一つ前のブログからの続き、です。

 

 

肺の影、をキッカケに、いろんなことを考え始めたらでてきたいろんな感情

 

 

今回は、なが〜いです、

 

ココロのこと、のブログです。

 

 

そういうのは苦手・・な方、

ぜひここからスルーでお願いしまーす!

 

 

 

 

流れ星

 

 

 

おじいちゃん(ママのお父さん)が肺がんで亡くなったのは、19才のとき。

交換留学プログラムで、約1年のアメリカ留学中のことでした。

 

おじいちゃんの罹患が発覚したのは、中学生のころで、ママが泣いて報告してくれたのを覚えています。

(私の時とはえらい違いじゃない?と、怒り、さみしさ、悲しみみたいな入り混じった気持ちで、いまだ消化・昇華しきれていないかも。。)

 

ママは、6人兄姉の末っ子。

おじいちゃん・おばあちゃんとはココロも住居などの物理的な距離も近かった。

 

私が小学生の頃の土曜日は、今と違って半日だけど学校があり、両親が共働きだったのもあって、土曜日は、おじいちゃん・おばあちゃん宅へ帰っていました。

 

なんでだったか理由は忘れちゃったけど、小学生の頃の数ヶ月、おじいちゃん・おばあちゃんの家で暮らしたことも。

私はとても可愛がられていて、その一緒に暮らした数ヶ月、私だけおじいちゃん・おばあちゃんの部屋で寝ていたくらい、おじいちゃん・おばあちゃん子でもありました。

 

おじいちゃんが罹患、おばあちゃんはヘルニアもちで寝たきり、おじいちゃんが、おばあちゃんの世話をしていました。

 

留学が決まった時、おばあちゃん達にはアメリカへ留学する、ということが言えなくて、

(たしかママから止められて。昔の人で、アメリカに対する嫌悪感がすごかった)

 

寮に入るから、しばらく逢えない、と伝えていたものの(嘘はついていない)

「休みの時には帰って来られるだろ!」と強く言われてしまい、

そのまま留学するのがイヤだった私は、留学前日、おばあちゃん宅で、正直に話しました。

 

「バッカモーン!!!」ものすごく怒られました。

 

 

でも、当日の朝電話をくれたんです。

「昨日は言い過ぎた、と、元気で頑張ってきなさい」、と。

 

その後、留学先に、おばあちゃんから自筆のエアメールが届きました!

おばあちゃん、当時83歳くらいでした。

 

 

お返事を返そう、返そうと思いつつ、先延ばしにしちゃっていた矢先、おばあちゃんが亡くなりました。

それは突然でした。留学先の学校の秋休み中で、当時ニューヨークへ出向していたおじ・おば(ママの姉)夫妻宅へ滞在中のことでした。

おばあちゃんが危篤なのを知らせず、私との時間を楽しもうとしてくれていたところ、夜中に訃報がありました。

 

泣きながら、日本への帰国の航空券を手配し、ニューヨークまでは国内移動だったのでパスポートを持たずに来ていた私は、留学先へパスポートを取りに帰らなくてはならず、おばとはバラバラの便で、一人での帰国になりました。

機内ではひたすら泣きじゃくり、成田からタクシーで、お通夜へ参列しました。

 

留学先へ戻り、数ヶ月がたった頃、深夜にパチっと目が覚めました。

(眠りが深い私には、こんなことはまずない)

手を振っている人が2人みえました。

 

ぼんやり、あれ?おばあちゃん?おじいちゃん?

私はどこにいるんだ?【ルームメイトが寝てる、のを確認し】あ、寮だ… と思ったまま、再び眠りました。

 

朝起きた時、あれ?昨日、目が覚めた?? あれは、なんだったんだろう・・??

