第でアクセス数がだいぶ変わるそうな。

ビジネスとして集客する場合は、刺激がないと見てくれないから売り上げにかかわってくるらしい。
私のように日記が主な場合はあまり関係がないけれど、書いている内容とタイトルがあまりにも違いすぎることもあるので、その点はタイトルもよく考えないといけないみたい。

自分で読み返してもタイトルと文章の内容が違うことがよくあるから。

いずれにしても、過激すぎるタイトルやサムネは、もう少し何とかできないもんかねと思いながら、それでも見ています。(苦笑)(´▽`*)
 

 ブログの背景も年末年始にあわせて変更してみました。
見た目だけでも縁起が良いように。(´▽`*)

高齢者は、孤独でうんぬんという話をよく聞きますし、最近はネットでも高齢者になり孤独になると困るんだよというような動画なんかもありますよね。

たぶん、それを書いたり動画を作っている人は高齢者より若い人ではないかと思われます。自分が高齢者になった時に、その本当の高齢者観がわかるのだろうと思います。

私なんかも若い頃から孤独だったのですが、寂しいと思ったのは若い頃だけで、年齢が増すにつれて薄れていき、最近はほとんど孤独に黄昏ることもなくなりました。

まあ、私の場合はスピリチュアル愛好家なので、死後も霊界があるかも、というほうに傾いている人間ですから、ほとんどの私の時間は肉体を離れてからの意識がある(としたら?)ほうが長時間でしょうから(ほぼ永遠?)途中経過の人生は瞬きの間ということになります。

そうなると孤独な今としても、それどころではなく孤独に浸っている短い時間のほうが安心かもしれないとも思えます。
死後がなければないで、そこには何もないので思い悩む意識もないわけですから、孤独に悩むこともないわけですよね。(死後悩んでいたら死後があったになるからね)

孤独というのは、人間の本能の発露でもあるのでしょうが、あまりにも自分に執着している思いの姿だったりして・・・。
孤独に悩んだなら、そういう個性なんだと割り切るしかないでしょうね。
悩まない人もいるわけなので。

そんなことを考えて、若い頃の孤独の悲哀?を思い出してみました。(; ・`д・´)

 ニュースでは、帰省ラッシュが始まるということでしたが、もうそんな時期かと思ったり、今年もなんだかんだで、あわただしかったなぁと思ったり、大掃除をしないとなぁと思ったり。

心の旅路というこのブログでは、ひとりで心の思いのことをあれやこれやと考えて、結論としては、自分のストレス解消としての恨みの思いの繰り返しになった時には、まず最初にすることが、自分の心を落ち着かせることだなぁと、当たり前のところに至ったりしましたが。

やはり、自分の心が動揺して落ち着かないと修復のための次の手がうまく打てませんよね。動揺していると先が見通せず、目の前のことばかりに気が散って、悪手をうってしまいます。そうなると、その次の手もズレてしまい、ますます悪化したりします。(経験者は語る)

ですので、何よりも自分の心を落ち着かせて、腹にどっしりと重心を移して、まずは頭に血が上り、思いが頭の中を駆け巡る状態から頭の熱を腹に落としながら、心を落ち着かせて考え始めるのが、人間の永遠の真理ではないかとも思います。

昔の人も、そうしていたしね。
これが基本中の基本だよね。
動揺していると、はたから見ても、みっともないしね。

ここでやっと本題ですが(いつも前置きが長い・・苦笑)、結局のところ相手は私ではありません。相手にも私と同じように心のレベルがあり、課題があります。
そしてそれは私が助けることはできません。本人が自分の力で乗り越えなければならないのが、この世の原則なのだろうと思います。(この世が修行の場であれば)

一個の動物としても、それを乗り越えるから精神的に生き残れる(成長する)のだろうとも思います。
相手にとらわれて、世の中によくある嫁姑などのけんかや憎しみあい(夫婦や恋人同士もか?)でもそれぞれ別の個体同士がお互いに共依存をしたり、相手を自分の思い通りに変えようと無意識にしていたり、受け入れられないなど抵抗があったり、そのほか色々な理由がありますが、結局は変えられるのは自分だけです。

相手の事情は相手のレベルや成長の段階や霊的な(心での)きっかけや悟る段階があります。それは相対している私の責任の分野ではありませんし、できません。
相手の心を成長させる(心の角を丸くさせる)ための教材でしかありません。

私ができることは、私の心のこと、そこに線を書いて、相手のことは相手にゆだねて、相手の泥沼に急いで入ろうとしないようにすることが重要だろうと愚考いたします。

たぶん今感じているネガティブな感情は、相手ではなく自分の心の底のカルマや業などの深い何かの因縁に癖にあるのだろうと思います。(相手と自分がごっちゃになってお互いに怒っていたりしているかも?)

読者の方々には、釈迦に説法かもね。(´▽`*)

 

ほどほどのところで止められないと(自分の心の思いを)ずるずると痛みや苦しみが続きます。(たぶん)

まあ、しかし、それを一定期間続けないと晴れないという場合もあるから複雑ですよね・・人間って。(-ω-)/