パートを初めて6週間が経ちました。
といっても週2〜3なので、実質16日ですが・・
ようやく、朝のルーティーンなどができあがってきました。
パートは、10時からだけど、通勤ラッシュにぎりぎりかかっていて、
あんまり混んでいると見送ったり(暑いと具合が悪くなってしまうんです、、)
密閉される・・と思うと、怖くなったり、気が遠くなりそうになるんですが、
あ、やばいかも、、と思ったら、途中で降りたりしながら、
カラダと相談しながら通っています。
書きながら、そんなに頑張らなくてもいいのにな〜ってキモチも湧いてきた。
時間を変えられないか、相談しようかな。
1つ前のブログに書いたように、
長く続けるつもりは無いかも、ってある意味思ってるからなのかわからないけど、
嫌われるのを恐れてないっていうか、
やめてもらってもイイですよ、ってたとえ言われても構わないからか、
ご機嫌をとる、というようなことはしなくなりました。
これっておかしくないですか?とワタシの対応を指摘してきた同じパートの方がいたんですが、
まぁ仕事的には先輩。
でも、仕事の内容には正解がないもので、
(職歴的には、私の方がいまの仕事はわかっている状況、でもそれを彼女はしらない)
会社の運営方法も定まっていない為、個人の力量に任されていて。
マナは、不安に思いながらも精一杯やっています。
指摘された点は、彼女にとっては違和感だったようですが、
マナには、どうしてそれが違和感で注意される点なのか、わからない。
受け取り方って、人それぞれ。
それをどうとるか、は、その人次第ってところもあると思う。
それに、クレームになったわけでもない。
会社の方向性があって、指示があればもちろん従いますが、
個人の力量に任さていたし、それはいい面も有るけど、不要な摩擦だな、という思いに至り。
彼女は私に指摘し、指導するつもりだったようだけど、
考え方の違い・受け取り方の違いがあるってところを知り、むしろ、この仕事は奥が深いって思ったようで、それについては良かったかな、と思います。
なんでこんなブログを書いたかって、
心の整理がしたかった、っていうのもあるけれど、
それよりも、
この最中のマナのキモチが、とっても穏やかっただったことに、自分が驚いて。
ココロのこと。として、書いておきたくて。
責められてるのかも?っていうセンサーが全く働かず(笑)
え?どうして?わからないんですけど・・ととてもフラットなキモチで言い返し、
え?わからないの?どうして?と、むしろ相手を困らせてしまったようです。
彼女は、パートなのに、お休みの日でも仕事をする人で(しかも、それがみんなに伝わるようなツールがあるんです。。苦笑)
休もうとしないと、仕事の連絡がどんどんはいってくるような仕組みがあり、
今時の会社ってこうなんだ〜って面白い発見ではあるんだけど。
彼女が、仕事が好きなのか、認めてもらいたらやっているのか、それはわからないけど、
マナは、時間給をもらってお仕事をするパート。
責任あることもしたくないし、
する必要が無いと思っているから、
パートを、”選んで” いるんです。
彼女に「そこにある連絡はすべて見てくださいね」、って言われたけど、
「私は、お休みの日は仕事の連絡はみていないので、これからみますね」と、フラットな気持ちで伝えました。
罪悪感もなく伝えた自分にビックリ!!
&嬉しい気付きです。
頑張りたい人が多いんだな〜と、客観的にみえていて、
社員は一丸となってガンバっていて、もちろん、それは良いでしょう。
(興味ある会社だし、頑張って欲しいなーと思ってます。役に立てるところは役に立ちたいと思って、仕事を続けています)
みんなが無理をして、それを良しとする社内。
社員がそうすれば良いけど、マナは、パート。
あやうく、そんな空気に巻き込まれそうになるけど、、、
いやいや、マナはパートだし。って、それに巻き込まれないよう、
ちょっと、距離をおいた場所にいるようつとめているところです。
ちょうど、契約更新で、面接をしてくれたマネージャーと面談でしたが、
仕事ぶりに対して、注意や苦言を言われたわけでもなかったし。
むしろ、会社に対して提案したくらい。
辞めることになったらどうしよう・・という点がないって、
こんなにココロが自由なんだ、と改めて気づきました。
怖くない、って、こういうことなんだ。。。
これって、辞めることになったら、やめる、の場所にはいろんな◯◯が入って。
たとえば、
”嫌われちゃったら”どうしよう・・
”傷つけちゃったら”どうしよう・・
”失敗しちゃったら”どうしよう・・
嫌われてもいい、
傷つけちゃってもいい、
失敗しもいい、
なのかもしれない。
だってそれは、
嫌われる人には、何をしても嫌われる。
→嫌われないように、自分を偽ったり、ガマンする必要はない
傷つけちゃって、悪かったと思えば、謝ればいい。
それぞれの価値観の違いもあるし、謝る必要のないこともある。
失敗しても、また挑戦すればいい。
挑戦したくないとわかったら、それでもいい。
嫌われないように、傷つけないように、失敗しないように・・・
それらは、もともと、自分を守るためのツールだったんじゃないかな?
それに、嫌われたって、傷つけちゃったって、失敗したって、死にはしない。
大したこと、ないんだ。
お!!!! これって、それでも愛されてるってことじゃないか
プチパッカン。おこりました
間違っちゃいけない、
ちゃんとしなきゃいけない、
期待に答えないといけない、
と育ってきたし、やっぱりそれらはひょっこりと顔をだすけど、
だいぶその呪縛から開放されたみたいです。
自分の人生の主役は、やっぱり、自分。
死ぬときに一緒なのは、自分だけ。
あーー幸せだったな、って思って死にたい。
自分のココロの声を大事に、
しっかり拾ってあげたい。
と。
改めて思ったマナでした。