今回も、心のブログです。

 

ガッツリ、長〜くなりそうです。

そういうの苦手な方は、お帰りくださいねー

 

 

 

 

流れ星

 

 

 

心配してもらいたいから、なのか、

優しくしてもらいたいから、なのか、

甘えたいから、なのか、

 

病人(とは限らないけど、大変な状況にいること)を、無意識のうちに選んでたのかな?なんて、気づいちゃったところです。

 

 

そんなんじゃ、私がかわいそうすぎる、、

 

ジブンのために、ジブンのシアワセを生きていきたいよーーー!!!!!!

 

 

 

と書いたのは、一つ前のブログの最後でしたね。

 

 


 

だからこそ、実家へ連絡してみた。

ハードルは高かったけど、がんばったよーー!!

 

 

思ったような反応ではなく

(期待しすぎなのかもな。。)

 

でも、意外と、頭にも来なくって、

ちょっと冷静なジブンもいたりして。

 

 

それに、ママの反応うっす!!っていうところから、つながっちゃったのが、

もしかして、ママって、ふーん族??という展開。

 

*ふーん族っていうのは、心屋仁之助さんが見つけたパターン。みんな、ふーん族かめっちゃ族のどちらかに当てはまります。リブログしようと思ったけど、たくさんの記事があったので、気になった方は【ふーん族 めっちゃ族 心屋】で検索してみてくださいね!

 

 

そこから、今度は夫との問題、へと話は進みます。

 

付き合ってから1年半で結婚し、先日、14回目の結婚記念日を迎えたところです。


基本的には仲良し。

だけど、わかりあえないな〜って思うことがたくさんたくさんある、と私だけが思っていて、

物足りないっていうか、1人、寂しい気持ちもありました。

 


我慢してきたのが、どんどんなくなり、

そうしたら今度は感情が爆発!

わかってもらえない、と感じると、私から手が出ちゃうこともありました。


怒鳴ったり、布団を叩いたり、あれ?私にこんな一面があったの??と自分でもビックリするくらい。



何を伝えても、暖簾に腕押しっていうか、糠に釘っていうか、反応がなくて、愛情もないの?!

全然ちっとも感じられない、、と爆発して、悲しんだばかりでした。



あまりにも私がプンスカしてばかりだったから、疲れ果てた夫が、

「愛情あるよ、伝わらないんだね、マナちゃんが不自由なく生活できるようにしているのが愛情だんだけどな、、」

と言われてビックリ!

 


わかりやすい愛情表現とかがなくて、寂しかったけど、

え? そこ?!!

 

 

ここで出てくるのが、心屋さん。


うちの夫は、心屋さんのいう、ふーん族

私は、めっちゃ族

 

さらに、飛ぶ族、飛ばね族というのもあって、私たちは見事に反対。


*飛ぶ族、飛ばね族、についても、心屋さんで検索してくださいね〜


 

夫は、ふーん族で、飛ぶ族

私は、めっちゃ族で、飛ばね族


(心屋さんのご夫婦と同じ組み合わせ、男女が逆パターンです)


 

 

この本、とってもオススメです!


一度では分からず、何度も読み直し、今回のあれこれを体験し、ようやく、腑に落ちました。





全然ちがうタイプの二人だから、全っ然わかりあえない!!と、もがいてもがいて、反応薄い!!って不満がた〜〜っぷりだった。

 


大抵のことに、「大丈夫、大丈夫、」しか言わないことにも ”めっちゃ” 腹が立ったけど、、、(めっちゃ族なだけに 苦笑)


 

愛情の伝え方が違うだけで、ないわけじゃあないのか?と、


「不自由なく暮らせているのが愛情」だと受け取ったら、

 

心配していないわけでもないし、今回のことも、辛くないわけでも、堪えていないわけでもないのか、、?と考えてみた。

 

 


肺の影、をうけての診察日にお休みをとってくれなくて、


仕事だから仕方ないか、急に入ってきたことだし、、と一人で行こうと諦めかけた時もそうだった。


 

最初の連絡は、仕事中で、休んできてほしかったけど、無理って言われて一度は諦めた。


帰宅後、どうだったか、どうしてまた明日行かなくちゃいけないのか、を伝えたときの反応が、「大丈夫だよ」だった。


 


かるいな〜〜!! 全然大丈夫じゃないんだけど、、、

なにがどう、大丈夫・・?? なんで??とマナの心。


 

さらに「これでまた、死ぬ死ぬ詐欺が継続だね」、なんて笑って言われて、

(イヤな気持ちになった人がいたらごめんなさい、私も最初ビックリして、とってもイヤな気持ちになった)


 

これ、

本当はやりたいこと・本当は行きたいところを我慢しちゃいがち、な私が、

 

”死” を意識した時、それなら行っておきたい・やっておきたい!で叶えちゃおう!、やっちゃおう、いっちゃおう!というのに許可を出す、みたいな、そんなことなんです。



死ぬ死ぬ詐欺が継続で、またいろんなところへ行けてよかったじゃん、くらいな気持ちのようです。

 


最初に言われた時はびっくりして、死ぬかもしれないと思っている人に対して、よくそんな事が言えるよ!まったく!不謹慎だ!と、空気も読めないし、イヤになっちゃう!って思っていたけど、

 

死ぬ死ぬ詐欺、っていうのは、死なないから詐欺、なんだとか。




もしかしたら、辛いなか、一生懸命、笑えるポイントを作ろうとしてくれていたのかも?

 

 意味がわかるまでは笑えなかったけど。



でも、いまその言葉を言うタイミングじゃなくない??

