阪神大震災 ~あれから11年~

阪神大震災 ~あれから11年~

阪神大震災から11年。

ようやく振り返ることができるようになってきた。

今、地震が多発している。

だから余計に書こうと思った。

阪神大震災を体験した一人の人間の人生。

体験したすべてを素直に書く。

今だから。

振り返ってみて思うのは命の意味はなんなのか。

なぜ私が生き残って6595人の命が失われたのか。

まだわからない。一生わからないかもしれない。

「亡くなった人のためにも一生懸命に生きていく」

そんな言葉を良く聴くけど亡くなった人生を推し量って生きることはできない。

亡くなった人生から何を想いどうするか。

その言葉を聴いたことはない。

その答えを見つけたい。

今だからそう思える。

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ふと何かゆれているような気がして目がさめた。

と同時になにがなんだか訳が分からなかった。


静かになると、母が私をかばうように上に乗っていた。

言葉も出ないまま母が立ち上がろうとすると頭上に何かがあって立てなかった。

その時私はようやく地震が起きたことを理解できた。



母が手探りで布団から出て、私も母に習って布団から出ようとした。


その時「窓開けた?」と母が言った。


何のことだか理解が出来なかった。

前日寝る前にちゃんと鍵がかかっていることを確認したからだ。


「なんで窓なんか開けるんよ」とは言ったものの、窓を見ると確かに開いていた。

片付けるために後日見たところ、やはり鍵はかかったままだった。

鍵がかかったまま窓が開いていた。




ようやく目が慣れてきた。

そして私の目に飛び込んできたものは信じられない光景だった。



寝ていた布団の両脇にあった本棚と箪笥が倒れかかってちょうど「人」のような字の状態で立っていた。

部屋の中は泥棒が入ったよりもひどい状態に散らかっていた。

箪笥の上に置かれていた日本人形が隣の部屋の中央付近まで飛んでいた。

食器棚の上に置いてあったたこ焼き機が正面に置いてあった食器棚の上に何故か乗っていた。



私と母はとにかく外に出ようとした。

そのままだと寒いからと母が必死になって隙間から取れる服を取ってくれた。

取れたのはセーター1枚とジャンパー1つ。

寝ていた布団の間から毛布も1枚とってくれた。


私がセーターを着て、母がジャンパーを着た。

下は薄い寝間着のズボンだけだ。


そして買ってもらって間もないヴァイオリンと毛布を持って外に出た。


外に出るときに私は不可解な行動をしていた。

何故そうしたのかは分からなかったが、片付けに入ったときにそれを見て驚いた。

私は普段紐靴はめんどくさいという理由ではかなかった。

紐のついてないお気に入りの運動靴をいつもはいていた。

地震の後逃げるときに何故か私はその運動靴をはかなかった。

めんどくさい紐靴を履き外に出た。


後日お気に入りの靴を見てみると落ちて割れた電球の破片がこれでもかというくらいに入っていた。

お気に入りの靴はすぐ目の前にあったのに

何故か私は靴箱から1、2度しかはいていなかった紐靴を取り出してはいた。



外に出ると屋根から落ちてきた瓦が散乱していた。



その頃、私はアパートに住んでいた。

隣人達も続々と外に出てきていた。

だが、むかいの棟の住民で、出てこない世帯がいくつかいた。


みんなで「大丈夫ですか?」とドアをバンバン叩きながら叫んだ。

すると1箇所から「ドアが開かなくて出られないんです!」と言う声が返ってきた。



私はいつも、アパートのドアをダサい木の扉じゃなく

マンションみたいなかっこいい扉にならないかと思っていたが

このときは、この木の扉が幸いした。


母が私のホッピングを使ってそのドアを壊して60センチほどの穴を作った。

そこから中の住民は出ることができた。


地震が発生してからかなりの時間が経過してるにもかかわらず幼馴染の家族が出てこない。

大声で呼んでも返事も無いし家の中から音すら聞こえてこなかった。

心配して叫びつづけると全く逆方向の道からその一家が現れた。



家の中のドアがどこも開かず裏の洗濯干し場に出るドアが30センチほど開いていたので

そこからなんとか外に出て電柱を伝って道に出ることが出来たそうだ。

みんなはだしだった。その一家は近くに祖父母宅があったのですぐにそっちに行った。

今、私は派遣社員として働いている。
でもあの時はまだ小学生だった。




1997年は平凡に始まった。
それまでの人生とただ一つ違ったことは父が前厄だったか本厄だったかで、とにかく厄年だったということだけだった。
母と2人で
「や~ね~。」
などと気楽に言いながら1年の無事を祈って厄除けの神様ではないが西宮戎に行って笹を買って来て、玄関に飾っていた。




父は東京に単身赴任していて家にいなかった。
幼い頃から海外に出張だの何だので家にいないことが多かった。

幼稚園に入る前までお父さんは帰ったときにお土産を買ってきてくれて、帰ってきたときに抱っこしてくれるだけの存在だと思っていたくらい家にいなかった。


だから長期の単身赴任だと言われてもいつもとなにも違わない。
家にいないのがあたりまえだった。その日も父はいなかった。



その日の前日は日曜日だった。
私は算数の宿題をしていなかったことに気が付き、ぼんやりと、地震でもきて学校いかないでいいようにならないかななどと思っていた。
まさかその願望が本当になるとは思っていなかった。




年が明けてから、母は布団を敷くのをめんどくさがった。
夜寝るときはよく私の布団に、いつの間にか入ってきていた。

その日の前日に私は
「私のお布団に入ってこないでよね!入ってきたら絶交するよ!」
と母に言ったことをよく覚えている。

もう小学校6年生だから一人で寝れるんだから!という気持ちもあったんだろう。
2LDKの小さなアパートに住んでいたから父が帰ってきたら嫌でも母と寝なければいけない。
だからせめて父がいない日は一人で寝たかった。



そして布団を敷き私は眠りについた。