おば(ニューヨークの)に連絡するもつかまらず、専業主婦でだいたいお家にいるはずなのに、何度かけても不在。

イヤーな予感。(時差があるので)半日くらい待ってから、実家に連絡すると、やっぱり、おじいちゃんの訃報でした。

 

あと少しで留学が終わるし(おばあちゃんの時に帰国したし)、今回は帰って来させないように、と、私には知らせるつもりがなかったらしい。

 

けど、おじいちゃんたち、会いにきてくれたから、知っちゃったよ〜!

 

不思議なことってあるのね、、なんて驚かれましたが、帰国はせず、心の中でおじいちゃんとお別れしました。

 

 

長期離れた時期なんて、このときが最初だったのに、

なんでこの1年の間に、、と思ったし、

本当のことを言って留学して良かったな、、と思いました。

 


そんなおじいちゃんのことを、肺の影発覚??で思い出していました。

そして、おじいちゃんのお墓まいりに行きたくなりました。

守ってほしい、ってお願いしに行きたくなりました。

 

さらには、大腸手術から5年の経過観察→呼吸器外科へ予約の朝、起きたら届いていた訃報。

それが、留学先で知り合ってから、すっごく良くしてくれた、大好きな友人(乳がん→肺・骨へ転移を経験)

 

 

よりによって、なぜこの日…

ふたりとも、肺の経験者。

 

なにかメッセージを伝えてくれているのかな、と考えちゃいます。

 

 

 

実家のママと疎遠なので、お墓参りにも、何年もずーーっと行けていない。

ママと疎遠になってから、かれこれ10年くらいがたつ。

 

 

些細なことで喧嘩し、【帰ってこなくていい】と言われてから、帰ってない。

 

そのあと、東日本大震災があり

(実家は千葉だから、それほどの被災はなかったけど、一応、無事かどうかの連絡はこちらからとった)

 

大腸の罹患が発覚

(病院へは来てくれたり、手術の日に立ち会ってくれたけど、目がさめるのを待たずにパパのご飯の仕度してなかったから、って帰ってしまったのはとても悲しいことでした。他にも、自分のことばかりで嫌になった、、と以前のブログにも書いたとおり。たくさんの記事があるので、ここに貼り付けるのはやめました。その後もあまり連絡を取り合うこともしなかった)

 

隣家の火災による貰い火

(報告したものの、たいした心配もしてくれず、手伝いに来ようとも、なにかする?とも聞いてくれなくて、これも寂しかったなぁ、、かなりの補修工事が必要になり(その額1000万円以上!)ましたが、火災保険などで大部分をまかなうことができたし、家にはそのまま住んでいることができたのも不幸中の幸い

 

去年の春、夫のお父さんのお葬式へ参列してくれたので、久々の再会。年を取ったなぁ、、と感じ、

 

そして今。

 

45歳のバースデーは、術後5年無事過ごせて、大きなお祝いにしたかったけど、できなくなってしまった悲しさ。

それは覚えてくれているだろう、連絡くれないかな、と、ココロのどこかで期待したけど、

(弟はメッセージをくれました)

 

5年無事過ごせたけど、肺に影が見つかったこと・おじいちゃんのことをとても思い出して、お墓参りに行きたいと思っている、と伝えるため、こちらから電話しました。

 

肺については、「そんなの、大丈夫だよ、みんな、探せばなにかある」としか言ってくれない。

(心配しているようには受け取れなかった)

 

でも、不思議と、頭にもこなくて、そんな感じなんだな、と思った。

 

 

もしかしたら心配しているかもしれないけど、それを表現できない人なのかもしれないけど。

(これは、ウチの夫もそんなところがあるので、共通の嫌なポイントです、夫のことは、また別記事にしまーす)

 

こちらが心を砕いて読み解ことうとか、受け取ろうとする必要もないのかな、とも思った。

思ってないことはないんだろうけど、そんな性格って、損だろうな、と客観的に感じたり。

 

弟はおしゃれして出掛けたらしく、パパも(趣味のソフトボールへ)出掛けて不在、

男二人でつまんないよ、と愚痴るママ。

 