その言葉の軽さ加減に、涙がポロポロ、、

 

ひどいよ、ちゃんと考えてくれないなんて。


友人たちのほうがよっぽど親身になって気にかけてくれてるのに。。と、涙が止まらなくなりました。


 

ウチの夫は個人事業主。

依頼を受けて、いろんな会社のいろんな仕事を受けています。

自宅で仕事をするのがメインだけど、今受けているうちの一つが、オフィスへ出向いているため、穴を開けたくなかったんだと思う。

 

でも、今は、マナの一大事!

仕事も大事だけど、なんのために仕事してるの?マナをシアワセにするため、じゃないの・・・?

と、涙が止まらなくなって、

 

「やっぱり一緒に行ってほしい。。一人じゃイヤだ、、、」と泣きながら伝えたら、お休みをとってくれましたが。

 

 

一緒に行ってもらって良かったけど、今度は診察室へ呼ばれた時、まさかの「行ってらっしゃい」

「え?一緒に行くよ!」と、一緒に診察室へ入ってもらいました。

 

 もー。何のために一緒に来たの?!



その後も、普通にしていて、大丈夫でしょ、っていう夫。


え?どうしたらいいんだろ…、と、まだ頭の中メチャクチャなのに、、という私。

 

 

 

心配してないわけじゃないだろうけど、反応がうすすぎて、冷たすぎて、泣いたよ〜って何度もウチに来てくれたり、夫ともたくさん会話をしている友人に愚痴りました。

 


”誰よりも心配しているよ、外に感情がむき出しにならないタイプなだけで、

誰よりもマナを思ってるよ。見ててわかる。マナちゃん、マナちゃん、てね”

 

って返信をもらって、また涙。。

 

 

夫に、悲しくて泣いてたけど、心配してないわけじゃないの?って聞いて、


友人が⬆︎こういってくれた、って伝えたら、夫が、泣きそうになってた。

 


それをみて、あ〜、辛いんだな、思ってくれてたんだな、って伝わってきて、


一人じゃない、ってようやく、感じることができました。

 

 

 

 

で、今日。

気づいたのが、もしかして、ウチの実家の家族は、みんな、ふーん族だった?!!


パパは絶対そう、

弟も、そう、

ママは、、ちょっと疑わしいけど、、おそらく、そう。

 

 

そうしたら、なんだか、バカバカしくなってきちゃいました。

 


だって、私だけがめっちゃ族で、気持ちをわかってほしい!!分かってよーー!!!!って思っていた相手、よりによって、みーーーんな、ふーん族。

 


 

そりゃあ反応うっすいよ〜〜 

だからといって、気持ちがないわけじゃあないのか?!

(夫と話して、ちゃんと聞いてよかったよ!)

 

 


なんだよ。1人空回り?!

嘘でしょ?!!



でも、そう考えると、しっくり来ることばかり。

 

そうしたら、なんだか、親のことも気にならなくなりました。


 

 

気持ちが通じる相手、と一緒にいたい、というのをずーーーっとずーーーーーっと思っていて、

通じないのが悲しくて、相手を間違えたのかな?って思ったり、悲しくなったりしていたけど、

 


ぜーーんぶ、勘違い、だったのかも?

 


 

病気になったのにも理由がある、って考えていたし、

それを治さないと、またなっちゃう、とも思っていた。

 


だから、何が悪かったのか?を一生懸命探していたけど、


病気でいるほうを選んでいた(=なにかから自分を守るための防衛本能)だけで、お休みが必要だっただけかも。




いちいち、罪悪感を持たなくて良いんだ。




心は疲弊して、疲れきっていたけど、

頭は、原因つきとめなくちゃ!って焦っていたのかもなぁ。。

 

 


エンジン全開なのに、ブレーキもかけてるよーって言われたことあるしなー。




 

理由なんてなくたって、

病気になる時はなるかも。っていう考えも採用したくなりました。



だって、なにかもに理由があったら、

そうできない自分を責めちゃうから。

 


 

それと、もう一つ気づいたこと。


5年の間、実家との疎遠が継続だったのも、一番大事な自分のメンテナンスを優先したかったから、ってことに気づきました。


罪悪感を刺激されたくなかったんだ。


 

治ってしまったら、連絡を取り合ったりしなくちゃいけないのかも?、と無意識下で思っていたのかも。


だから、まだ影が見つかったから、自分を一番に優先させるからね!、という、大義名分がほしかったのかも。



大義名分。好きだなー

そんなの、もういらない。


理由なくても、好きなものは好き、

やりたくないことは、やらない、

嫌いなものは嫌い。


それでいいじゃん。




自分が羽ばたくのを止めているのも自分、っていうような言葉を目にし、ウンウン、うなずき、

 

誕生日から導かれる数字の占いを目にし(宿命数、だったかな?)マナは5なんですが、それは男性の僧侶で、修行との縁がありました(やっぱりね)。


自由・光を感じるために、不自由・影を経験する、みたいなことが書かれていて、ちょっとビックリ!

(もう一回見直したくて、元ネタを探したけど、見つかりませんでした、、残念!)



 

でも、ここ数日で、

ココロは、だいぶ、軽くなりました。

 


 


出すこと、って大事なんだなぁ。。。と改めて感じたし、

書いていくうちに、どんどん気持ちが整理されました。




そうしたら、同じ日常なのに、見え方がかわる。



なんだか、キツネにつままれた気分だけど、

心が軽くなって良いみたい。



これが、もしかして、プチパッカン?!





これからどう感じるんだろ。

なんだか楽しみになりました。






ながーい心の日記、

読んでくださった方、ありがとうございま〜す😇