自分で楽しみ見つければいいのに、そうしないのは、ママの勝手。

 

娘はいても、ココロが通い合ってなくて、寂しいのかもしれないけど、

こちらからは、なんどか連絡とったもん。

どうにかしたいならすれば良いじゃん。何もしなかったのはママ。

一人で耐えていたいなら、耐えていたらいいじゃん、と感じている私がいた。

 

 

元気なの?ときくと、腰が痛い時期があって、病院へ通ったらしく、

骨と骨の間がくっついている箇所があるとかで、「若い頃必死に働いたからだ」、って言われた。

 

あー、そうやってまた、罪悪感を植えるのはやめてほしいわ〜

 

ずーーっとフルタイムで働いてくれていたのはわかってるけど、

頼んでないよーー!!!!って言わせてほしい(直接は言わなかったけど)

 

マッサージいくなり、楽しみ作るなり、すればいいじゃん!!

 

関わると、罪悪感を刺激されて、イヤだったんだな、

だからあんまり関わりたくないって思ってたんだ。

 

でも、年老いてきてる親。

あまりほっておいたら悪いかな、可愛そうかな、親不孝かな、って思ったけど、やっぱり、罪悪感は刺激してほしくない。

親不孝でもいいか?!って思った。

 

 

その後、前にも何度もブログに書いた、ママのすぐ上の姉である、Kおばちゃんに電話。

私と話がとても合うし、病気のこともよく理解してくれるし、とても話しやすい。

(お胸を罹患して、手術・抗がん剤・放射線とフルコースを経験済み)

 

でも、あまりにもおばちゃんとばかり連絡していたら、ママがヤキモチやくかな〜(ママと最初に疎遠になったと私が思っている理由は、パパに対するヤキモチだと思っている)からちょっと遠慮して、しばらく連絡とってなかったけど、今回は、ママとのあと、おばちゃんにも電話した。

 

おばちゃんから帰ってくる言葉は、温かくて、寄り添ってくれて、まるで母親みたいな言葉ばかり。

経験者、っていう立場がそうしてくれるのかもしれないけれど。

聴く耳をもっていて、思ったことを伝えてくれる。

「心配し過ぎは良くないね!」というのにも、説得力がある。

 

以前は、「マナちゃんが折れてあげてよ、ママはああいう性格だから」、って言われて、そんなぁ。。とイヤな気持ちになっていたけど(おばちゃんにとってママは妹、私はしょせん姪よね、って)

 

今回は、「ママってホントに強情っぱりでね、いつもあんたのことばかり話してるのよ、だから電話したら?って言っても、こっちからは掛けない、って頑なだから、もうおばちゃんは言うのやめたの」、なんて教えてくれた。

 

パパがリタイアしてからは、パパも含めて3人で(おばちゃんは独身)月1でランチしているようで、パパとおしゃべりが楽しくてね〜なんて教えてくれた。

 

話したいことたくさんあるから、近いうちに日にち決めて千葉においでね!と言われて来月お盆あたりにお墓まいりも含めて行くね、と約束。

 

 

おばちゃんには言ったけど、

 

もしかして、私って、心配してもらえるような状態でいたいから、病気かも?っていう元を持とうとしているのな、なんて感じました。

 

すごい気づきじゃない!! って褒められちゃった。

 

 

 

大腸を罹患して、

貰い火も経験して、

ダブルキャンサーかも?なんて不安になって…

 

 

 

心配してもらいたいから、なのか、

優しくしてもらいたいから、なのか、

甘えたいから、なのか、

 

 

病人とは限らないけど、大変な状況にいること、を

無意識のうちに選んでたのかな?なんて、気づいちゃったところです。

 

 

 

そんなんじゃ、私がかわいそうすぎる、、

 

 

ジブンのために、ジブンのシアワセを生きていきたいよーーー!!!!!!

 

 

まだまだいろいろと気づきそうですが、長くなりそうなので、

今日のところはひとまずここまで、にしておきます。